企業活動か国民生活か (H21.8.10)
―『世界日報』2009年8月10日号“Viewpoint”(小見出し加筆)
【企業重視の自民党、家計重視の民主党】
衆議院が解散され、各党と候補予定者が一斉に走り出している。
今回は、自民党と民主党のどちらに政権を委ねるかを決める政権選択選挙であるが、両党の党首が最初にとった行動は、極めて対称的であった。自民党の麻生総裁(首相)は、これ迄の景気対策で恩恵を受ける業界を対象に、三日間にわたって業界団体巡りを行い、団体幹部に支援を要請した。いわゆる組織票固めである。片や民主党の鳩山代表は、全国遊説のスケジュールを固め、それに沿った街頭演説から始めた。こちらは無党派層に的を絞っている。
この戦術の違いは、両党の経済政策の戦略の違いを反映しているようで、極めて興味深い。自民党の戦略目標は企業活動であり、民主党のそれは国民生活である。自民党は企業重視、民主党は家計重視と言ってもよい。
【かつては企業に良いことは家計にも良いこと】
勿論自民党も、国民生活や家計を軽視している訳ではない。「企業にとって良いことは、家計にとっても良いことだ」と信じているのである。確かに戦後の復興期や高度成長期には、企業活動最優先の傾斜生産方式や人為的低金利政策が行われ、輸出と設備投資を伸ばして復興や高度成長を成し遂げたが、その過程で都市下層や農村の潜在失業者が吸収され、都市・農村間、大企業・中小企業間の賃金(所得)の二重構造が解消した。企業重視の政策によって、国民生活は飛躍的に向上した。
その例外は、企業活動が環境を破壊して国民生活を脅かす公害問題や、不良製品・サービスによる消費者被害の問題である。しかし、このような「市場の失敗」についても、消費者運動や政府の対応によってかなり抑えられるようになり、企業活動の発展が国民生活向上の基本だという考え方を決定的に突き崩すことはなかった。
【日本の伝統的共同体意識も関係】
これには、イエやムラという日本の伝統的な共同体意識も関係していたように思える。終身雇用制の下で企業内人材育成を図り、従業員を家族のように扱う企業はイエであり、その企業は企業団体を中心にムラとしての業界を形成し、結束していた。このムラを指導するのは監督官庁であり、その上に万年与党の自民党が乗って組織票を固めていた。
この仕組みが、経済のグローバル化とIT革命によって緩んできた。ITを駆使して世界の情報を収集し、世界の市場で活動する企業にとって、ムラとしての国内業界は以前程の意味を持たない。技能を身につけて、より良い仕事を求めて企業を移動する個人にとって、もはや企業はイエではない。
【戦後最長景気に企業と家計の格差が拡大】
しかし、この仕組みが決定的に崩れ、企業にとって良いことが家計にとって良いとは限らないと実感されたのは、小泉政権以降の戦後最長景気(02〜07年)の結果である。
企業の売上高経常利益率(日銀短観)は、04〜07年度の四年間にわたってバブル期のピークである89年度の水準を上回ったが、雇用者報酬(GDP統計)は、景気上昇最終年の07年になっても、景気上昇以前の96〜01年の水準に戻らなかった。世界市場で激しく競争する企業は、賃金単価の低い非正規社員を増やし、高収益にも拘らず、平均の賃金水準を押し下げたのである。イエとしての企業の姿は変質した。企業と家計の格差拡大は、企業重視か家計重視か、あるいは経済政策の戦略目標は企業活動か国民生活か、という今回総選挙の対立軸を作り出した。
【財政緊縮・超低金利が格差を作り出した】
企業と家計の格差は、小泉政権以降の「財政緊縮・超低金利」というポリシー・ミックスによって生み出された。
第一に財政緊縮は、社会保障費、地方交付金、公共事業費という三大支出項目にターゲットを絞って行われたので、国民負担の増加、地方自治体の疲弊、地方建設不況を生み出し、国民生活の圧迫、地方経済を中心とする内需の停滞を生み出した。
第二に超低金利は、07年までの大幅円安を通じて輸出企業の繁栄と内需企業の停滞を生み、また外部依存度の高い企業と政府に有利に働いた。反面家計は、円安による輸入品値上がりと海外旅行コストの上昇によって不利益を受けた。また家計は、負債よりも金融資産の方が1000兆円も多いので、超低金利や08年中の輸入品を中心とする消費者物価の上昇で資産が目減りし、大きな損失を蒙った。
【景気は企業から立て直すのか、家計から立て直すのか】
いま大不況に直面し、麻生首相はこれ迄通り企業活動から景気を立て直そうとしている。これに対して民主党は、子供手当、高校教育無償化、ガソリン税暫定税率廃止、地方高速道路無料化などで家計を直接支援し、内需から景気を立て直そうとしている(詳しくは拙著『日本の経済針路―新政権は何をなすべきか』岩波書店、参照)。企業活動が活発化しなければ国民生活は回復しないのか、国民生活が改善すれば企業活動も立直るのか、国民は両党のマニフェストをよく見て、じっくり考えなければならない。