読書:今を読み解く (H22.1.10)
―『日本経済新聞』2010年1月10日号
「海外」次第の日本経済
―内需の振興策 課題に―
東京大学教授 植田和男
一昨年からの金融経済危機の影響で急降下した世界経済は、各国の強力な財政金融政策を主因として2009年春から夏にかけて一応の底を打った。中でも中国を筆頭とする一部新興国の回復は顕著である。
日本経済は中国等にリードされる形で底入れし、緩やかに回復してきた。それでも鉱工業生産指数で見て、直近ピークの8割程度へ戻っただけである。この中で先進国では例外的に(緩やかだが)デフレが進行中だし、危機対応もあって拡大した財政赤字の結果、政府債務残高は国内総生産(GDP)の2倍前後に達した。どちらの問題も収束のめどが立っていない。その背後で長期的な減少傾向に転じた人口の動きが経済の先行きに暗い影を投げかけている。GDPの水準も年内に中国に第2位の座を明け渡すことになりそうであり、坂道を転げ落ちるように日本が衰退していくのではという恐怖感にも襲われる。
【今年以降も不透明】
民主党新政権への期待も込めて日本経済の現状を分析した書物に斎藤精一郎『パワーレスエコノミー』(日本経済新聞出版社・2009年)、榊原英資『大不況で世界はこう変わる!』(朝日新聞出版・同)、鈴木淑夫『日本の経済針路』(岩波書店・同)等がある。どれも現在の世界の景気回復が未曾有の拡張的財政金融政策に支えられたものであり、背後で進行中の米国家計等のバランスシート調整のため、2010年以降の世界経済の行方を不透明としている(斎藤は、中国を含めて中長期的な世界経済のリード役が不在と見ており、この状況をパワーレスエコノミーと呼んでいる)。
日本経済については、鈴木は環境対策と生活のセイフティ・ネットの強化で内需振興を、榊原は、医療・介護や教育、娯楽等のサービス、そして農業における規制緩和を推奨している。斎藤は、短期的にはやはり生活の安全確保で内需を支える一方、中長期的には輸出依存ではなく、海外投資の果実が内需をも支える構造を展望する。それぞれに一理ある主張である。
興味深いのは3者ともに、公共政策に役割を認める一方で、規制緩和、改革、市場等を基本的に悪ではなく善と捉えている点である。もちろん、これは通常の経済学の立場である。小泉政権以降、市場主義対反市場主義、改革対反改革という構図で政策論議や選挙が戦われたのは極めて不幸なことであった。一段とグローバル化する世界経済の波にあわせた企業・家計行動の再編成が大幅に遅れたのが、過去20年の日本の姿である。その分金融危機の直接の影響が軽微で済んだのは皮肉である。
暮れの30日には環境・エネルギー・アジア等を重視しつつ名目GDP3%成長目標という政府の成長戦略の基本方針が発表された。これは上記3氏の目指す方向とも矛盾しない。しかし、その実現のためにはどこにどう政府が介入し、一方でどのような規制緩和が必要かという見極めとそれに基づいた政策が不可欠である。中長期のデフレ克服、財政規律維持の為の具体策も不透明である。
【各国の政策継続も】
残念ながらこうした中長期戦略の策定には時間がかかる情勢である。すると2010年の日本経済は過去10年と同様海外経済しだいとなろう。幸い、各国の拡張的財政金融政策はもう少し継続されそうなため、世界経済は潜在成長率前後で回復を続けるというのがメインシナリオだろう。その場合、日本経済も(財政からの寄与が減衰する)年前半の若干の減速があっても、外需主導である程度のプラス成長となりそうである。問題はその間を利用して上記の長期的課題についての処方箋を用意できるかどうかである。
こうした努力が遅れるほど長期だけでなく足元の景気回復も脆弱性を強めよう。経済も市場も処方箋の準備を待ってはくれない。無視し得ないリスクである世界景気二番底ケースでは、再び円高の波が訪れよう。国内の成長機会に失望しての有力企業による海外展開の一段の増加は、斎藤の期待には反して、国内雇用、内需への重大なマイナスの影響を及ぼそう。逆に景気が予想以上に堅調でデフレも和らぐ場合には、財政不安が長期金利に強い上昇圧力をかけるだろう。残された時間はあまりない。