2007年3月版

円安バブルの崩壊と世界同時株安
―実体経済への影響見極めはこれから


【初めて経験したアジア発の日米欧同時株安】
   このHPで、かねてから危険性を指摘していた「円キャリ取引の逆転による円安バブルの崩壊」が始った(例えば<最新コメント>“「上げ潮路線」は間違っている―野党は対立軸を、日銀は金利水準の正常化を”H19.2.21参照)。円対米ドル相場は、先週の120円台から、現在(3月5日)115円台まで上昇している。これが全面的な円安バブル崩壊に迄発展するかどうかは、まだ現時点では早断出来ない。
   切っ掛けは2月末の上海株式市場の株価急落である。この市場への国際的参入は規制されており、自由化されている香港株式市場との裁定も不完全であるが、それでも香港市場の株価は急落した。少し前からインドの株価が大きく下がっていたこともあり、アジア発のこの株安はヨーロッパ市場に飛び火し、続いて米国市場の株価も下がった。翌1日には、日本の株価も大きく下がった。

【歴史的高値圏にあった世界的株価の心理的不安が一因】
   アジア発の日米欧同時株安は初めての経験であるが、初めのうちは、歴史的な高値圏にあった日米欧の株価が「水鳥の羽音」に怯えて心理的に急落した面が強かった。
   とくに米国では、昨年10〜12月期の成長率が年率2.2%に下方修正されるなど、市場予想を下回る景気指標の発表が相次ぎ、他方ではインフレ率上昇の予想も高まるなど、経済の先行きに不安感が高まっていた。これが心理的下落を誘う大きな背景であった。
   もう一つの背景は、中国とインドの経済発展が世界的に注目され、日米欧の投資家によるアジア株への運用が増えていたことだ。これがアジア株下落の心理的なショックを大きくした。

【円キャリ取引による世界的株式投資の一部手仕舞いが原因】
   しかし、1、2、5日の3日間の日本の株価暴落と円相場急騰は、尋常ではない。5日の東京株式市場の終値は、2月末の1万8千円台前半から1万6千円台後半にまで下がり、円相場は対ドルで115円台へ、対ユーロで152円台へ上昇している。
   これは、低金利で円資金を調達し、外貨に替えて外国の株式市場に投資(円キャリ取引)していたヘッジファンドなどが、アジアの株安に触発されて株式を売却し、その代金である外貨を円に替えて「円キャリ取引」の一部を手仕舞いしているからである。
   日本の株式市場では、これに伴う急激な円高に驚いて輸出関連の優良大型株の売り急ぎが起り、株価の全面安となっている。

【行き過ぎた円安の修正であり影響は今のところ限定的】
   しかし日本の輸出産業にとって、対ドル120円台や対ユーロ160円台近くの円安は、ウィンドフォール・プロフィットをもたらす想定外の出来事だった。社内レートは対ドルで110円に近いし、実力的には100〜110円でも驚かないであろう。一部の生産を海外工場にシフトし、連結決算への影響を最小限にとどめることも出来るからだ。
   従って、心理的な動揺が収まれば、07年3月期の企業業績の好調を再確認したところで、株価は落着きを取り戻すのではないか。
   リスクがあるとすれば、円キャリ取引の解消が更に進んで100円を突破する円高になることと、米国経済が軟着陸シナリオよりも更に弱い2%前後の成長に落込むことだが、今のところ可能性としてはあまり高くない。

【可処分所得の増加を背景に家計消費に立ち直りの兆し】
   日本国内に目を転じると、勢いの無かった個人消費にようやく変化の兆しが出ていることが一つの好材料として注目される。
   1月の家計調査によれば、全世帯の消費支出が、実に13か月振りに前年水準を上回り、+0.6%増となった(図表1参照)。季調済み指数の推移を見ると、7〜9月期に前期比−1.6%減、10〜12月期に同+1.2%増とGDP統計の家計消費と同じような落込みと反動増を示したあと、1月は前月比+1.4%、10〜12月平均比+1.1%の上昇となった。10〜12月期の増加は7〜9月期減少の反動増であるが、1月の更なる増加は前年同月や直近の最高であった4〜6月期の平均を上回る水準への増加であり、消費立直りの兆しとして注目される。
   同じ家計調査によると、勤労者世帯の可処分所得は、昨年上期まで前年水準を下回っていたが、下期から本年1月まで上昇に転じている(図表1参照)。天候の影響や先行き不安などから、可処分所得増加の消費支出への影響が遅れて出て来たのかもしれない。

