「上げ潮路線」は間違っている―野党は対立軸を、日銀は金利水準の正常化を(H19.2.21)

【要旨】

 政治の究極の目標は、国民の暮らしを安定させ、向上させることである。その経済的裏付けは、現在から将来に向かって、消費生活向上の経路を安定させることである。これこそが、政治が追求すべき経済政策の究極の目標でなければないない。
 「上げ潮路線」が目標としているGDPの拡大は、その手段である低金利・インフレ・円安によって過剰投資、資産バブル、円建国際金融・資本市場の発展阻害を招き、現在の消費の停滞と将来の消費を支える貯蓄の減価を招く。それは、国民の暮らしの安定と向上に反する政策である。
 「上げ潮路線」の対立軸として、野党はGDPの成長ではなく消費生活の向上を、低金利・インフレ・円安(弱い円)ではなく正常金利・物価安定・円高(強い円)を、参院選のマニュフェストで力強く打ち出すべきである。
 日本銀行は、正常な金利水準に向けて、小刻みに政策誘導金利を引上げて行くべきである。本日(2/21)の追加利上げは、その第1歩であって欲しい。


【究極の目標は消費の安定的向上であってGDPの成長ではない】
 安倍政権は、2011年度までの5年間に財政の基礎的収支を均衡させるという小泉政権末期の方針(06/7決定の「骨太方針06」)を継承し、今後5年間に租税の自然増収を出来るだけ増やすため、名目成長率、あるいは5年後の名目GDPを可能な限り大きくする「上げ潮路線」を基本戦略としている。
 しかし、発展途上国ならいざ知らず、先進国の日本において成長率やGDPを経済政策の戦略的目標にすることに、多くの国民は違和感を覚えているのではないか。それよりも、社会的格差拡大の下で取り残されている国民の今の暮らしを改善し、将来の暮らしに希望が持てるようにすることが、政治の目標ではないかと思っている人が多い。
 この直観は経済学的に見ても正しい。マクロ経済政策の究極の目標は、現在から将来に向かって消費が向上して行く経路を安定させることであって、GDPの成長率を高くすることではないからだ。

【低金利・インフレ・円安の政策と技術革新促進会議の立ち上げが安倍政権の戦術】
 国会の論戦を聞いていると、安倍首相も閣僚達も、GDPが成長すれば国民の暮らしも向上すると事も無げに言っている。しかし、そこにこそ「上げ潮路線」の大きな落とし穴が潜んでいるのである。
 安倍政権は、GDPの名目成長率を高くするため、大きく分けて二つの政策を打ち出している。一つは技術革新を進め、生産性を高めるための様々の会議の立ち上げである。
 しかし、内閣府にあまり沢山の会議を乱立させたため、それぞれの会議の内容が重複し、バラバラに独走していると与党自民党の内部からも批判が出ている。
 もう一つは、超低金利を出来るだけ長く維持するように日銀に政治的圧力をかけ、インフレ率をなるべく高め、低金利とインフレに伴う円安の進行を許容する政策だ。超低金利は投資を刺激して実質成長率を高め、インフレは名目的にGDPを膨張させ、円安は輸出促進による実質成長率の高まりと、輸入物価上昇によるインフレ率の高まりという両面から名目GDPを膨らますからだ。

【企業、技術者、投資家のリスク負担とリターンの配分に目を向けよ】
 まず、前者の技術革新の促進であるが、これは有識者の会議をいくつも作って、産業界に上から号令をかける問題ではない。
 技術革新の源泉は、市場競争で勝利するために、技術上、経営上の制約をいかにして他の企業より先に克服するかという企業の創造的努力である。
 従って政策の役割は、技術革新に関するリスクの負担と、リターンの配分を合理的にする制度的な基盤を作ることだ。
 具体的には、技術革新に成功した企業の利益の保護(知的財産制度)、企業内技術者と企業の間のリスク負担とリターン配分のルール確立(企業内技術者の処遇)、資金提供者のリスク負担とリターン配分の公正確保(公正な資本市場)などである。
 これらは内閣府にいくつも会議を立ち上げる迄もなく、行政が自らの役割を自覚し、確りと追求すべき制度改正である。

【低金利・インフレ・円安は短期的にも長期的にも暮らしを支える消費の向上を妨げる】
 次に、後者の低金利・インフレ・円安による名目成長率の高まりが、本当に国民の暮らしを向上させることになるか、考えてみよう。
 短期的にみれば、借金より金融資産の方が多い家計部門にとっては、低金利より高金利の方が有利である。また暮らしにとっては、インフレで物価が上がるより、物価が安定していた方が良い。特に賃金や年金が簡単には上がらない弱者はそうである。更に海外の物を買ったり外国旅行をするには、円安より円高のほうが安くつく。このように短期的には、低金利・インフレ・円安は明らかに国民の暮らしに不利である。
 しかしもっと問題なのは、このような目先の話ばかりではなく、将来にわたる国民の暮らしを考えた時、低金利・インフレ・円安による成長促進は、暮らしを支える消費の向上を妨げることである。

