赤字削減至上主義は誤り (H24.9.12)
―『世界日報』2012年9月12日号“Viewpoint”(小見出し加筆)

【リーマン・ショック直後の水準に戻っていない日本の経済規模と所得水準】
 現在の日本経済は、リーマン・ショック後4四半期に及ぶマイナス成長(通計マイナス9・2%の下落)から立ち直り、東日本大震災のショックによる2四半期のマイナス成長(同マイナス2・5%の下落)を乗り越えて、徐々に回復しつつあるが、それでも2012年4〜6月期現在の実質GDPは、リーマン・ショック直前の08年1〜3月期に比べて、まだマイナス1・7%低い水準に在る。
 この4年1四半期の間にも設備投資は続いて供給能力は伸びていたから、供給能力と需要のギャップは拡大し、デフレ(物価水準の持続的下落)が続いている。雇用と給与総額から成る名目雇用者報酬は、リーマン・ショック直前の08年4〜6月期に比し、本年4〜6月期はマイナス5・3%低い水準にある。国民の所得水準も未だにリーマン・ショック直前の08年4〜6月期の水準を回復していない。

【流動性の罠にはまった日米欧経済とケインズ政策】
 このため企業の設備投資意欲は弱く、量的緩和とゼロ金利の下でも設備投資主導の回復は起こらず、企業は収益を溜め込むばかりで投資に使おうとしない(流動性の罠)。
 現在の米国とユーロ圏諸国の経済も同じ状態にある。ゼロ金利政策を実施しているのに、米国の成長率は潜在成長率以下から回復せず、失業率はリーマン・ショック前の4%台に比べ、現在は8%台に高止まりしている。ユーロ圏の今年の成長率はマイナス成長と予測され、失業率はリーマン・ショック前の7%台に比し、最近は11%台に乗ってきた。
 かつてケインズは、金融政策が罠にはまって有効性を失った需要不足経済では、財政政策が支出拡大によって需要を刺激し、成長と雇用の回復を図るべきだと主張した。現在でも、リーマン・ショック後の08〜10年には、日米欧の政策当局はゼロ金利政策と並んで財政拡張政策を採用して経済の回復を図った。

【「ギリシャ化の恐怖」で台頭した反ケインズ政策】
 しかし、その結果、財政赤字が拡大し、政府債務が増加すると、10〜11年頃からは目先の成長や雇用よりも、財政赤字と政府債務に注意を払い、財政緊縮政策に転換すべしという主張が、日米欧で起こってきた。
 その直接の切っ掛けは、「ギリシャ化の恐怖」である。しかし、日米における「ギリシャ化の恐怖」は自国通貨建ての日米国債とユーロ建て国債の違いを理解していない人の「故なき恐怖感」である(5月9日付本欄参照)。

【財政緊縮が成長を促進した歴史上の事例は存在しない】
 「緊縮論者」や「赤字削減至上主義」の論拠は、財政赤字や政府債務を縮減すれば、国民が将来の大幅増税などの「不安感」から解放され、「安心感」から支出を拡大するので、その拡張効果の方が、財政赤字削減の縮小効果よりも大きいという「非ケインズ効果」だ。
 しかし、各国の経済史を研究した成果を見ると、財政緊縮と経済成長が両立したケースは、常に他の要因(世界的ブームや為替相場下落による輸出急増〈02〜07年の日本のケース〉、ITバブルの発生〈97〜00年の米国のケース〉など)で経済が拡大した場合であり、他の要因が無い時に両者が両立したケースは存在しない。とくに今日のユーロ周縁国には、「他の要因」はユーロ圏黒字国が作り出さない限り存在しない(6月13日付本欄参照)。

【「創造的破壊」や「ストック調整」は有効に機能しない】
 経済学説史上は、シュンペーターやハイエクの「清算主義」が緊縮論の先駆で、緊縮政策の下で古い産業、企業は廃れ、新しい技術革新の担い手が発展するという「創造的破壊」の考え方である。ヒックスの『景気循環論』にあるストック調整原理も、市場経済の自律回復のメカニズムを説いている。
 しかし、現代の日本経済では、環境、エネルギー、医療、介護、育児、農業などにイノベーションの機会はあるが、それらが緊縮政策の下で自律的に伸びてくるとは思えない。やはり、政府の成長戦略に基づく規制緩和、財政支援などが必要であろう。活気に満ちた発展段階は、もうとっくに終わっているのだ。
 ストック調整原理についても、90年代から00年代にかけて、企業は設備、雇用、負債の「三つの過剰」を整理したが、その過程で企業の期待成長率と期待インフレ率が低下して定着し、1%弱の潜在成長率とデフレ(物価水準の持続的低下)が常態化してしまった。このためストック調整原理による回復は、力を欠いたものでしかない。

【今は拡張的財政政策で期待成長率と期待インフレ率を高めよ、それが財政の基礎的収支を改善する唯一の道】
 13・5兆円の消費増税を実施した場合の破壊的影響は計り知れない(8月9日付本欄参照)。逆にいま増税時期を先送りしても、日本の「ギリシャ化」は絶対に起きない。持続的成長とデフレ解消を目指す拡張的財政政策を実施する政権になれば、消費者、企業、市場の期待が変わり、期待成長率と期待インフレ率の上昇に伴って経済は立ち直り、金利上昇と株高の同時進行になる。この金利上昇は財政の利払い負担を増やすが、「財政の基礎的収支」は支払金利とは無関係なので悪化しない。
 経済の持続的成長とデフレ解消こそが税収を回復させ、「基礎的収支」を改善する。少子高齢化に備えて改善を早めるため、消費税率の段階的引き上げを考えるのは、この局面である。