竹中金融行政の功罪─自己資本比率規制をテコとする過剰介入型行政はどうなる?(H16.9.28)
【不良債権早期処理、公的資本注入に努めた竹中金融行政】
9月27日の小泉内閣改造に伴ない、竹中平蔵氏は金融担当大臣からはずれ(経済財政担当はそのまま)、新たに郵政改革担当大臣となった。そこで、約2年間の竹中金融行政について、ここで総括的なコメントをしておこう。
竹中氏の前任の柳沢大臣は、2001年10月ら翌2002年4月までの大手行の「特別検査」のあと、「銀行は健全であり、公的資本の注入は不要。2003年4月のペイオフ解禁は予定通り実施」という立場をとっていた。
これに対して2002年9月に柳沢氏に代って就任した竹中大臣は、同年10月に「金融再生プログラム」(竹中プラン)を発表し、「主要行の不良債権比率(2002年3月末平均8.6%)を2005年3月までに半減させる。ペイオフ解禁の完全実施はそれ迄延期する」という政策転換を行った。
その上で主要行に不良債権処理を急がせ、その結果自己資本比率が4%を割ってしまった「りそな銀行」には、「金融再生プログラム」の「特別支援」として2003年春に公的資本の注入を決定した。これで同行資本の3分の2を政府が保有することとなり、事実上の「国有化」となった。
【竹中プランの実施で銀行株は底値を打った】
このように竹中金融行政は、不良債権の早期処理を最優先とし、それに耐えられない主要行には公的資本を注入して国有化するという荒療治を行ったのである。そして、それが終わる迄はペイオフ解禁を延期するという非常措置をとった。
前任の柳沢大臣の「銀行は健全。公的資本注入は不要」という発言を信じなかった海外投資家は、「ペイオフ解禁を予定通り実施」すれば金融不安の発生は必至と見て銀行株を売っていた。しかし竹中大臣の方針転換と「りそな銀行」に対する実際の公的資本注入決定を見て安心し、銀行株の買に転じた。これによって日本の株価も、2003年4月28日の日経平均7607円をボトムに反転した。
他方、不良債権比率の方も、早期処理の実施によって、大手行は2002年3月、地域銀行は2002年9月の8%台をピークに低下し始めた。少なくとも大手行については、2005年3月迄にプログラム通り4%台にまで低下するであろう。その上で、ペイオフも予定通り2005年4月に解禁される可能性が強い。少なくとも小泉首相は、新任の伊藤金融担当大臣にそう指示したようだ。
【不良債権比率は低下しても銀行貸出の収縮は続いている】
このように竹中金融行政は、「金融再生プログラム」に沿って一定の成果を挙げた。
しかし、これによって日本の銀行業は復活し、リスクを取って貸出を拡張し、その結果マネーサプライは増え始め、国内景気の回復を支えるようになるであろうか。
現状を見る限り、答えは「否」である。日銀の量的緩和政策によって、不活動のベースマネーが30兆円以上も日銀預金に積まれているのに、銀行貸出は依然として減り続けている状況は改まっていないし、今後も改まらないであろう。
4%という不良債権比率自体は、国際的に見るとまだ高い。国際的な平均は2%程度であり、優良行は1%台である。そこ迄行くのには、更に2〜3年はかかる。特に地域銀行の不良債権比率低下は、体力が乏しいだけに遅々としている。
もっとも4%台というのは大手行の平均であり、住友信託や東京三菱はもっと低い。これらのフロント・ランナーは間もなく国際水準並みの不良債権比率に下がることが出来る。だからこそ両行は、不良債権比率の高い「UFJ」の吸収合併に乗り出しているのである。
【BISの自己資本比率規制こそ貸出抑制の根本原因】
しかし、「竹中プラン」の致命的な問題点は、不良債権処理そのものにあるのではない。不良債権比率さえ下がれば、日本の銀行業は復活し、リスクを取って貸出を拡張し始めると考えていることが問題なのだ。そして、貸出抑制の真の原因であるBISの自己資本比率規制を金科玉条のように守っていることだ。