【成長促進は低生産性プロジェクトへの投資を増やす】
 GDPの成長率を高めるには、将来の供給能力を出来るだけ伸ばすため、現在の投資を増やさなければならない。そこで安倍政権と自民党は、超低金利の持続と企業の租税負担軽減(減価償却の優遇、将来は法人税率引下げを検討中)を図っている。その結果GDP中の投資の比重上昇(消費の比重低下)、成長率の上昇に伴う需給ギャップの縮小とインフレ率の上昇が起きる。超低金利とインフレ率上昇は、日本のファンダメンタルズ(経常収支の大幅黒字)から乖離した円安を起こす。
 GDP中の消費の比重が低下しても、GDPが成長すれば将来の消費も増えるので、消費向上の経路も安定すると考えるのが政府・自民党流の考え方である。しかし、実際はそうはならない。
 超低金利や税制の優遇で投資を増やすということは、正常な金利水準や優遇税制不在の状態では実行されないような低生産性プロジェクトに対する投資が増え、資本収益率が低下して行くという事である。また、利子・配当として家計部門に配分される企業利益が、低生産性プロジェクトに再投資されてしまうということである。

【成長促進は過剰な設備の蓄積とバブルの崩壊で将来の消費を低下させる】
 ここで、暮らしを支える消費にとって不利なことが、少なくとも四つ起こってくる。
 第一は、GDP中の消費の比重が投資の比重の上昇に圧迫されてどんどん低下し、成長率が上がっても消費が停滞することである。現在、将にこのことが起っている。
 第二は、国民が将来の消費(結婚、子育て、教育、老後など)に備えて貯蓄した資金が生産性の低い設備に投資されて行くので、将来の資本収益率=金利・配当などのリターンが低下し、将来の消費が予想に反して悪化することである。これは、80年代後半の投資主導型高成長期の資本蓄積が過剰資本に変わり、90年代の成長停滞(所得、金利、配当など家計収入の低迷)を招いて消費を補えなくなり、国民生活は不安に陥ったという形で体験した。
 第三は、成長促進政策によって収益性の低い資本が過剰に蓄積されて行くと、収益性の裏付けのない資産バブルが低金利とインフレの下で発生する。企業の収益性はそれで一時的に補われるが、資産を持たない国民との格差は拡大する。最後にバブルが破裂すると、あとには過剰設備と不良債権が表裏の形で残り、長期不況の下で消費は停滞し、暮らしは悪化する。これも、90年代の「失われた10年」で経験したところである。

【将来の暮らしを支える貯蓄が減価している】
 第四に、将来の消費のために国民が貯蓄した資金は、政府の債務と外国に対する資産超過(経常収支黒字の累積)に見合っているが、これが減価して国民の将来の暮らしを支える力を失って行く。何故なら、安倍政権のインフレ政策によって、まず政府に対する国民の債権(国債)は目減りして行く。
 また、安倍政権の低金利・インフレ政策は、低金利で円を調達して外貨に替え(ここで円安進行)、高金利で外貨資産に投資したり融資したりする「円キャリ取引」を累積させている。しかし、日本のファンダメンタルズ(対外資産超過額)からかけ離れた円安が更に進むと(例えば1ドル=125円超)、産業界の突き上げで米国政府が黙っては居ないだろう。その政治的圧力が引き金となって、ファンダメンタルズから乖離した円安バブルは崩壊し、急激な円高になるリスクが大きい。
 国民の貯蓄から成る対外資産超過は、米国政府のドル建国債をはじめ、ほとんどは外貨建て資産の形をとっている。従って急激な円高は、国民の将来の消費を支える大切な貯蓄の急激な減価を意味する。

【低金利政策は円建国際金融・資本市場の発達を妨げ国民の貯蓄=将来の消費を減価させる】
 もし対外資産超過が、円建債権の形をとっていれば、円相場の変動によって国民の将来の暮らしが不安定になることはない。しかしそれには、円建国際金融・資本市場を発達させ、外国が円で借金して日本がそれを引受ける形にしなければならない。つまり、日本が外貨建で外国に貸すのではなく、外国が円建で日本から借りるようにすればよいのだ。
 しかし、安倍政権の低金利・インフレ・円安政策は、日本の円建国際金融・資本市場の発達を絶望的にしている。低金利の上に円安で元本が減価して行く金融資産など、外国人から見て全く魅力がないからだ。ここでも「上げ潮路線」は、国民の消費向上経路の妨げとなっているのである。

【日本銀行は金利水準の正常化を進めよ】
 日本銀行は、本日(2/21)、政策委員会・政策決定会合において、政策誘導金利(無担コールレート・オーバーナイト物金利)を0.25%から0.5%へ0.25%引上げることを決定した。この追加利上げは、先月に実施される事が市場や海外で予想されていた。これが、1か月遅れたことにより、日本銀行のフォーワード・ルッキングな政策運営と独立性について疑問を抱かれる結果となっていた(このHPの<論文・講演>“追加利上げ見送りのコスト”BANCO,H19.2.5)、<最新コメント>“追加利上げのチャンスは2月まで続く”H19.1.18参照)。
 日本銀行は「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する」(日銀法第2条)ことを理念に金融政策を運営するのであるから、低金利・インフレ・円安(弱い円)を指向する現状を、正常金利・物価安定・円高(強い円)に改めることに躊躇してはならない。今回の追加利上げを第1歩として、来年に向かって0.25%ずつ小刻みに利上げを実施し、現在の超低金利を正常金利に直すべきである(実質成長率2%と物価安定を前提とすれば、正常な短期市場金利は1%台中頃か)。
 日本銀行は「政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう(中略)意志疎通を図らなければならない」(日銀法第4条)が、現在の「上げ潮路線」の低金利・インフレ・円安は、政府の狙いとは反対に投資効率の悪化と円安バブルを招き、また円建国際金融・資本市場の発達を妨げて、息の長い成長の基盤を崩してしまう。このことについてこそ「意志疎通を図」り、正常金利・物価安定・円高(強い円)が「国民経済の健全な発展に資する」ことについて、日本銀行は政府を説得すべきなのである。