日本経済は大きな曲がり角を曲がった(H17.12.26)


─ 05年の回顧と06年の展望─

【05年は過剰雇用、過剰設備、過剰債務が10年振りに解消した年】
   2005年、日本経済は遂に大きな曲がり角を曲がったようだ。それは、05年度の成長率が2.5〜3.0%に達するからではない。この程度の単年度成長率は96年度や00年度にも出た。
   そうではなくて、10年以上にわたって日本経済を平均1%程度の成長率にとどめていた最大の要因である企業の過剰雇用、過剰設備(過大な不動産保有を含む)、過剰債務が2005年中にようやく解消したからである。
   過剰雇用と過剰設備の解消は、05年12月調査「日銀短観」の「雇用人員」判断DIと「生産・営業設備」判断DIが、バブル崩壊後10数年振りに「不足」超に転じたことに端的に現れている(<最新コメント>「設備と雇用の拡大意欲が強まり景気回復に持続性が出てきた─12月調査「日銀短観」から来年の経済を読む」(H17.12.14)参照)。過剰債務の解消は、銀行の不良債権比率が下がって銀行の収益と株価上昇し、銀行貸出残高(持株要因調整後)が増え始めたことに現れている。

【三つの過剰で供給力と総需要の成長率が低下、金融財政政策の有効性も低下】
   三つの過剰は、少なくとも四つの面から10年余にわたって日本経済の成長を抑えていた。
   第1に供給面では、過剰な設備と雇用が経済の効率を低下させ、全要素生産性の増加率を引下げて潜在成長率を低下させた。
   第2に需要面では、過剰な設備と雇用が設備投資と新規雇用(従って勤労所得と個人消費の増加)を抑え、国内民間需要の増加率を引下げた。
   第3に企業は、収益の回復を過剰な設備の償却、不要な不動産の損切り売り、過大な債務の返済に振り向け、前向きの新規設備投資や雇用の増加に使わなかったので、拡張的財政政策の乗数効果が減少し、政策の有効性が低下した。
   第4に銀行は、収益と自己資本を不良債権の償却に振り向け、しかもBIS規制上の自己資本比率と収益性を出来る限り維持しようとして、貸し渋り、貸しはがしに走り、金融政策(ゼロ金利、量的緩和)の有効性を著しく低下させた。

【06年は民間支出主導で着実な成長が続く】
   以上の四つの面から日本経済の成長を制約してきた三つの過剰が解消し、05年は外需(純輸出)と公共投資が減少する下で、民間の設備投資と消費支出に主導されて年率4%弱(瞬間同速)の成長が実現した(下記の図1参照)。
   06年を展望しても、設備投資計画が05年度下期に大きく上方修正されて06年度にずれ込む上、設備の不足感も続くと見られるので、設備投資の比較的大きな伸びが期待される。
   また、97年頃をヒピークに下落傾向を続けていた雇用者報酬が、下記の図2のように、名目値でみても実質値でみても、05年から上昇傾向に転じているので、06年の民間消費支出を支える勤労者所得は、緩やかに上昇すると見られる。
   これは三つの過剰の解消によって、企業収益が雇用増加と賃金上昇に向かい始めたからである。06年の春闘は、久方振りに業績好転企業を中心にベースアップが実現しよう。





【自公政権に公的システムの転換が出来るか】
   10年以上にわたって日本経済を停滞させた三つの過剰は、日本経済の長期循環(コンドラチェフ型の長期波動)の中で発生し、その低下局面を形成した要因と考えることも出来る。従ってその解消は、日本経済の長期上昇局面が始まったことを意味するかも知れないことを示唆している。
   詳しくは、このホームページの<論文・講演>欄“日本経済は長期循環の上昇局面に入ったか”(『金融財政』05.11.17号)を参照して欲しいが、そこで述べたように、三つの過剰の発生は、基本的には日本型システム(官による民の指導、中央による地方支配という公的システムと閉ざされた仲良しクラブ型のビジネスモデル)が時代に合わなくなったことによって起こった。
   このうちビジネスモデルの転換は、民間の努力によって実現し、三つの過剰は解消した。しかし公的システムの転換はこれからの政治課題であり、これに成功しなければ折角転換した民間経済にも勢いが無くなり、いつまた新しい成長制約要因が生まれてくるか分からない。
   その意味で、長期循環は歴史的転換を自覚した政策努力に懸かる面が大きい。衆議院で三分の二を占めた自公政権にそれが出来るのか、小泉改革と06年9月以降の後継者の政策は、本当に政官業癒着のしがらみを断って公的システムを変えられるのか、国民は確りと見て行かなければならない。