小泉構造改革下の日本経済 (『世界日報』 2008年11月1日号「持論時論」)

―10月21日世日クラブ定期講演会における講演


○国際的地位が劇的に沈下
○供給力は強化されず/緊縮財政、低金利で円安、輸出偏重に
○”四重苦”の国民生活/国民負担軽減で内需テコ入れを


 米国発の金融危機をきっかけに、世界同時不況が生じ、世界経済は大激動期を迎えている。日本経済も株式相場が暴落し、景気は低迷の度合いを深めつつある。元日本銀行理事で元野村総合研究所理事長、元衆院議員、鈴木政経フォーラム代表の鈴木淑夫氏はこのほど世日クラブで、「日本経済の国際的沈下と構造改革・格差問題」と題して講演を行い、輸出偏重を招いた小泉内閣からの緊縮財政を改め、国民の負担を軽減することによって国内需要のテコ入れを行うとともに、これまでの超金融緩和政策を改めて金利水準、円相場の正常化を図るべきだと主張した。以下はその講演の要旨。


 日本は経済開発協力機構(OECD)の中で、一人当たり国内総生産(GDP)が一九八〇年代の終わりごろに三位になり、その後、一時は二位にもなるほど世界のトップクラスだったが、二〇〇〇年の三位を最後に〇六年には十八位まで転落した。これは小泉内閣から安倍内閣、福田内閣の間のことで、この日本経済の国際的な地位の急激な沈下は前代未聞だ。
 どうして、こういうことが起きたか。
 小泉さんが政権を取って最初の〇一年は大不況で、〇二年から少し良くなってきたのは確かだが、実質GDPとその主な内訳である輸出、設備投資、消費、住宅投資などについて、〇一年度を一〇〇とした指数でその推移をみると、輸出だけが猛然と伸びている。〇七年度の指数は一七〇を超え、六年間に七割以上増えた。
 次に伸びたのは民間企業の設備投資だが、これは二割強。輸出関連の設備投資は伸びたが、内需が沈滞しているので内需志向の企業はそれほど設備投資をしていないからだ。家計の最終消費支出は8%しか伸びず、民間住宅投資は下がり、公共投資は三分の一強、37%削減された。
 日本銀行は投資を刺激しようと一生懸命、金利を下げたが、企業はキャッシュフローを十分持っているので、それも効かなかった。
 長期金利は十年物国債の市場利回りで1・5%前後と、かつて経験したことのない低さが続いた。主要国の長期金利を比べても日本はずば抜けて低い金利水準なのに、投資は出てこない。
 しかし、こんなに低くすれば、他に必ず副作用が出てくる。それが日本の円安だ。日本の金利は低いから、海外の高い金利を求めてお金が出て行く。それで、円相場は安くなってしまった。実質実効為替レートでみると〇〇年に比べ三割、四割の円安だ。この円安で元気付いたのが輸出企業で、価格競争上、日本は優位になり、しかも技術水準が高いから、著しい輸出の伸びが実現し、日本経済を引っ張った。
 このように、小泉内閣が進めた「構造改革」は日本経済を特に供給面で強化したというわけでもなく、(生産要素をフルに稼働させたときの成長率である)潜在成長率は全然上昇していない。では、「構造改革」は何をやってきたのか。
 一番目は道路、郵政、政府系金融機関、公務員の制度改革。道路公団は確かに民営化したが、高速道路の建設計画と政府の建設決定権は全然変わっていない。郵政も四事業を民営化はしたが、全部そのまま残し、四つの巨大な民営会社を作っただけだ。
 公務員制度改革も天下りを各省の斡旋から公認の斡旋機関に一本化しただけで、少しも本質は変わっていない。政府系金融機関も形だけ民営化し、財務省指定の低利融資の公的な機能を残している。
