黒田東彦次期日銀総裁が担う難題 (H25.3.11)
―『世界日報』2013年3月11日号“Viewpoint”(小見出し加筆)

【安倍首相に同調して金融緩和を強調する黒田氏】
 政府は、次の日本銀行総裁に元財務官の黒田東彦アジア開発銀行総裁をあてる人事案を国会に提示した。これを受けて、3月5日に衆議院で黒田氏の所信聴取が終わり、11日には参議院で所信聴取が行われる。
 安倍晋三首相は、かねてから次期日銀総裁について「より大胆な金融緩和によってデフレ脱却を図れる人」が望ましいと公言してきた。黒田氏はそれに応じるように、所信表明の中で、デフレ脱却のために「何でもやる」と述べ、「量的にも質的にもさらなる緩和策」を実行することによって、2年ぐらいで2%の物価上昇率目標を達成すると発言した。

【短期的視野に傾きがちな政治家】
 政治家は目先の景気や物価を気にして、視野が比較的短期になる傾向がある。現状では7月の参院選までに景気回復に勢いをつけて勝利し、4〜6月期の実質GDPの高成長が明らかになる秋には、来年4月からの消費税率3%引き上げを決定したいというのが、政府・与党の最大の関心事である。だから「アベノミクス」は、@大胆な金融緩和を叫んで円安と株高を煽り、A13兆円の12年度補正予算で4〜6月期と7〜9月期の成長率を押し上げようとしているのである。

【長期的視野が必要な中央銀行総裁】
 しかし、金融政策を担う中央銀行総裁の視野は、そのように短期であってはならない。物価安定を通じて、経済の健全な発展を長期的に図るのが日本銀行の責務である。だから日銀政策委員(総裁を含む)の任期は5年、欧州中央銀行理事(同)は8年、米国連邦準備制度理事(議長を含む)は14年と長いのである。政治家である安倍首相と一緒になって、黒田氏は総裁任期5年のうちの始めの2年ほどの超金融緩和しか語っていないが、残りの3年以上の間には、何が持ちうけているのか分かっているのであろうか。

【来年1〜3月期までの景気回復は確実】
 今年の1〜3月期から来年の1〜3月期までは、5四半期連続のプラス成長となる公算が高い。マイナスだった設備投資と輸出がプラスに転じ、家計消費、住宅投資、公共投資は引き続き増勢を保つと見られるからだ。とくに来年4月からの消費税3%引き上げが確定すると、10〜12月期と来年1〜3月期には増税前の駆け込み需要で家計消費と住宅投資が大きく増加し、「アベノミクス」で勢いのついた本年度上期の経済は、下期にも高い成長を続けよう。しかし、その反動で来年4〜6月期と7〜9月期には家計消費と住宅投資が落ち込み、マイナス成長に陥るとみられる。

【「アベノミクス」に成功すれば来年は「出口政策」】
 ここからシナリオは分かれる。もし「アベノミクス」のB成長戦略がうまく機能し始めていれば、設備投資と輸出は根強く伸び続けるはずだから、落ち込みは半年程度で終わり、力強い経済成長が戻ってくるだろう。この時、消費者物価指数(CPI)は消費税引き上げの影響もあって2%以上の上昇率となっているはずだ。黒田氏はこれで2%の目標を達成したとするのであろうか。それとも実勢は2%以下だからといって、超緩和を続けていくのか。黒田氏は、就任2年目にして、早くも大胆な金融緩和からの「出口政策」の可否に直面することになる。公開市場委員会の議事録によると、米国では超緩和の現状の下で、早くも「出口政策」の議論が始まっているが、日本はいつから「出口政策」をさぐるのか。

【日本銀行は過去において2回「出口政策」に失敗した】
 日本銀行は過去に、政府から円高防止のための金融緩和継続を強く求められ、「出口政策」(政策転換)が遅れて、72〜73年の大インフレ(74年には石油危機で「狂乱物価」)と87〜89年の資産バブル(90年以降はバブルの崩壊で「失われた20年」へ)を起こした経験がある。特に、87〜89年の資産バブルは、インフレ率が2%以下で発生したのである。金融超緩和を手仕舞う「出口政策」ほど難しいことはない。「大胆な金融緩和」を売りにして就任する黒田氏には、「真逆の課題」である。

【「アベノミクス」に失敗した場合は更に難しい課題に直面】
 もう一つのシナリオは、「アベノミクス」のB成長戦略が、うまく始動していないケースである。その場合は、消費税率引き上げの駆け込み需要の反動による落ち込みに続いて、14年10〜12月期以降も低成長が続くことになろう。それまでのA財政出動で財政赤字は拡大し、消費税率引き上げで財政再建に乗り出したばかりである。15年10月からの消費税率2%の再引き上げを中止したり、再度の財政出動を実施すれば、日本は財政再建を放棄したと思われ、市場の反乱で国債の値崩れと長期金利の上昇が起きるかもしれない。そうなれば、国債を大量に抱えた金融機関の収益が悪化し、金融危機が起きるかもしれない。長期金利の上昇で金利負担が嵩み、財政赤字が一層拡大する政府は、金融システムの安定を図る公的資金の供給に苦労することであろう。

【黒田氏が担う困難な役割】
 この時、日銀総裁には二つの重責が懸ってくる。一つは金融システムの安定、もう一つは2%を超える物価上昇・資産バブルと景気停滞で発生するスタグフレーション・国民生活の破壊に対する対応である。二つとも「大胆な金融緩和」で対処できるような単純なケースではない。