経常収支の悪化は一時的か構造的か (H24.2.14)
―『世界日報』2012年2月14日号“Viewpoint”(小見出し加筆)

【年間で貿易収支が赤字に転落したのは1967年以来】
 昨年の日本の貿易収支が1兆6089億円の赤字となった。年間で貿易収支が赤字に転落したのは、円建のIMF方式で国際収支統計が発表されるようになった1985年以降、初めてである。それ以前のドル建統計を遡ってみても、高度成長末期の1968年に黒字に転じた後は、一貫して黒字であった。
 昨年は所得収支が14兆296億円の黒字となったため、貿易収支の赤字は帳消しとなり、経常収支は9兆6289億円の黒字となった。それでも、前年の黒字額17兆801億円に比べると、大幅な縮小である。

【経常収支が赤字と黒字を繰り返した高度成長期】
 経常収支の黒字額は、日本国内の貯蓄マイナス投資、すなわち貯蓄超過額に等しく、その累積は対外資産超過額となる。高度成長期の日本は、家計部門の貯蓄超過が大きかったが、高度成長を担う企業部門の投資超過も大きかったので、しばしば国内経済全体は投資超過となり、経常収支は赤字となった。その度に果敢な金融引き締めによって企業部門の投資超過を減らし、経済全体を貯蓄超過に戻して(経常収支を黒字に戻して)、1j=360円の固定相場を維持してきた。これは固定相場制下の「国際収支節度」である。

【1968年以降は経常収支の黒字が常態化】
 しかし、高度成長末期の1968年以降は、企業部門の投資超過が家計部門の貯蓄超過を常に下回るようになり、経常収支は恒常的に黒字となって、対外資産超過額はどんどん累積した。これが一つの引き金となって、1971年8月のニクソン・ショックとなり、更に73年2月の変動為替相場制への移行となって、ブレトン・ウッズ体制は崩壊した。
 変動為替相場制の下で円高は進んだが、日本の経済収支は、二度の石油ショック時73〜75年と79〜80年に一時的に赤字となっただけで、あとは恒常的な黒字が続いた。高度成長の終焉で企業部門の投資超過は大きく縮小し、「失われた10年」が始まった1998年以降は逆に貯蓄超過に転じ、2000年代に入るとその額は家計部門の貯蓄超過を上回るに至った。家計部門と企業部門の貯蓄超過を吸収するのは公的部門の投資超過(財政赤字)と海外部門の投資超過(経常収支黒字)の役割となった。

【昨年の経常収支悪化の背景は貯蓄超過の劇的縮小】
 このような状態が40年ほど続いたあと、昨年に異変が起こったのだ。経常収支の黒字が始めに述べたように劇的に縮小したのである。2011年の資金循環勘定はまだ公表されていないが、経常収支の黒字額が劇的に縮小したということは、それと表裏の関係で、2011年の国内の貯蓄超過額が劇的に縮小したことを意味する。
 そこで、経常収支を悪化させた貿易収支赤字の要因を、一時的、循環的、構造的の三つに分け、貯蓄超過との関係を見てみよう。

【一時的要因は東日本大震災とタイ大洪水による企業収益の減少】
 一時的要因は、3月の東日本大震災による被災地企業・社会資本の損害と全国的なサプライ・チェーンの寸断、および11月のタイ大洪水に伴う現地工場の損害、日本への原料・部品供給の中断だ。日本国内の生産能力は一時的に低下し、輸出の減少と輸入の増加を招いた。これは貿易収支の悪化要因であると同時に、企業収益の減少要因であり、企業部門の貯蓄超過を減らした。また3次にわたる補正予算(震災対策)は公的部門の投資超過を拡大した。

【循環的要因は世界経済の成長鈍化と円高の進行】
 循環的要因は、欧州の財政・金融危機、米国経済の失速、新興国の成長鈍化により、世界経済の成長率が低下し、同時に円高が進行したため、日本の輸出が停滞し、企業と家計の所得と貯蓄超過が減少したことである。

【構造的要因は電力源の原子力から火力へのシフト】
 最後に構造的要因は、原子力から火力へのシフトに伴い、電力の供給不足とコストの上昇が企業収益、ひいては企業部門の貯蓄超過を減らした。また火力へのシフトに伴うLPGや石油の輸入増加は、貿易収支を悪化させ、それらの値上がりは日本の交易条件を悪化させて所得と貯蓄の減少要因となった。

【本年の経常収支黒字は拡大する】
 以上のうち、一時的要因は早晩解消に向かい、循環的要因は多少とも好転し、構造的要因も停止原発の稼働が可能になれば和らぐかもしれない。その限りでは、本年の経常収支の黒字は、昨年よりは増えるであろう。

【家計貯蓄率の低下と財政赤字の拡大は経常収支の趨勢的悪化要因】
 しかし、もう少し長い目で見ると、日本には少子高齢化に伴う家計貯蓄率の低下と財政赤字(公的部門の投資超過)の拡大という趨勢がある。これは国内の貯蓄超過を減らし、経常収支を悪化させる。家計貯蓄率の低下は如何ともし難い。しかし、公的部門の投資超過の拡大は、税と社会保障の一体改革によって止めることが出来るかも知れない。それが出来ない場合は、目先の経常収支黒字が一時拡大しても、やがては縮小に転じ、遂には赤字に転落して対外資産超過額が減り、最終的には対外負債超過国に転落する日が迫って来る。
その過程で国債の海外保有比率が高まり、政府債務残高対GDP比率が先進国中最高の200%である日本は、国債暴落の悪夢に怯える日が来ないとは限らない。