金融政策枠組転換の長所短所(H28.10.16)
―『世界日報』2016年10月16日号“Viewpoint”(小見出し加筆)
【デフレから脱出したのは黒田日銀の政策効果】
日本銀行は、去る9月20~21日の政策委員会政策決定会合において、13年4月以来先月までの「量的・質的金融緩和」「その拡大」「マイナス金利付き量的・質的緩和」の政策効果を検証し、それを踏まえて新たに「長短金利操作付き量的・質的緩和」の政策に転換した。
まず政策効果の検証を見ると、大量の国債購入によって名目金利を引き下げ、2%の物価目標に強くコミットすることによって人々の予想物価上昇率を引き上げ、両者の差額である実質金利をマイナスの領域まで大きく引き下げることによって経済を好転させ、13年10月以降今日まで「物価の持続的下落」という意味での「デフレ」ではない状態にしたのは、明らかに13年4月以降の金融緩和政策の効果によるものであるとしている。これにはほとんどの国民に異論はないであろう。
【2年で2%の物価上昇は失敗】
しかし、「2年で2%の物価上昇を実現する」という当初の約束は明らかに未達成である。最近では消費者物価の前年比が0・0%と再びマイナスになりかねない状況にある。これについては、①国際原油市況の大幅下落②消費税率引き上げ後の消費需要の弱さ③新興国経済の減速と国際金融市場の不安定化―などによって国内物価上昇率が低下し、このような足許の実績に左右されて予想物価上昇率も下落に転じたことが原因だとしている。
【対策としてオーバーシュート型コミットメントを打ち出す】
従って対策の基本は、予想物価上昇率を再び押し上げることであるとし、日銀は現実の物価上昇率が「2%を安定的に超えるまで」(「2%に達するまで」ではない)現在の金融緩和政策を続けるという「オーバーシュート型コミットメント」を打ち出した。これによって、人々の2%に向けた「フォーワード・ルッキングな期待形成」が実現することを期待するとしている。
【この対策は疑問】
しかし、この考え方には、疑問がある。まず前記の①~③がなければ、2%は達成されたと言わんばかりの論法であるが、果たしてそうであろうか。過去にコアコアCPI(生鮮食品・エネルギーを除く消費者物価)の前年比が継続的に2%を超えたのは、高度成長の後期、過剰流動性インフレ期、バブル期の後半だけであり、現時点でも企業や消費者の予想物価上昇は1%前後にとどまっている。いくら日銀が「オーバーシュート型コミットメント」をしても、人々がそれを信じて2%超の予想物価上昇率をいだくに至るとは到底思えない。
【2%インフレは解決策にならない】
もし日銀が、2%超のインフレさえ実現すれば、その下でより高い日本経済の持続的成長が実現すると考えているとすれば、これも問題である。インフレの初期には販売価格が先行して上昇するので企業収益は好転するが、原材料や設備の価格と賃金の上昇が追い付いてくれば企業収益は悪化し、景気後退に陥る。
【日銀は金融政策の最終目標をほぼ達成している以上、中間目標にすぎない2%インフレに固執するな】
9月18日の本欄にも書いたが、そもそも金融政策の目標は「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」(日銀法第2条)である。この意味は、「物価の安定」は手段、ないしは中間目標で、最終目標は「国民経済の健全な発展」であるということだ。経済学の用語で言えば「持続的成長で完全雇用を維持し、国民の厚生を高める」ことである。
現在、日本経済は「デフレではない」状況の下で、緩やかに成長しているが、生産年齢人口が減少しているため、低成長下でも失業率は3・1%と完全雇用に近い。これはほとんど政策目標を達成していると言える。このような時に、何故中間目標にすぎない物価目標の2%に固執するのか。過去3年間、コアコアCPIの前年比が0・3~1・3%の下で成長が持続し、完全雇用をほぼ達成したのであるから、今さら物価上昇率を2%に引き上げる必要はない。目標の2%は棚上げし、無理やり2%に押し上げる「オーバーシュート型コミットメント」はやめた方がよい。このコミットメントは、2%インフレを実現すれば日本経済は万事うまくいくと主張してきた「リフレ派」のメンツを立てるための誤った政策としか思えない。
【速攻型から持久戦型の運営に転換したことは評価】
誰が見ても早晩限界にぶつかる国債の大量買い上げによるマネタリーベースの増加という短期決戦型の「量」の政策から、国債買いオペやマイナス金利の日銀当座預金などによって長短の「金利」を操作する持久戦型の政策運営に切り替わったことは、高く評価したい。10年物で0%という目標長期金利の実現に必要な国債買入額は、恐らく年間80兆円より少ないと見られるので結果的に国債買入額は減額されるであろう。それによって将来の出口政策における日銀や民間の損失リスクが小さくなるのは良いことである。今後、成長を維持し、完全雇用を保ったために、金融緩和政策を強化する必要が出てくれば、事前に「市場との対話」を十分に行った上で、日銀当座預金のマイナス金利を深掘りすればよい。
金融政策が持久戦型に変わった今こそ、政府は生産性向上を実現する構造改革に、じっくりと取り組まなければならない。