日米金融緩和政策と経済パフォーマンスの比較(H27.3.10)
―『世界日報』2015年3月10日号“Viewpoint”(小見出し加筆)

【97年の金融危機後日本は15年間の低成長とデフレに】
 日本では、1997年の金融危機発生後、低成長とデフレが続き、「失われた15年」となったが、その間に日本銀行は世界に先駆けて「非伝統的金融政策」(ゼロ金利政策と量的金融緩和政策)を実行した。しかし、成長率は引き続き低迷し、13年までデフレから脱却することは出来なかった。専門家の間では、この時期の量的緩和政策は、人々の不安を和らげてリスク・プレミアムを圧縮し、金融システムの安定に寄与することは出来たが、経済活動を刺激する効果はほとんど無かったとされている。

【08年の金融危機後米国は2年間で立ち直りデフレ回避】
 ところが、08年のリーマン・ショック後の米国では、金融危機の発生によって08年と09年にはマイナス成長に陥ったが、10年にはプラス成長に戻り、その後今日までの5年間はプラス成長を維持し、景気は徐々に回復して今日では完全雇用に近づいている。その間に消費者物価は、09年に下落したが、10年から今日までは2%前後のインフレ率を保ち、デフレには陥らなかった。

【公的資金投入のタイミングに差】
 日米は同じように金融危機に見舞われながら、どうしてこのような違いが生まれたのであろうか。少なくとも二つの政策面の差を指摘することができる。
 一つは、金融危機の際の公的資金投入のタイミングである。マクロ経済の急激な悪化で、経営の良し悪しに関係なく、すべての金融機関の不良債権が急増し、経営が一斉に悪化して、金融システムを麻痺させるような大型金融倒産が起きそうな場合には、たとえ破綻前であっても、大型金融機関を含む金融機関一般に速やかに公的資金を投入して経営破綻を回避させ、システム危機を防ぐのがマクロプルーデンス政策の常道である。経営者や株主の責任は、その後で問えばよい。
 08年の米国では、MBS(住宅ローン担保証券)の買い上げなどで積極的に公的資金を投入し、大型金融倒産を回避した(唯一の失敗がリーマンブラザーズの倒産)。このため米国は、1年半程で危機から脱出することに成功した。

【公的資金投入に世論の批判が強く、後手に回った日本】
 これに対して97年の日本では、96年に住専処理に6800億円の公的資金を投入し、農林系統金融機関を救った際に、世論が強い反発を示したために、金融システム危機に先手を打つ公的資金の投入が後手に回った。97年秋から大型金融倒産が始まったにも拘らず、98年10月になって金融再生法や早期健全化法をようやく制定し、公的資金の注入を始めたのは99年3月からであった。このため、日本の金融倒産と金融危機はダラダラと長引いて経済の停滞とデフレを招き、03年4月のりそな銀行への公的資金投入まで6年間も続いた。
 このような日米の金融危機の長短が、その後のマクロ経済パフォーマンスの違いを生み出したことは、疑いない。

【米国の量的金融緩和(QE)は実施が早く5年間に及び規模を拡大】
 日米の金融危機からの立ち直りに違いを生み出したもう一つの理由は、金融緩和政策の違いである。米国のFRBは、金融危機直後の09年に、QE1(量的緩和第1弾)と呼ばれる大規模な量的緩和政策を実施、続いて10年にはQE2(同第2弾)を実施するとともに、2%のインフレ目標を設定し、デフレ脱却とプラス成長復帰に成功した。更に12年9月にQE3、13年1月にはQE4を実施し、FRBの保有資産残高の対GDP比率は、6%から27%に急上昇した。

【日本は97年に量的拡大をしたので08年には動かず、円高・ドル安と株価低迷を招く】
 これに対して日本銀行は、リーマン・ショック後に金融危機が発生しなかったので、13年4月に黒田東彦総裁が着任して異次元金融緩和を実施するまでは、FRBのような勢いで資産買い上げを行わなかった。日本銀行は97年の金融危機以降、経済停滞とデフレに直面し、01年からは世界初の非伝統的金融政策(ゼロ金利と量的緩和)に踏み切ったので、日本銀行保有資産の対GDP比率は05年まで世界に先駆けて大きく上昇した。
 しかし、リーマン・ショックの08年以降だけを見れば、日本に金融危機が発生しなかったので、この比率は05年から12年までほぼ横這いとなり、08年から急上昇したFRBとの違いが鮮明となった。この違いが08~12年の大幅な円高・ドル安、日本の株価低迷と米国の株価回復、ひいては日本の低成長とデフレ、米国の景気回復とデフレ回避という違いを生んだ。

【黒田日銀の異次元金融緩和で日米関係は逆転】
 13年から始まった黒田日銀の異次元金融緩和で、日銀保有資産の対GDP比率はFRBの2倍に相当する60%にまで上昇した。08~12年の日米関係は逆転し、円安、ドル高が大きく進み、日本の株価もリーマン・ショック直後の水準まで回復した。14年は4月の消費増税ショックによってゼロ成長となったが、GDPデフレーターの上昇で名実逆転は解消し、名目成長率は1・7%に高まった。

【円安・株高の持続性、円安効果による輸出数量の伸び、企業収益好転の設備投資、雇用・賃金への影響が15~16年度の日本経済を決める】
 今後は14年10月の異次元緩和第2弾以降の円安、株安がいつまで続くか、ようやく出てきた円安の効果で輸出数量がどの程度伸びるか、円安と株高に支えられた企業収益の好転で設備投資と雇用、賃金の回復がどの程度進むかによって、15~16年の経済回復の姿が決まってくるであろう。