 二番目は規制緩和。特区を作るなどいろいろな規制緩和を行ったが、日本経済に一番影響を与えたのは、製造業への派遣労働解禁。これにより、正社員と非正社員の格差が拡大した。製造業は賃金単価の低い派遣労働者を受け入れ、パートや委託、契約を結んだ非正規社員なども増やして、全体として一人当たりの人件費の引き下げを図った。
 三番目は年金・医療の改革。年金・医療・雇用の保険料を引き上げ、介護保険料を導入した。また医療費の患者負担を増やすなどした。それから、定率減税を廃止するなど増税を行っている。
 増税と社会保険料負担の増加、それに公共投資も三分の一以上、十三・七兆円(実質)カットされ、両方を足すと約二十一兆円。小泉内閣はこういう形の緊縮財政を採ってきた。こんなことを行えば、経済はぺしゃんこになってしまうため、低金利でテコ入れしたわけだ。
 私は今の国民生活は四重苦だと言っている。一つは低金利と物価上昇で、大事な貯蓄の目減りが起きている。二番目は海外物価が上がっているところに円安。輸入品が値上がりし、海外に旅行すればコストが高い。三番目は賃金、所得が物価の上昇で実質で減り始めている。そして四番目に、金融危機の影響でとうとう雇用が減り始めてきた。
 この円安が輸出に偏った成長を作り出した結果、企業間でも大変な格差拡大が生じている。輸出企業と国内の需要に頼って商売をしている企業、輸出企業が多い大企業と内需専門が多い中小企業、大企業が多い中央(都市)と中小企業、国内需要専門の企業が多い地方、などの格差拡大である。
 更に、「構造改革」は輸出に偏った日本経済を作ることによって、日本経済を海外からの撹乱要因に非常に弱い体質にしてしまった。
 まず、石油や穀物など海外商品市況の値上がりの影響だ。これが第一波とすれば、今度はとんでもない第二波が来た。国際金融危機、サブプライムローン問題だ。 サブプライムローンとは低所得者対象の住宅ローンだが、この問題は低所得層に対する住宅ローンの問題だけではない。もっと根が深い。
 何故かと言うと、米国経済は一九九〇年代の中ごろから最近まで、持続的に繁栄して成長してきたが、その長期繁栄を支えていた重要なメカニズムの一つが住宅価格の上昇だったからだ。九〇年代の中ごろから始まった住宅ブームで住宅価格が上がり、上がればその住宅を売って住宅ローンを返済しても、まだ値上がり分が手元に残る。
 それで、さらに大きな住宅を買うか、そうしなくても含み益が出ているので、それを当て込んで消費をどんどん行う。その結果、住宅投資と個人消費が十年以上伸び続けた。住宅価格は九四年ぐらいから比べて、ピークの二〇〇六年までに三倍になり、みんながその好循環に浮かれたわけだ。
 そうするうちに、この恩恵を低所得者にも及ぼそうと組まれたのが、サブプライムローンだ。銀行が住宅ローンを借りてくれと低所得層にもやってくる。所得が低くても、値上がりするから返済できると言って、低所得者層に住宅ローンを貸した。上がっている間は良いが、この十年以上の住宅価格の上昇の中で、住宅バブルが発生し、住宅価格がピークをつけたのが〇六年。そして去年から今年にかけて下がり始め、もう二割以上下がった。
 住宅価格が値下がりして真っ先に音を上げたのが、サブプライムローンを借りていた低所得者だった。銀行は、これは大変だということで返せ、返せと督促する。それで、低所得層は手を上げてしまう。この住宅ローンは焦げ付く。返済不能の住宅ローンは回収できず、その価値はゼロになってしまう。普通なら、これで住宅ローンを貸し出した銀行が大変になる。
 ところが、もう一つ極端な話があって、銀行には8%の自己資本比率の規制がかかっている。住宅ローンを増やしていけば、自己資本がそのままなら、自己資本比率が8%より下がってしまうから、住宅ローンを証券化してあちこちの資本市場に売った。
