戦後金融政策の試練と挑戦(H27.8.18)
―『世界日報』2015年8月18日号“Viewpoint”(小見出し加筆)
【インフレ抑制と産業復興の相反する課題】
戦後70年間、日本の金融政策は試練と挑戦の連続であった。
敗戦直後、金融政策はハイパー・インフレーションの抑制(金融収縮)と産業復興資金の供給(金融拡張)という相反する二つの課題を背負って苦闘した。二つの課題解決が中途半端になっているのを見て、48年12月、米国は「経済安定9原則」を日本に突き付けた。超均衡財政と融資抑制というドラスティックな緊縮政策を要求し、49年4月に1ドル=360円の単一為替相場を設定した。いまのギリシャ経済のような縮小均衡の政策である。
【ギリシャ化寸前の朝鮮動乱勃発】
日本銀行は「ディスインフレーション」政策と称し、財政緊縮のデフレ・インパクトを金融緩和で和らげ、日本経済が大不況に陥るのを防いだ(実態は「ディスデフレーション政策」)。しかし米国側はこれを見抜き、50年に厳密な「9原則」の実行を迫ってきた。しかしその時、50年6月、朝鮮動乱が勃発した。
【日本経済の自立】
50~51年の特需・輸出景気、51~53年の投資・消費景気によって、日本経済の規模は戦前のピークを抜き、貿易・サービス収支は大幅黒字を達成した。米国は支援を打ち切り、日本経済は自立した。政治的にも、51年9月の平和条約締結で、施政権を取り戻した。
55~73年の高度成長が始まった。欧米先進国の最先端技術を導入する設備投資と、そのための外貨を稼ぐ輸出を最優先する「輸出・投資主導型成長」である。日本銀行は、輸出金融優遇制度でこれを支援した。
【高度成長で先進国の仲間入り】
しかし、当時の日本経済はまだ底が浅く、10%を超える高成長になると、供給力が追い付かず、輸入急増と輸出鈍化で経常収支は赤字となった。外貨準備も少なく、IMFの借款で外貨繰りをつなぐような有様であったため、強烈な金融引き締めで「国際収支節度」を守った。金融引き締めで国内需要が落ち、成長率が鈍化すると、輸入は減少し、反面で強い輸出圧力が掛かり、経常収支は黒字に戻った。引き締めは解除されて、再び輸出・投資主導型の高成長が始まった。
高度成長期中、金融引き締めと緩和は6回繰り返され、景気と物価は大きく変動したが、平均すると物価横這いの下で成長率は年率10%に達し、遂に先進国の仲間入りを果たした。
【日独の復興でブレトン・ウッズ体制は崩壊】
68年から、日本の経常収支は恒常的な黒字となった。69年に国内の景気が過熱し、物価が上昇したため引き締め政策が行われ、物価の沈静で70年には解除されたが、経常収支の黒字と外貨準備は益々膨張した。西ドイツも同じような状況にあった。これが引き金となって、71年8月、米国はドルと金の兌換を一方的に停止し(ニクソン・ショック)、日本や西ドイツなどに対ドル為替レートの切り上げを迫った(スミソニアン会議)。戦後のブレトン・ウッズ体制は崩壊し、円は対ドルで16・88%切り上がったが、73年2月には変動為替相場制に移行し、円は更にフロート・アップした。
【狂乱物価の反省でマネーサプライ重視政策】
円の大幅切り上げにも拘らず、日本の景気は71年12月を底に回復し始めた。大不況を恐れた「列島改造」の超大型財政と「過剰流動性」を生み出す大金融緩和によって、72年秋からインフレが始まり、緊縮政策への転換の遅れと73年10月の第一次石油ショックによって、74年には「狂乱物価」となった。
この反省に基づき、日本銀行は「マネーサプライ重視政策」を開始し、75~84年の10年間は、二つの石油危機を乗り越え、先進国中最高の平均約5%の中成長を維持しながら、物価安定と経常収支の黒字を維持した。
【プラザ合意を守ってバブルに突入】
しかし、経常収支の赤字拡大とインフレに悩む米国は、85年9月、G5諸国が協調して米ドルの日欧通貨に対する下落を誘導する「プラザ合意」を成立させた。ドル売の協調介入と米対日欧の金利差縮小によってドルは十分に下落し、87年2月の「ルーブル合意」で打ち止めとなった。日本の景気は、円高ショックを乗り越え、86年12月から回復していたが、87年10月のニューヨーク市場の「トリプル安」以降、日本に低金利維持の強い要請が米国からあり、89年5月までの2年3カ月間、景気回復の下で低金利を維持した。これが地価・株価のバブル膨張を決定的にした。
【日本経済の挫折】
引き締め転換によってバブルが崩壊すると、経済はバランスシート・リセッションに陥った。とくに13兆円の赤字を一気に縮めようとした97年度の超緊縮予算の執行により、バブル崩壊に伴う不良債権を抱えた金融システムは危機状態となり、平成金融恐慌が発生した。97~01年度の5年間、通計してゼロ成長となり、企業の先行き感は極端に弱気化し、15年間のデフレが始まった。ゼロ金利でも投資が立ち直らない「流動性の罠」に陥り、量的金融緩和を世界に先駆けて採用した。更にリーマン・ショックに伴う世界同時不況に襲われた。
【異次元金融緩和でどうなるか】
現在の黒田日銀の「異次元金融緩和政策」も、この延長線上にある。果たして2%のインフレ目標は実現出来るのか、その先のインフレ高進リスク、金利上昇に伴うシステミックリスクをどう乗り越えるのかが次の課題である。