大きな政府の本格的な削減を (『金融ファクシミリ新聞』(WEBサービス) 2006年9月25日号「TOPインタヴュー」)
――現在の関心は新内閣の陣容か?
鈴木 もちろん、新内閣は重要だ。しかし現在は小泉政権の総括と、新政権にどのような課題が残っているかの分析に最も関心がある。01年度から05年度までの5年間の経済動向を総括してみると、通計してGDP、鉱工業生産、失業率など、量的な指標はみな増加・改善している。ところが価格指標を見ると消費者物価の下落だけではなく、現金給与総額はマイナス5.2%、雇用者報酬はマイナス4.2%の減少だ。これをデフレと一般には捉えるのだろうが、私はここにそれ以上の意味があると考える。それは賃金が下落する中で経済が量的拡大を遂げているということだ。これは新古典派モデルにおける自律的な経済回復の姿と言える。ケインズモデルでは賃金と価格は下方硬直性を持つため、財政政策で量的な拡大を行わないと、均衡回復は困難だと考える。この度の景気回復は、日本経済が新古典派モデルに近いことを示すものだ。私はかつて日銀に在籍した時期に、日本における賃金・価格の下方硬直性は無い、としてマネーサプライを重視した政策を提言したが、当時は企画庁にしても学会にしてもケインズモデルを前提にした政策が唱えられた。この賃金・価格の調整機能をデフレとしてネガティブにばかり受け止めるのは間違いで、賃金・価格の調整こそが経済回復の立役者であったと認識すべきだろう。
――経済回復には長い時間を要した…
鈴木 マクロ経済的に見るならば、この度の経済回復の背後にあるのは三つの過剰の解消だ。好況持続を前提としていた設備・人員・債務がバブルの崩壊で過剰となった。負債はそのままで資産が一気に目減りしたことでバランスシートは悪化し、これらの過剰の解消に日本経済は十年間苦しんできた。例えば輸出が伸びても内需に火がつかない、これは好循環の鎖が切れていたからだ。輸出から得られた利益を、過剰設備の除却、慫慂退職金による高齢者の退職促進、そして債務の返済、などに用いる必要があったため、前向きの設備投資や雇用拡大に結びつかなかった。この状態が終了したのが05年だ。最初はサービス産業でその兆候が見られ、その後は製造業でも好循環が再び繋がった。これでいよいよ内需主導型の景気回復が始まったのが05年の第1四半期からだ。
――各企業の取組みもこの10年に変化した…
鈴木 ミクロ的に見ると、各企業が血の出るような努力でビジネスモデルの転換を行ったことが分かる。従来であれば終身雇用、年功序列型の賃金、OJTといった長期雇用の前提があり、取引も長期顧客関係を重視した系列や下請け、そしてメインバンク・システムなど、典型的な日本型経営スタイルを取っていた。私はこれを閉ざされた仲良しクラブと呼んでいるが、この仲良しクラブは高度成長下において先進国に追い付く段階では大いに成功した。官主導の規制も先進国を模倣するためのもので、これも成功した。しかし、既に追い付きも終了し、グローバル化とITによる技術革新が起こる中で、今度は閉ざされた仲良しクラブがマイナスに作用し始めた。先進国という手本がない、官の政策も次々と失敗が起こる、こうなってくると本当のことを知っているのは民間の経営者たちだ。経営者が自らの力でビジネスチャンスを掴む必要が出てきた。それを受けて、業法の縛りや所管省庁の指図は受けない、という規制緩和の方向へ向かったのは自然な流れだ。また、終身雇用制度と年功賃金体系にも変化が見えている。IT革命で技術の質が変わったのだから年功序列を貫けば、およそ不合理な賃金体系が生まれてしまう。能力と成果に応じた賃金にしなければいけない。取引関係や雇用についても、コアの部分は別として、それ以外はIT技術の向上により部品であろうと技術であろうと世界から広く外部調達が出来る時代となっている。系列、下請け、メインバンクへの固執も、自らの現状に最も即した相手を探し出すための情報コストが下がったことにより、薄れてくるだろう。こういった改革を既に日本の企業は10年間にわたり、行ってきた。ただ、その結果が格差拡大という形で現れてきている。年功序列型賃金のフラット化、そして正社員数の減少、請負・派遣・臨時・契約といった形での非正社員の雇用は増加した。これが経済の量的拡大にもかかわらず全体の賃金が下がった構図だ。
――確かに足元で下振れする指標も続いたが、経済は設備投資中心に堅調だ…
鈴木 私も設備投資主導の景気が崩れるとは思っていない。日本企業のビジネスモデル転換、三つの過剰の解消による経済回復はしっかりしており、あまり心配はしていない。短期的には米経済の減速や、原油価格の高止まりが懸念材料ではあり、日銀短観を見ても下半期は輸出を中心に鈍化する見通しだ。しかし、設備投資はそれを織り込んだ上で数年先を見越して計画されるものだ。企業投資はその先まで見越した動きであり、現在の短期懸念材料で弱気になるということはないだろう。個人消費はようやく所得が上向きとなったところであることからも、これからじっくり景気が拡大していくと見るべきだ。このような基調を無視して、目先の指標を材料に株価が低迷するようなことがあれば、海外にとって買収を行う格好の好機と捉えられる可能性が高い。日本の株価は収益率と金利から見て相当に低く評価されている。
――格差拡大などを背景にした社会不安の高まりがその背景にある…
鈴木 例えば70歳以上の高齢者が集まったときによく耳にする不安は、彼らに対する保険料の値上げだ。介護保険料は年金から天引きという形をとるため、年金の手取りは減少の一途だ。そして医療費の上昇が著しい。現行の医療費の自己負担は一般老齢者が二割、低所得者が一割だ。それが、それぞれ三割と二割への上昇となる。一割が二割となるということは低所得者にとって負担は倍増だ、加えて低所得者の定義は下げられている。
――それらを踏まえ、ポスト小泉が行うべき政策は…
鈴木 ポスト小泉が行うべきことは、逆戻りではなく市場主導の経済が生んだ歪みの是正だ。民間の努力により経済は回復したが、市場の失敗もまたそこかしこに見られる。例を挙げると、正社員と非正社員の不公平さ、企業の著しい業績向上と家計の緩慢な改善のアンバランスさ、中央と地方で拡大する格差などだ。これらの不公平に対して社会的なセーフティネットを強化することが大事だ。そのためには年金制度や子育て支援を含む社会保障制度の充実、同一労働・同一賃金の確立などを通じての正社員と非正社員の格差是正、また、地方が独自に用いることの出来る財源の確保などの手段が考えられる。そしてもう一つの市場の失敗はライブドアや村上ファンドのような不公正の横行だ。耐震構造偽装やプール事故、家庭用ガス機器の事故などにもその問題を見ることが出来るだろう。事前のルールの明確化と事後の監視強化が求められる時期に、ルールの緩和だけが先行してしまい、このように色々な事態を招く原因となった。
――格差是正の実現に必要なことは?
鈴木 問題は是正が歳出の拡大要因であり、政府債務の拡大抑制という目標と相反していることだ。双方を満たしていくことは容易ではない。私は中央政府が行ってきたことを可能な限り民間、地方に移転することが肝要と考える。中央の仕事を削減して財源を得ることで初めて、それらセーフティネット及び事後監視の強化に用いることが出来る。官僚OBの天下り先を含めた大きな政府の削減を本格的に進めることが大事だ。