 住宅ローンの証券化商品を買ったのが投資銀行や証券会社、生保、さまざまなファンドなど。彼らは証券化商品をたくさん買い込み、しかも、証券化商品だけでなく、いわゆる金融派生商品(デリバティブ)を売った。金融派生商品とは先物やオプション、スワップなど金融工学という高度な計算をして作ったもので、それを一般に売り出した。しかも、レバレッジを効かせて、例えば先物取引では証拠金10%を出せば、その十倍の取引ができる。実際はその何倍にも膨らまして、危険なリスクの入った住宅ローンと金融派生商品が一緒になって、資本市場を膨張させた。
 こういう危険な状態になっている時に住宅バブルが破裂し、住宅ローンを組み込んだ証券化商品が値下がりしてきて、資本市場のプレーヤーたちが慌てた。サブプライムローンをどのくらい持っているのか、お互いに疑心暗鬼になって、短期の資金繰りのために運用している金融市場の取引ができなくなり、それが米国だけでなく欧州でも起きてきた。これが流動性危機。それで慌てた各国の中央銀行が流動性の供給を大量に増やしたのが、第一幕。
 そのうち、なんと米国の五大証券が危なくなった。トップは自分で銀行の持ち株会社に変身して銀行業に転向して逃げた。二番目はバンク・オブ・アメリカが買収する。三番目は増資で何とか頑張って、日本の東京三菱が引き受けた。五番目の証券会社がおかしくなった時は、こんな大きなものが倒れたら支払い不能の連鎖で、米国の金融システムが大変なことになるということで政府が助け、JPモルガン&チェイスが買収した。
 ところが、四番目のリーマン・ブラザーズは助けず倒産した。これで資本市場は、米政府の方針はダブルスタンダードで基本方針が不明確と思うようになり、米国の株が大幅に下げ、日本も一緒になって下げた。
 それで米国は慌て金融安定化法を作り、その後、G7(先進七カ国財務相・中央銀行総裁会議)で、金融システムにとって重要な金融機関は政府が確実に救い、金融システムの危機は起こさないようにするという宣言を出し、中央銀行総裁が自分の国に帰って具体的な手を打ち出すことで、とりあえず株価の暴落は止まった。
 日本は幸いにして、九七、九八年の金融ききやその後の不良債権処理にこりて、臆病になっていたので、住宅ローンの証券化商品や金融派生商品をあまり派手には買っていない。
 しかし、日本経済は輸出、つまり海外だけが頼りの体質になっているから、その海外での大騒動で当然、大きな打撃を受ける。これから始まる景気後退は決して軽くはない。十−十二月期以降実体面で悪くなり、かなりつらいことになるだろう。米国は七−九月期からマイナス成長も不思議ではない。それが、輸出国全体に反映して、欧州も新興国もおかしくなってきている。
 では、どうやって解決していけばいいのか。第一は小泉政権以来、家計に対して大きな負担を強いた政策を転換する。低所得層や子育て世帯、高齢者、中小企業、農家などを対象にセーフティーネットを強化する。また、最低保証年金、中・高教育の無料化などを国の責任で保証するシビルミニマムをしっかりする。
 それには財政を緊縮ではなくて中立的に、少なくとも国民の負担を軽減するようなものにし、それで国内需要のテコ入れができれば、(超金融緩和政策を止めることができるので)金利水準を異常な低水準から普通の水準に戻していくことができる。また、今は国際商品市況が石油も穀物も下がり始め、円も円高になって日本の交易条件が好転(交易利得が発生)する。実質国民総所得が増えて行き、これが日本経済を底から支えてくる。
 ただ、世界の景気減速がいつ終わるのかと言われれば、それは米国の住宅価格の下落が止まった時だが、住宅価格指数の先物相場をみると、さらに二割、二年間は下がり、そこで底を打って三年後から回復するとの見方がある。それを信用するなら、米国の景気低迷はこれから二年は続くことになる。