【雇用はジリジリと回復、春以降の賃金動向は要注目】
   賃金・雇用統計を見ると、雇用は一貫してジリジリ増加し、完全失業率も少しずつ下がっているが、賃金統計は家計統計の可処分所得とは必ずしも同じ動きをしていない(図表1参照)。資産所得(株式売却益、配当など)が増えているが、家計統計にしか反映されていないことが一因かも知れない。
   しかし先行きを見ると、春闘の情勢や格差是正の労働立法の動きなどから見て、4月の基本給引上げと夏期賞与の増加が見込まれており、これに伴い、賃金統計も徐々に立ち直って来る可能性はある。

【1〜3月の生産は一時的に足踏み状態】
   労働情勢との関連で鉱工業生産の動向に目を転じると、1月の生産は予測指数の前月比−2.8%減ほどではなかったが、同−1.5%の低下となった。2月と3月の予測指数は、夫々前月比−1.8%減と+2.4%増である。図表2に明らかなように、1〜3月の鉱工業生産はやや足踏み状態にあり、雇用・賃金の回復も遅れ気味になるかも知れない。
   しかし、生産低下の中身を見ると、乗用車の一時的減産とモデル・チェンジに伴う情報通信機械(デジカメ、パソコンなど)の減産が主因である。両業種とも1月の在庫率は大きく低下しており、春以降再び増産体制に入る構えである。

【設備投資と輸出は当面拡大基調を持続】
   成長をリードしている設備投資と輸出(図表3参照)には、現在のところ、大きな不安はない。
   法人企業統計によると、昨年10〜12月期の設備投資は、前期比+5.2%増とGDP統計の名目設備投資(同+2.3%)を上回る伸びを示しており、10〜12月期GDPの第2次速報では上方修正されるものと見られる。

名目設備投資の前期比(%)
              06/1〜3      4〜6      7〜9      10〜12
 GDP            3.4       3.1       1.2      2.3
法人企業統計       6.4       4.9       0.6      5.2


  また1月の一般資本財出荷は、前年比+8.5%(図表2参照)、前月比+1.9%とやや伸びを高めている。6〜9か月の先行指標である機械受注(民需、除船舶・電力)には、図表2に示したように、昨年後半に増勢頭打ちの気配が出ているが、今のところ足許の設備投資には増勢鈍化の気配はない。
  他方、日本銀行の推計によると、1月の実質輸出は10〜12月平均比+2.6%増、実質輸入は同−3.1%減となっており、差し引き実質貿易収支の好転傾向は続いている(図表2参照)。

【長過ぎた超低金利のツケが大きくなり過ぎないことを祈る】
  今後1〜2週間の世界の為替市場、株式市場の動向を十分見極めなければならないが、「一波が万波を呼ぶ」ように「円キャリ取引」の解消と円高が止めどなく続かない限り、日本経済の先行きに大きな影響が出ることは避けられよう。
  円相場で言えば、対米ドル100〜110円が限度ではないか。株価については、やがて明らかになる07年3月期の業績予想に比較して、株価の下げ過ぎが確認され、反発するかどうかが、注目点であろう。円高や世界景気予想の下方修正が大きくなり過ぎると、株価にも先行きの業績悪化が織り込まれ、反発力は弱いかも知れない。
  いずれにせよ「円キャリ取引」の逆転に伴うこの混乱は、超低金利に伴う日本発の過剰流動性のバラ撒きと円安バブルが原因である。長過ぎた超低金利のツケがこれ以上大きくなり過ぎないことを祈りたい。