アベノミクスに踊らぬ企業 (H25.5.13)
―『世界日報』2013年5月13日号“Viewpoint”(小見出し加筆)

 昨年の総選挙の際、安倍晋三首相が「アベノミクス」を打ち出してから5か月、黒田東彦総裁の下で日本銀行が「量的・質的金融緩和」を打ち出してから1カ月が経った。今回は日本経済の中に出ている二つの政策の影響を見てみよう。

【米欧と日本で異なる中央銀行資産およびマネタリ―・ベース残高の対GDP比率の推移】
 だれの目にも明らかなのは、円安と株高だ。日本と米欧の中央銀行資産残高対GDP比率やマネタリー・ベース残高対GDP比率の推移をみると、日本では金融危機が発生した1997年から2005年まで急上昇し、米欧を大きく上回ったが、金融危機が収まった後にやや低下し、リーマン・ショック後に再び上昇したものの、その水準は05年と同程度である。しかし、リーマン・ショックで金融危機が発生した米欧は、その時(08年)から始めて急上昇した。従って、リーマン・ショック後を比較すると、国内に金融危機が発生しなかった日本の上昇率は、米欧に比べて小さい。

【白川前総裁と黒田現総裁の考え方の違い】
 白川前総裁は、日本は金融危機を先に経験し、量的緩和を初めて実施した、いわばフロント・ランナーであり、一周遅れの米欧は、リーマン・ショック時の金融危機発生で、日本と同じような量的金融緩和を実施し、日本の状況に追い付いたのだと語っていた。
 しかし、リーマン・ショック後の比率上昇の割合に限ってみれば、日本が米欧より小さかったのは事実であり、そのために日本の円が米欧の通貨に対して円高となり、デフレの一因となったことは否定し難い。黒田総裁が金融危機の有る無しとは関係なく、今後2年間で、日本の比率を米欧の2倍に引き上げることが、デフレ解消のために必要だと考えたのは、このためであろう。今のところデフレ解消の気配はないが、円高修正(円安)は確かに大きく進んでいる。

【円安と株高の背後に「合理的期待」の働き】
 東京株式市場の上場企業の5割は製造業で、その大半は輸出企業であるから、この円安は企業業績好転の「期待」を膨らませた。将来の姿に関する「期待」が直ちに現在の姿となって現れる「合理的期待」は、専門家集団から成る金融市場ではかなりの程度成立するので、今後2年間に日本の中央銀行資産やマネタリー・ベースの対GDP比率が米欧のそれらに比して飛躍的に高まるという「期待」は、それがまだ実現していない現在の為替市場の円安に反映され、また、アベノミクスがまだフルに動き出していない現時点でも、将来の金融相場や業績相場の「期待」が株式市場に投影されて株高になった。

【マネタリ―・ベース増加に対する銀行の反応はまだ不確か】
 次に、買オペ増加によるマネタリー・ベースの供給増加は、取り敢えず銀行の日本銀行に対する預け金の増加となったが、この準備金の増加に伴って銀行の貸出や証券投資が積極化しているかどうかについては、まだ正確には把握できない。1~3月期に、銀行と信金を合計した貸出残高が前年比プラス1・5%と前期(プラス1・0%)より高まり、マネー・ストック(M2)の前年比もプラス2・3%(前期)からプラス2・9%へ、季調済み前期比ではプラス2・9%(前期)からプラス4・2%へ高まってはいる。しかし、住宅ローンを別にすれば、国内の企業や個人への貸出よりも、海外で活動する企業への貸出が伸びているようだ。

【長期金利低下の狙いは外れた】
 最後に、国債発行額の7割程度を日銀が市場から買い上げ、買い上げ国債の残存期間を現在の3年弱から7年程度に伸ばすことによって、長期金利の低下を促す政策意図は、うまく行っていないようだ。大量の買オペに伴って市場が一時的に品薄となり、金利が急低下のあとに急上昇する混乱があったが、落ち着いてみると政策実行前よりも5年物、10年物の国債市場金利は上昇し、これを反映して住宅ローン金利も引き上げられた。今回の政策は、消費者物価の上昇率(消費税率引き上げの影響を除く)を2%に引き上げることを目標にしている以上、市場関係者がその成功を信じて「期待」に織り込めば、長期金利は上昇するのが自然である(フィッシャー効果)。

【輸出数量の回復はまだ、家計消費と住宅投資は反応】
 さて、以上の結果、実体経済がどう動いているかを見ると、円安によって輸出企業の採算は好転しているが、1~3月現在、輸出数量の明確な回復は始っていない。
 家計消費と住宅投資は、株価上昇の資産効果に加え、物価と金利と消費税率が上昇する前の駆け込み心理も働いて、本年度末までは底固く推移しそうである。

【企業は投資・雇用の拡大やベース・アップに依然として慎重】
 しかし、肝心の企業行動には動意がない。もともと十分な内部留保を持ちながら投資と雇用の積極的拡大やベース・アップに動かなかった日本の企業は、輸出採算の好転や銀行貸出のアベイラビリティー上昇があっても、「アベノミクス」によって本当に日本経済の持続的高成長とデフレ解消、2%インフレが実現すると確信が持てるまで、本格的投資・雇用の拡大とベース・アップには踏み切れないのではないか。今春闘で一時金の引き上げにしか応じなかった経営者の態度が、それを端的に物語っている。