世界経済の構造変化と新しい日本の経済戦略 (H22.5.19)
―『世界日報』2010年5月19日号“Viewpoint”(小見出し加筆)

【新興国・途上国の発展と先進国の地盤沈下】
 日本を含む世界経済は、一昨年秋のリーマン・ショックに伴う激しい落ち込みから脱け出し、昨年後半以降、徐々に立ち直りつつあるが、これによって世界経済が、金融危機以前の姿に戻るとは思われない。いくつかの大きな変化が起きており、日本は、この新しい世界経済の構造を展望して、これからの経済戦略を考えなければならない。
 第一は、アジアを中心とする新興国・途上国の発展と先進国の地盤沈下である。4月に発表された国際通貨基金(IMF)の世界経済見通しによると、本年の世界経済は前年の0.6%のマイナス成長から4.2%のプラス成長に戻るが、これは新興国・途上国の成長率が前年のプラス2.4%から本年のプラス6.3%に高まるからである。先進国は前年の3.2%のマイナス成長を穴埋めすることが出来ず、本年は2.3%のプラス成長にとどまる。

【資源価格の上昇傾向】
 第二に、新興国・途上国の高成長に伴い、世界の資源需給は構造的に引き締まり、国際商品市況が上昇傾向を辿る恐れがある。現に、世界同時不況で一時的に反落した金や石油の市況が早くも強含み、鉄鉱、非鉄、石炭、希少金属の市況も高止まりしている。これには金融危機に伴い資金が金融・資本市場を逃れ、商品市場に流入している面もあるが、その背後には商品市況の構造的な先高感がある。

【先進国のソブリン・リスク】
 第三は、リーマン・ショックに伴う急激な需要の落ち込みを止めるため、先進国は大規模な財政出動を行ったが、これに伴う財政赤字の大幅拡大からソブリン・リスク(国債のデフォルト・リスク)が構造的に高まっている。ギリシャの危機はその典型であるが、他にもポルトガル、スペイン、アイスランド、トルコ、ドバイなどがあり、G7ではイギリス、イタリアの財政状態が悪い。

【三つの構造変化の日本に対するインプリケーション】
 以上の三つの構造変化は、これからの日本の経済戦略にとって、大切なインプリケーションを持っている。
 第一に、アジアを中心とする新興国・途上国との結び付きを強めることが大切である。第二に、積極的な資源外交を強めると同時に、省資源・省エネルギー・エネルギー源転換などの技術革新による供給製品や産業構造の改革が大切である。第三に少子高齢化による貯蓄率の低下や経常収支の黒字縮小により、日本国債の外人保有(現在は5%程度)が増えて日本のソブリン・リスクが問題にならないように、今から着実な財政赤字縮小の中期行程表を作ることが大切だ。
 この三つは今後の日本の経済戦略を構成する重要な要素であり、相互に絡む問題であるが、この小論で総てを論じるには紙幅が足りない。ここでは、第一の問題の「考え方」(「具体策」ではなく)に絞って論じてみたい。

【輸出でGDPを増やすことだけを考えていた日本】
 日本ではこれまで経済の戦略的目標は「実質GDP(国内総生産)」であった。輸出・投資最優先の戦略で実質GDPの成長率を高め、18年間の高度成長を実現して先進国の仲間に入った。その後、日米間の貿易不均衡が国際経済の攪乱要因として非難されると、国内総生産の拡大でもっと輸入を増やそうという「前川レポート」が出て、新しい戦略となった。しかし実際の日本経済はそうはならず、相変わらず輸出伸長を起点とする好循環で実質GDPの高成長を続けた。

【円安で輸出を増やしても交易条件の悪化で日本の所得は減る】
 その典型は、02年から07年までの戦後最長景気である。この6年間に、輸出は7割以上伸び、輸出関連を中心に設備投資も2割伸びて持続的成長を支えた。しかし、国民生活に関連する家計消費は8%しか伸びず、住宅投資に至っては15%減っている。
 7割を超える輸出伸長は、住宅バブルの米国を機関車とする世界景気の拡大と、円の実質実効為替レートの38%に達する円安によって実現した。しかし、この大幅円安の過程で輸入価格は大きく値上がりし、輸出物価はあまり上昇しなかったので、交易条件は著しく悪化した。相対的にみると、外国品を高く買い、国内品を安く売って損(所得喪失)をしていたのである(交易損失)。いくら国内総生産GDPを増やしても、交易で損をした分、国内総所得GDIは減っていたのだ。

【これからは国民総所得GNIを戦略目標に】
 いうまでもなく、日本経済の基盤、国民生活の基盤は、GDPではなく、GDIである。更に正確に言えば、GDIに対外所得の受取超過額を加えた国民総所得GNIである。
 これからはアジアを中心とする新興国・途上国との結び付きを強めるとういうことは、円安で新興国・途上国に輸出を伸ばしてGDPを増やすことではない。強い円をバックに新興国・途上国への直接投資を増やし、所得収支の受取超過の拡大と円高利得によってGNIを増やすことである。直接投資の内容は、新興国・途上国の国民生活向上に資する産業開発やインフラ整備の支援のほか、省資源・省エネルギー・エネルギー源転換など日本を含む地球規模の課題に応える投資である。戦略目標は日本の内需とアジアの内需を一体とした市場で日本のGNIを増やすことである。