日本経済は長期循環の上昇過程に入ったか (『金融財政』2005.11.17号)
このコメント・ペーパーは、11月17日付『金融財政』の「BANCO」欄に掲載された文章を基に加筆したものである。
【前回長期循環の上昇局面は高度成長期】
日本経済はいま、約50年周期の長期循環(コンドラチェフの長期波動)の上昇局面に入った、という説がある。経済の長期循環は技術革新、経済・社会の構造変化などによって起こるので、その原因を一般化するのは難しいが、敢えて第2次大戦後の日本経済に当てはめて考えてみると、次のようになろう。
まず前回の長期波動は、上昇局面が高度成長期、天井圏は70〜80年代、「失われた10年」が下降局面という事になる。前回の波動を起こした原因は、農地解放と財閥解体で国内市場が広がり、企業間の競争が促進された状態で、先進国の技術が導入されたことである。
高度成長期には、官による民の指導、中央の地方支配という公的システムで先進国並みの社会的、経済的インフラを建設した。また民間企業への技術導入を促進し、反面で貿易・資本の障壁で国内企業を保護した。
民間企業の側では、系列取引、メインバンク制、株式持合い、終身雇用制、年功序列賃金という「閉ざされた仲良しクラブ」とも呼ぶべき日本型ビジネスモデルで先進国の産業化の水準に追い付き、追い越す努力をした。重厚長大型の第1次産業革命の成果と、軽薄短小型の第2次産業革命の成果を導入し、始めは素材産業で、続いて加工組立産業で、欧米先進国の水準に追い付いたのである。当時この官民のシステムは、「世界に冠する日本型システム」として、途上国の手本になった。
【日本型システムを時代遅れにしたIT革命とグローバル化】
しかし、この日本型システムを不利にする世界的な条件が出てきた。サッチャーイズム、レーガノミックスに象徴されるような規制撤廃、民営化による民間市場経済の発展と、鉄のカーテンの崩壊に伴う市場経済化のグローバルな広がりである。それを技術面で支えたのがIT革命による情報伝達のスピード・アップと低コスト化だ。
日本型ビジネスモデルでは、系列企業のデザイン・インで新製品を開発し、系列企業グループの川下で販売ルートを開拓していた。それに必要な資金は、メインバンク中心の協調融資で調達した。いわば部品から完成品に至るまでの生産・流通のプロセスが、「閉ざされた仲良しクラブ」の中で合理化されていた。技術の進歩も、クラブの中に蓄積されて行った。
しかしIT革命の結果、インターネットで世界中の企業の技術と製品の情報を集め、モジュール化した最良の部品を調達し、それを組合わせて新製品を開発し、グローバル市場に販売することが可能になった。閉ざされた系列内の「プロセスの合理化」ではなく、開かれたグローバル市場での「組合わせの合理化」である。IT革命とグローバル化の下では、「開かれたグローバル・クラブ」の方が「閉ざされた仲良しクラブ」よりも効率がよくなった。
終身雇用と年功序列賃金で企業内に蓄積された熟練技術が、IT革命で陳腐化してきた。新しい技術を持ったヒューマン・キャピタルは、アウトソーシングでグローバルに調達し、経営の中にそれを組込むことが出来るようになった。「プロセスの最適化」よりも「組合わせの最適化」で競争力の強い製品が生み出されるようになったのだ。その典型が、PCを始めとする電子製品である。
【システム転換に着手すべき80年代を無為に過ごした日本】
既に1980年代には歴史的転換を迫られていた日本型システムであったが、不幸にしてその最後の徒花を、80年代後半のバブル期に咲かせることになってしまった。
米国ではレーガノミックスが悪戦苦闘しながら小さな政府を目指し、規制撤廃を続けて歴史的転換を図っていた。その時、日本では官主導中央支配の公的システムが日本中に無駄なインフラを建設して内需を拡大していた。「閉ざされた仲良しクラブ」は、銀行借入を増やして無駄な設備投資と不動産投機に走った。そうして米国よりもはるかに高い成長を実現することが、低迷する米国経済を援けて、ドルの暴落を防ぎ、世界恐慌を回避する道だと信じていた。その結果日本経済全体の効率は著しく低下し、逆に米国のポテンシャルは高まった。
それが日本の資産バブルの崩壊で一気に表面化したのである。日本では財政赤字の拡大、企業の収益率と自己資本比率の低下、銀行の不良債権の膨張、倒産増加と失業率上昇などで経済は停滞し、「失われた10年」となった。逆に米国では、「ニュー・エコノミー」と呼ばれる程の繁栄を謳歌し、今日に至っている。
【日本経済の長期循環は大底を打った】
しかし、この10年は正確に言うと「失われた」訳ではない。この間に、日本のビジネス・モデルの転換が徐々にではあるが、ようやく進んで来たからだ。系列取引にこだわらず、世界中の最適企業とのグローバルな取引へ変わってきた。世界中に工場を展開し、生産過程やモジュールの「最適な組合わせ」を求めている。メインバンク制は崩れ、グローバルな資本市場調達が一般化した。株式持合いは崩れ、企業の合併・分割が持株会社制を利用して活発に行われている。終身雇用の正社員を圧縮し、途中採用の非正社員を増やす傾向が強まっている。これに伴って年功序列賃金も崩壊している。
その結果、9月調査「日銀短観」が示すように、設備と雇用の過剰はようやく解消した。資本分配率はようやく過去のピーク並みに上昇した。借入の圧縮が進み、自己資本比率は向上した。資産収益率や売上高経常利益率は遂にバブル期並みの水準を回復した。減り続けていた雇用と賃金が緩やかに増え始め、雇用者所得もようやく回復し始め、個人消費と住宅投資が立直ってきた。企業の配当率と株価の上昇も、個人所得の回復を後押しし始めた。地価も大都市で底入れした。
このような企業の競争力回復は、まず02年始めから04年始め迄の輸出主導型成長を可能にしたが、それが一服して「踊り場」に入った後、05年からは設備投資、個人消費など内需主導型の成長が始まった。
【長期循環の上昇局面を決めるのは今後の公的システム転換の成否】
以上が長期循環上昇期入りの根拠だ。しかし、長期的上昇局面を維持するような日本型モデルの転換は、本当に実現したのであろうか。
第1に、輸出関連企業は「開かれたグローバルクラブ」に転換したが、内需関連企業はどうであろうか。特にこれからの発展産業である医療、介護、教育、農業などは、依然として規制と「官製市場」の圧迫の下で、ビジネス・モデルの転換が妨げられている。広義の対個人サービス業が、「開かれたグローバルクラブ」にモデルチェンジしない限り、少子高齢化の下で、日本経済の長期上昇はあり得ない。
第2に官主導中央支配の非効率な公的システムがまだ残っている。20兆円の補助金のうち3兆円を地方に移す三位一体改革、政府金融機関の統廃合などは、ほんの一部のシステム改革にすぎない。あと1年の小泉政権に、公的システム全体を転換する路線を敷く力があるのか。転換が殆ど進まないままに増税・社会保障負担引上げの路線に入ると、転換したかに見える民間システムの効率が低下し、力の無い長期循環の上昇局面に終わるであろう。