リフレ派はどこで間違えたか(H30.7.17)
―『世界日報』2018年7月17日号“Viewpoint”(小見出し加筆)

【昭和金融恐慌の研究を踏まえた「リフレ派」】
 日本には「リフレ派」と称するエコノミスト・経済学者の集団が居る。中心は、4月まで日本銀行副総裁をしていた元学習院大学教授岩田規久男氏である。岩田氏には昭和金融恐慌を研究した立派な業績があり、リフレ派の学者の多くも経済政策史が専門である。岩田氏に代わり、新しく日本銀行副総裁に就任した若田部昌澄早稲田大学教授もその一人だ。昭和恐慌の主因が、金本位制復帰に伴う無用な金融引き締めにあるという彼らの分析結果は、いま広く受け入れられている。

【戦後の日本経済にも三つの金融危機】
 戦後の日本経済でも、復興期は別として、3回の金融危機があった。1990年代前半のバブル崩壊後の金融危機、98年以降の大型金融倒産を含む恐慌的危機、2008年のリーマン・ショックに始まる世界同時金融危機、である。

【潜在成長率や自然利子率が低下】
 この三つの危機の過程で設備投資と雇用が抑えられ、全要素生産性(TFP)の上昇率も低下、あるいは下落に転じたため、1980年代に4%強あった日本経済の「潜在成長率」は、2009年には一時マイナスとなり、最近でも1%弱にすぎない。また最近日銀内部で行われた1980~2017年の日本の「自然利子率」(事前的な貯蓄と投資が均衡する実質金利水準)の推計によると、この40年弱のうち初めの20年間ほどは、自然利子率は6%強からほぼゼロ%まで趨勢(すうせい)的に低下し、その後今日まではゼロから1%の間で変動しながら大勢横這(ば)いである。
 この三つの金融危機を経て低下した潜在成長率や自然利子率の下で、消費者物価の前年比上昇率は三つの金融危機のたびにマイナスとなり、回復しても1%未満であった。

【リフレ派の「デフレは貨幣的現象である」にとびついた「アベノミクス」】
 これについて「リフレ派」は、昭和恐慌の研究を踏まえ、「デフレは貨幣的現象である」から、マネタリーベースを膨張させれば物価上昇率は高まり、「物価上昇率が高まれば人々の予想物価上昇率も高まって支出活動が活発になり、経済成長率も高まる」と主張した。この考え方が安倍首相、および周辺のアドバイザーたちの心をとらえ、「アベノミクス」の第1の矢に、「大胆な金融緩和」が掲げられた。そして「リフレ派」に理解のある黒田東彦氏を総裁に、「リフレ派」の総帥も言うべき岩田氏を副総裁に任命し、13年1月の政府・日銀共同声明「日本銀行は、物価安定の目標を消費者物価の前年比上昇率で2%とする。日本銀行は上記の物価安定の目標の下、金融緩和を推進し、これをできるだけ早期に実現することを目指す」を実行させた。

【黒田日銀総裁の空振り】
 13年4月、新任の黒田総裁は「2%の消費者物価前年比」を「2年程度の期間」で実現するため、「マネタリーベースの供給を2年間で2倍にする」という「2」並びの「異次元金融緩和」を打ち出した。しかし、それから6年目に入った現在、マネタリーベースは3・5倍も膨張したが、消費者物価の前年比は0・7%にとどまっている。何故昭和恐慌の教訓は生きなかったのか。それは「リフレ派」が、次の2点で誤りを犯したからだ。

【マネタリーベースは急膨張してもマネーストックの増加率は高まらず】
 第一に「リフレ派」は次のように考えた。マネタリーベースを増やせば、銀行はそれを支払い準備として貸出・有価証券投資を増やし、その結果マネーストックが増える。企業や家計は、そのマネーストックを使って投資や消費支出を増やすので、総需要が増加し、物価上昇率が高まる。ところが結果を見ると、5年間で3・5倍にも膨張したマネタリーベースの多くは日銀当座預金に滞留し、それを7・8倍に膨張させたが、需要拡大を示す日銀券流通高は年率4・5%の増加にとどまっている。

【マネタリーベースの日銀預金滞留はマイナス金利のせい】
 普通の金融情勢であれば、マネタリーベースの保蔵は、日銀預金にせよ、自行の金庫内保蔵にせよ、コール市場に放出すれば得られる金利収入を放棄しているという意味でオポチュニティー・コスト(機会費用)が掛かっている。そこでこのコストを避けるために①これを支払い準備として貸出・有価証券投資を増やす、あるいは②コール市場に放出し、それを取り入れた銀行はこれを支払い準備として貸出・有価証券投資を増やす。①②いずれのケースもマネーストックが増え、投資や消費支出を刺激する。ところが異次元金融緩和の下ではコール・レートがマイナスなので、マネタリーベース保有のオポチュニティー・コストがプラス(利益)となり、貸出・有価証券投資を増やす動機がない。だから日銀預金に滞留するのである。

【自然利子率や潜在成長率を高める構造改革が基本であるべき】
 「リフレ派」が見落としているもう一つの点は、既に述べたように、日本の自然利子率や潜在成長率は、3回の金融危機を経て趨勢的に低下したことだ。企業も家計も今後の成長率や物価上昇率は低いと考え、投資や消費に慎重で、いくら政府・日銀が2%の物価上昇を目標にすると叫んでも、それだけで人々は強気にはならない。TFPを高める構造改革にもっと努力し、さらに税と社会保障の一体改革で国民が信用できる財政再建の道筋を示し、また外国人労働者の活用による労働力不足対策の道を開くなどして、自然利子率や潜在成長率の引き上げに努めない限り、人々の将来の物価や成長に関する予想は高まらないであろう。