平成の「坂の上の雲」は何か (H22.2.15)
―『世界日報』2010年2月15日号“Viewpoint”(小見出し加筆)
【地球環境守る夢と情熱】
正月にさまざまの新年会で聞いた話題の中に、次のような話があった。
「いま日本は混迷の中にあって、方向を見失っている。しかし、世界の趨勢を見ると、環境とエネルギーの問題を解決することを通じて新しい経済発展を目指すという、共通の姿が見えてくる。
幕末から明治の「坂の上の雲」は、欧米の侵略を防ぎ、自らも欧米列強に伍して行けるような力を付けようという富国強兵が国民の夢であり、そこから使命感や熱気が湧き上って、遂に日清、日露の戦争に信じ難い勝利を収めた。
平成の「坂の上の雲」は、自分の国を守るためではなく、地球を守るために、環境・エネルギー問題の解決に使命感を抱き、情熱を傾けることではないか。
鳩山総理の温暖化ガス25%削減の宣言を受け、まだ何の計画も打ち出されていないのに、産業界も消費者も一斉に走り出してしまった。省エネ、省資源の技術開発や製品開発に、異常な熱意で取り組み出したのだ。
昨年の暮れから今年の正月にかけ、産業界の熱気は想像以上である。消費者はエコでエコノミーな商品を求める人が急増している。自動車業界でも電機業界でも、エコ商品が中心だ。住宅もビルも、そして電力、金属、機械業界も、全産業が省エネ、省資源の設備と商品の開発に走り出している。この技術開発と投資の勢いが世界中で高まり、世界経済が発展する中で、日本は環境技術立国によって大きな役割を果たすことが出来ると思う。」
【「文明開化」「富国強兵」「高度成長」そして今】
産業界にこのような熱気が本当に立ち込めているのかどうか、私は正直なところ分からない。しかし、実に正月らしい、夢のある話ではないか。
幕末から今日に至る日本の近現代史の中で、国民が将来に大きな夢を抱き、使命感と情熱に燃えた時代が少なくとも3回あった。
1回目は明治維新である。鎖国の間に欧米の産業化とそれがもたらした文明社会の水準に立ち遅れてしまった日本は、倒幕と開国によって国の在り方を大きく転換した。「文明開化」である。
2回目は、それに続く明治、大正の「富国強兵」である。欧米列強の侵略から日本を守るため、産業化と軍事力強化に全力を投入した。中国とロシアという大国を破り、第1次世界大戦では戦勝国の側に立った。しかし次第に欧米列強と同じ帝国主義、植民地主義の道を歩み始め、太平洋戦争の破滅に至る。
3回目は、昭和の「高度成長」である。軍事力で敗れた日本は、経済力で先進国に追い付こうとした。そして昭和40年代後半以降、経済大国として先進国のG5やG7の一員に加わった。
しかし、産業化の水準で先進国に追い付き、得意な技術分野では追い越した後の日本は、国民的な目標を失い、次第に混迷の中に迷い込んで行ったようにみえる。1人当たりGDPは先進国中の第2位から第19位に落ち、社会のモラルは低下し、日本の良い伝統は失われ始めている。これは、もう社会の成熟ではない。社会の劣化である。
【最先端省エネ産業の構築を】
このような中で、始めに述べた正月の話は、もしかすると、日本国民に再び大きな夢と情熱を呼び戻してくれるのではないか、と思わないではいられない。
京都議定書に始まり、オバマ大統領のグリーン・ニューディール政策や鳩山総理の温暖化ガス25%削減宣言を経て、いま世界は京都議定書に加わらなかった米国と中国も含め、新しい地球規模の温暖化ガス削減計画に向かって着実に動き始めている。ハードルはまだ高いが、後戻りはあり得ない。
日本は、省エネルギー技術(新エネルギー開発を含む)と環境保存技術において、明らかに世界の最先端を走っている。日本の企業は、それらの技術を活かし、温暖化ガスの発生を極力減らし、各種資源の消費を節約し、地球環境の破壊をなくすような生産設備、リサイクルを含む流通機構、新製品・サービスなどの開発に、しのぎを削るべきである。
それは、単に日本国内の市場競争にとどまってはならない。海外諸国の省エネ・省資源の努力を援けるため、諸外国に輸出し、更には直接投資で諸外国の市場にその産業システムを展開すべきである。日本の内需と海外の内需を一体としたグローバル市場に、日本の最先端の省エネ・省資源の産業システムを構築することが目標でなければならない。
日本経済の末端では、既にその走りは見られる。不況で可処分所得が増えていないにも拘らず、エコ・ポイント対象の家電製品とエコ・カー減税・補助金対象の乗用車が爆発的に売れ、実質消費支出は昨年4〜6月期以降消費性向の上昇を伴って増え続けている。やがて公表される平成22年度の設備投資計画の中に、このような省エネ・省資源の投資が果たしてどれだけ含まれるであろうか。