いま日本の金融学界では、BISの自己資本比率規制の理論的、現実的な問題点を指摘する声が高まっている(例えば清水啓典 一橋大学教授の本年の金融学会会長講演)。国際的にも、ノーベル経済学賞受賞者のスティグリッツ教授が、BISの自己資本比率規制は銀行の安全性を高めることにならないし、過度に銀行の貸出を抑制し、国債保有を増やすと批判している(例えば『新しい金融論』2003年東大出版会刊)。
その事がいま現実に日本で起こっているのだ。
BIS規制の理論的、現実的問題点をここで詳しく述べていると大論文になってしまうし、そのさわりは既にこのHPの<最新コメント>"竹中金融行政がデフレを長引かせている─国内銀行の自己資本比率規制を廃止せよ"(H16.8.31)に述べたので、それを参照して頂くとして、ここではポイントだけを述べてみよう。
【BISの自己資本比率規制の理論的な誤り】
まず理論的問題点。@BIS規制はポートフォリオ中の個々の資産のリスクを査定して合計しているが、個々の資産のリスクの間に逆相関があれば(例えば貸出と国債)、ポートフォリオ全体のリスク(これが銀行経営のリスク)は低くなる。従って、個々の資産リスクの間の分散・共分散行例の正確な情報が無ければポートフォリオ全体のリスクは評価出来ないが、そんなことは出来る筈がない。
A自己資本比率の最適水準は、個々の銀行にとっての倒産確率や預金保険コストによって異なるが、これらの正確な情報が得られないままに一律の水準で自己資本比率を規制するのは誤り。
B自己資本比率は、収益性比率や不良債権比率と相互に矛盾するので、三つの指標の最適組合わせを選択するのは銀行経営そのものであり、それを判定するのは市場である。三つのうちの一つである自己資本比率だけを規制するのは経営の自由度を奪い、効率的な銀行経営を阻害する過剰介入行政である。
【BISの自己資本比率規制は内容が形骸化し安全性に寄与しない】
次に現実的な問題点。@安田行宏氏の実証分析によれば、BIS基準による日本の銀行の自己資本比率と銀行リスクの間には、正の相関がある(自己資本比率の高い銀行の方が銀行破綻リスクが高い)。従って、自己資本比率規制は、銀行経営と銀行システムの安全性を守ることにはならない。
ABIS規制では、繰り延べ税金資産の自己資本比率への算入が認められているため、監査法人の判断次第で自己資本比率の水準が変わる。しかもこの部分は、銀行が倒産すればゼロとなるので、銀行の安全性を計る指標にはならない。これは規制の形骸化である。
BBIS規制における自己資本の補完的項目(TierU)には、有価証券含み益の45%や劣後債などが含まれるなど、ここでも自己資本の形骸化が起きている。
【伊藤新大臣は過剰介入型行政から市場判定型行政へ転換出来るか?】
以上、BIS規制の問題点のポイントだけを述べたが、要するにこの自己資本比率規制は、銀行経営と銀行システムの安全性確保には役立っていない。それどころか、銀行のポートフォリオにおいて過度に貸出を減らし、国債を増やしている。これは、第1に当面の経済成長を抑制する。第2に、将来成長が高まって金利が上昇した時には国債の大きな含み損を発生させる。その結果、日本の銀行業はいつ迄たっても活性化しない。「角を矯めて牛を殺す」とはこのことだ。
竹中大臣の後任となった伊藤大臣は、竹中大臣の副大臣であったので、竹中路線を継承し、それを仕上げるのだと言う。しかし、これがBISの自己資本比率規制をテコとした過剰介入行政を続けるという意味であれば、大いに批判されるべきである。
BISの自己資本比率規制は、少なくとも日本の国内銀行に対する適用を中止すべきである。金融行政は、国内銀行の自己資本比率とその内訳、不良債権比率とその内訳、各種の収益性指標を検査し、透明度を高めるところまでであり、それら3指標の組合わせに関する適否の判定は市場にまかせるべきである。
果して伊藤新大臣に、過剰介入型行政から市場判定型行政への転換が出来るのであろうか。