平成期の日本経済の回顧(H31.4.18)
―『世界日報』2019年4月18日号“Viewpoint”(小見出し加筆)

【昭和のバブルに苦しんだ平成】
 平成時代が間もなく終わろうとしている。第2次大戦後の日本経済の歩みの中で見ると、日本が先進国中最高の成長率から最低の成長率に転落したのが、平成時代の幕開けとほぼ一致している。昭和時代の末期に資産バブルが発生し、平成時代の初期に破裂したからだ。
 資産バブルが恐ろしいのは、発生したバブルは必ず崩壊し、崩壊後は株式や土地などの資産ビジネスにとどまらず、経済全体を長期にわたって深刻な停滞に陥れるからである。

【15年続いた金融危機】
 バブルの崩壊によって、バランスシートの資産側にある株式、土地などの資産は大きく減価するが、これらの購入に使った負債側の銀行借入、社債発行など借金の額はそのまま残るから、バランスシートは債務超過傾向を強め、極端な場合倒産する。金融機関の場合、資産側はこのような企業に対する回収不能の不良債権という形をとって同じことが起きる。昭和62~63年の大型金融倒産に始まり、平成15年のりそな銀行の危機まで約15年間続いたいわゆる「平成の金融危機」がこれである。

【三つの過剰処理で低成長定着】
 この15年間、「三つの過剰(債務、設備、雇用)」の処理に成功して債務超過を克服した企業だけが生き残り、あとの多くは倒産や吸収合併で姿を消した。しかし三つの過剰の整理とは、借入抑制、投資抑制、雇用抑制に他ならないから、実質経済成長率は昭和時代最後の15年間の5%前後から平成時代初期は1%前後まで下がってしまった。この時から現在に至るまで、日本の企業の予想成長率は1%程度にとどまり、それを前提に投資、雇用を決めるため、異次元金融緩和の下でも経済は活性化せず、低成長と低インフレが続いた。

【輸出依存のいざなみ景気】
 「三つの過剰」解消後、初の景気上昇となった「いざなみ」景気(平成14年1月~20年2月)でも、平均成長率は2%にとどまった。しかもその中身を見ると、輸出の成長寄与率が7割に達する異常な外需依存型である。国内では雇用と賃金の抑制で雇用者報酬は「いざなみ」景気末期の平成20年になっても、平成14年の水準を下回り、景気上昇中にもかかわらず家計消費は停滞し、住宅投資は減少を続けた。

【経済の現状と先行き】
 リーマン・ショック(平成19~20年)に伴う世界同時不況の後、平成21年から始まった今回の景気上昇期に至り、ようやく本格的な労働需給の引き締まり局面となり、雇用者報酬は平成27年から過去のピークを上回るに至った。輸出のみならず、消費、設備投資を中心とする国内需要も成長に大きく寄与し始めた。しかし世界経済は米中貿易戦争の影響もあって30年以降拡大テンポが鈍化しており、つれて日本の輸出の伸びも下落傾向にある。他方国内では、人手不足が深刻化するなど景気上昇の長期化に伴う中期循環的な下押し要因が現れており、本年10月の消費増税もあって、先行きの景気後退不安は徐々に高まりつつある。

【際立つ日本と西独の差異】
 以上、経済に関する限り、平成時代の31年間は、始めから終わりまで、試練の連続であった。しかし、これは多分に昭和時代末期の失政のツケが回ってきたことによる。振り返れば昭和62年、日欧先進国の景気回復がはっきりしてきた時、日本も西独も「ルーブル合意」以降の超低金利を是正しようとした。その時突如、米国の通貨、株式、債券のトリプル安が発生した(ブラック・マンデー)。しかし、自国経済の安定を最優先にした西独は、その後の為替市場の反応を見ながら翌昭和63年7月~平成元年6月の間に5回も公定歩合を引上げ、自国内のバブル発生を未然に防いだ。
 しかし日本は、平成元年5月までの2年3カ月間、超低金利を放置してバブルの高進を招いた。米国からの超低金利維持の要請が強かったとはいえ、西独にできたことが何故日本にできなかったのであろうか。この失政が平成時代全体を苦しめたのである。

【今上陛下の立派なご足跡】
 将来平成天皇と呼ばれる今上陛下は、憲法にある「象徴天皇」の在り方を真摯(しんし)に追求された立派な天皇であるだけに、天皇のご努力とは関係のない経済面で、平成がこのような時代となったことは誠に残念である。