仕組みを変えない「小泉改革」は改革にならない(H15.11.20)


─ 三位一体、道路公団、年金制度 ─

【三位一体、道路公団、年金制度の改革に共通する理念は?】
   第2次小泉内閣が発足し、総選挙で公約した「小泉改革」を口先だけではなく、本当に実行しなければならない段階に入ってきた。経済問題に限ってみても、来年の通常国会を控えて政府案を固めなければならない大きな問題が、少なくとも三つある。
   地方分権に関するいわゆる「三位一体」改革(補助金、交付税、税財源)、道路公団民営化、年金制度改革がそれである。
   しかし、この三つの問題に関する小泉首相の発言や小泉内閣の議論を聞いていると、そもそも何のための改革かという根本が、およそ意識されていないのではないかと疑わしくなる。
   小泉首相はよく「民に出来るものは民へ、地方に出来るものは地方へ」と述べる。これは改革の本質を突いた発言である。
   しかし、この「官主導から民主導へ、中央支配から地方自立へ」という改革の理念が、三位一体、道路公団、年金制度の三つの改革にどう貫かれているのかという点が、さっぱり見えてこない。

【仕組みを変えない三つの改革は改革の名に値しない】
   「官主導から民主導へ、中央支配から地方自立へ」という改革の理念を実行に移すには、規制撤廃と地方分権という手段を使って、官主導・中央支配の仕組みを、民主導・地方自立の仕組みに変えなければならない。
   しかし、いま「小泉改革」の名の下に検討されている三位一体、道路公団、年金制度の三つの改革の中に、「規制撤廃と地方分権で仕組みを変える」という改革の理念が、どれだけ入っているのであろうか。
   例えば、三位一体改革によって、中央が地方を支配する補助金や交付税の仕組みのどこが変わるというのか。道路公団民営化で、高い高速料金を官が民から取るという規制の仕組みのどこが変わるというのか。年金制度改革で、少なくなる現役世代から保険料を取り、増えて行く高齢世代に給付する賦課方式の社会保険という仕組みのどこが変わるというのか。
   三つの改革で、基本的な仕組みはどこも変わらないのではないか。これでは「改革」という名に値しない。

【補助金の仕組みを残したままの三位一体改革は改革ではない】
   いま日本では、総額20兆円の補助金が中央政府の各省庁から地方自治体に交付されている。いずれも、各省庁の計画・施策に沿った地方自治体のプロジェクトに交付されるものだ。従ってこの補助金の仕組みは、中央が地方を支配するための仕組みであり、そこに与党議員が介入し、利益に与った業者との間で「政官業癒着」を形成している。
   この「政官業癒着」の温床となっている補助金の仕組みを壊し、「中央支配から地方自立へ」改めることが、三位一体改革の内容でなければならない。
   ところが小泉内閣は、この補助金の仕組みを残したまま、20兆円のうちの僅か1兆円を地方自治体が自由に使えるようにするため、補助金や交付金を削減して税源を移譲しようというのである。こんなものは改革でも何でもない。予算配分の修正にすぎない。

【高速道路の料金制という規制を撤廃するのが改革だ】
   道路公団の民営化は、小泉改革の理念が混乱していることを示す典型的な例である。小泉首相は公社公団を民営化すれば改革だと思い込んでいるらしい。公社公団が民業を圧迫する官業である場合はそれでよい。この場合民営化は、「官主導から民主導へ」の規制撤廃の一つであり、改革と言える。
   しかし道路公団の場合は話が違う。民間に道路会社などはないから、これは官業の民業圧迫ではない。
   道路というものは、高速道路も含めて、「公共財」である(このHPの「最新コメント」“高速道路無料化か、道路公団民営化か”(H15.10.20)参照)。民間企業の市場メカニズムにまかせておけば、よい道路網が出来るわけではない。むしろ巨大な民間企業が道路事業を独占して暴利をむさぼり、マクロ経済の効率を悪化させるであろう。
   市場メカニズムではうまく行かない「公共財」の道路網は、国が国民全体の立場に立って税金で作るべきものである。その道路網の一部である高速道路網が、「料金制」という規制の下におかれ、その規制を実行する道路公団の経営が乱脈を極めているのが現状である。
   従って、「官主導から民主導へ」という改革の理念からすれば、「料金制」という規制を撤廃して無料とし、道路公団を廃止するのが改革である。道路公団を民営化して巨大な民間独占企業を作り、「料金制」を続けるのは改革の理念に反し、マクロ経済の効率を悪化させるものだ。

【国民皆保険制度という官主導の規制を改革せよ】
   最後に年金改革である。小泉政権は、年金の「保険制度」を維持したまま、厚生年金の保険料を現役世代の収入の20%まで引上げ、給付水準を現役世代の収入の50%まで引下げるのだという。
   現役世代から保険料を取り、それを高齢世代に給付するという「保険制度」を維持する限り、少子高齢化に伴なう保険料の引上げと給付水準の引下げは避けられない。更に基礎年金の国庫負担を現行の1/3から1/2に引上げるために、所得税の定率減税を打切る(事実上の所得税増税)という公明党案まで出て来る。
   しかし、このような年金改革では、国民の所得は圧迫され、消費は停滞し、暮しは悪化し、保険料未納者は増え、経済と暮しの先行きに希望は無く、年金制度は破綻するであろう。
   少子高齢化が進む以上、賦課方式の年金「保険制度」が破綻するのは自明の理である。ここでも「保険制度」という仕組みを「税制度」という仕組みに変えなければ、年金制度は維持出来ない。基礎年金は目的税化した消費税で賄い、報酬比例年金は民間の積立方式の保険制度に委ねるべきであろう。
   「国民皆保険制度」という官主導の規制を撤廃し、基礎年金は消費税で、報酬比例年金は民業へ、という改革を実行しない限り、少子高齢化の下で年金制度を維持する道はない。

【仕組みを変えない限り改革の成果は挙がらない】
   以上述べてきたように、「官主導から民主導へ、中央支配から地方自立へ」という改革の理念に基づき、規制撤廃と地方分権を推し進めない限り、三位一体、道路公団、年金制度の三つの改革は、本当の意味の改革にはならない。
   しかし、これを実行するということは、補助金制度、道路公団、社会保険庁という三つの仕組みを廃止することである。政官業癒着の温床であるこの三つの仕組みを、自民党総裁である小泉首相は壊すことが出来るのか。
   壊すことが出来れば、政治の浄化、中央官僚の削減、マクロ経済の効率向上につながるので、大きな改革の成果である。
   逆に言えば、仕組みを変えない「小泉改革」は改革の名に値せず、成果も挙がらないであろう。