「書評」 評者 鈴木淑夫
              菊地英博著『実感なき景気回復に潜む金融恐慌の罠』
                   ―『週刊東洋経済』2007825日号―
     将来に禍根を残した
    橋本、小泉政権の金融政策



 表題は現状分析に基づく金融恐慌の警告と読めるが、実は第四章「平成金融恐慌を混乱させた市場原理主義者」を中心とする現代経済史の優れた著述だ。
 著者は一年前の『増税が日本を破壊する』の中で、橋本、小泉政権の財政緊縮政策の失政を厳しく批判したが、同じ政権による金融危機の本質の無理解、対策の遅れと誤りが、90年代後半以降の日本経済を痛めつけ、将来に禍根を残したことを、次のように告発している。
 バブルの崩壊と橋本政権の緊縮予算の結果、97年後半から株価急落=含み損膨張と地価暴落=不良債権急増が起り、全ての銀行の自己資本が毀損し、信用収縮と景気後退が起った。拓銀、山一、長銀、債銀の大型倒産も続いた。これは「大恐慌」型の金融危機であるから、銀行システムを救済するため、破綻前の銀行に公的資本を注入するRFC(復興金融公社)型の対策が必要であった。
 だが、市場原理主義者は、90年代前半のアメリカを参考に、破綻後の銀行を処理するRTC(整理信託公社)型の対策で足りるとした。一部の銀行破綻がシステム全体の危機に波及しないようにすればよいとするこの提案に政府は引きずられ、「平成金融恐慌」を招いた。さすがに99年に至り、破綻前の銀行にRFC型の公的資本注入が大規模に行われ、危機は一息つく。
 しかし小泉政権の「意味不明で中身の矛盾した構造改革」と、不良債権早期処理、自己資本維持、収益改善という矛盾した三つの経営目標を銀行に押し付ける金融再生プログラムによって株価は暴落し、03年4月に再び金融恐慌前夜となる。ここで竹中大臣は、大銀行といえども救済せずと言う前言を翻す。りそな銀行に大量の公的資本を注入して救済し、システム危機を回避、株価も回復に向かう。しかし公的資本注入は銀行を救済するためではなくシステムを救済するためであるから、資本注入銀行の全経営者の退陣と減資(株主責任)が必要であった、と著者は批判する。
 金融危機の処理は市場原理(銀行の自己責任)を基本とすべきであるが、システム崩壊という「市場の失敗」が予想される時は、公的資本注入という行政介入が必要である、という本書を貫く政策論は正しい。
 本書は更に小泉政権が残した禍根を追求する。ゆうちょ銀行は巧く行けば地域の民業を圧迫し、運用悪化やコスト高で不振となればシステム危機を招く。寡占化した三大メガバンクは格差拡大に悩む地方の銀行を圧迫し、自身に何か起ればシステム危機となる。金利上昇時の国債含み損も心配だ。全て著者の言う「金融恐慌の罠」である。


目次
1章 新たな金融恐慌発生のシナリオ―ゆうちょ銀行・かんぽ生命が引き金を引く
2章 「構造改革」で弱体化した日本の金融システム
3章 金融庁による偽装恐慌
4章 平成金融恐慌を混乱させた市場原理主義者
5章 歴史に学ぶ金融恐慌の教訓
6章 新たな金融恐慌を乗り越えるために