見当違いな「円高容認」批判 (H21.10.14)
―『世界日報』2009年10月14日号“Viewpoint”(小見出し加筆)

【藤井財務大臣の発言は真当】
 9月の終わり頃から外国為替市場で円高が進み、一時は1米ドル=88円台前半と約8カ月ぶりの高値を記録した。先週の終値も、90円割れとなっている。米国の景気回復のテンポが思ったほどには強くなく、米国の金融緩和が長期化するとの見方からドル金利の低下圧力が懸り、これがドル売りを誘っている。このような雰囲気の中で、藤井裕久財務大臣の発言が「円高容認」と市場関係者に受け取られたことも、円高を拍車した。
 しかし藤井氏は、「為替相場は円高であれ、円安であれ、基本的には市場の需給に任せるべきもので、余程急激な変化ではない限り、公的介入をすべきではない」と語ったにすぎない。これは極めて真当な意見である。この発言を材料に円買ドル売りを進めた市場関係者は、この程度の小幅な円高でも当局が介入すると想定していたわけで、この方が余程おかしい。

【失われていない価格競争力】
 そもそも市場の需給で決まる為替市場の趨勢は、購買力平価を基軸として、内外の金利差と経常収支の変化に左右される。
 購買力平価が基軸になるという意味は、内外の価格競争力が等しく保たれるように為替相場が動くということである。日本の物価は、諸外国よりも安定しているため、長期的にみると日本のインフレ率は海外のインフレ率よりも低い。従って、その差だけ、日本円の購買力平価は、一貫して円高傾向を辿っている。これに沿った為替相場の円高であれば、日本の価格競争力は失われないから、少しも円高を恐れる必要はない。日本円が長期的に円高傾向を辿っているのは主としてこのためであり、日本の産業の輸出競争力が失われるなどと言って騒ぐのは、見当違いである。

【為替相場を決める要因】
 この購買力平価の趨勢から、市場の為替相場の基調を乖離させる第1の要因は、金利差である。金利の低い国から金利の高い国に資金が流出する圧力が懸り、高金利国の為替相場は上昇し、低金利国のそれは低下する。超低金利政策が続いた00年から07年までの間に、バブルといわれる程の円安が発生し、購買力平価を離れて価格競争力が高まり過ぎて、貿易黒字が著しく拡大した。最近のドル安も、始めに述べたように、米国の低金利長期化の予想が基本的な背景にある。
 購買力平価の趨勢から乖離する第2の要因は、経常収支の黒字、赤字によって市場に存在する各国通貨残高の相対的な量が変化することである。公的当局の介入がない変動為替相場制の下では、例えば日本の米国に対する経常収支の黒字は、米ドルの市場への供給が増えるということであるから、米ドルは過剰となって値下がり圧力が懸る。

【実質円レートまだ円安】
 円相場の基調を決めている購買力平価、内外金利差、経常収支の三つのうち、購買力平価に伴う円相場の変動は、日本の競争力にとって中立的であるから、その影響を取り除いた相場、つまり内外価格差の変動を調整した「実質」の円相場を見てみよう。対米ドルだけでなく、日本の主な為替相手国・地域の通貨に対する円相場を、貿易シェアを使って加重平均した「実効」円レートを、「実質」ベースで見ると、現在の円相場は00年から07年までの大幅円安を約4割戻した水準にある。これは、最近20年間の実質実効円レートの平均よりもまだ少し円安の水準である。
 従って、最近円の対米レートが90円を割ったからと言って、「藤井財務大臣はこの円高を容認するのか」などと騒いで質問するような水準ではない。マスコミは、円高即不況という発想からいいかげんに脱却すべきである。00年から07年までの円安の行き過ぎで極端に輸出に偏った経済体質となり、世界同時不況に翻弄されている現在の姿は、むしろ円安の恐ろしさを物語っている。1000兆円の純金融資産を持つ日本の家計にとって、低金利も円安も不利に働く。とくに円安は輸入品の値上がりと海外旅行コストの上昇でも、国民生活を圧迫する。

【「物作り」立国のグローバル化を】
 「物作り」立国の日本は、戦後の復興も高度成長も、輸出主導型で達成してきた。このため、どうしても円高を恐れ、円安を好む傾向が染みついている。しかし、アジアを中心とする新興国・途上国の発展を援け、彼等の発展と共に世界同時不況から立ち直らなければならない日本経済にとって、実質実効レートの安定の下で、名目実効レートの円高を許容することは不可欠である。強い円をバックに新興国・途上国への直接投資を増やして彼等の産業化とインフラ整備を援け、海外からの受取所得を増やせば、貿易収支は均衡していても経常収支の黒字は増えていく(「物作り」のグローバル化)。どうしても円安でなければやっていけない部門は、この対外直接投資によって新興国・途上国に展開すればよい。円高はまた交易条件の好転を伴うので、この面から国民生活と内需志向型企業を助け、国民総所得を増やし、輸出と内需のバランスのとれた日本経済の発展につながる。