新BIS規制は経営リスクの評価を精緻化しない(『週刊金融財政事情』2005年2月14日号)

─ 行政は開示推奨による市場規律の強化に重点を ─

(要旨)
   来年末から適用される国際決済銀行(BIS)の新しい自己資本比率規制(新BIS規制)は、リスクの評価が精緻化されているが、現行規制の問題点はほとんど残っている。形骸化した自己資本の定義は変わらないし、個々の資産リスクの相関関係に依存する経営全体のリスクを見ていない。過度の貸出抑制と国債保有促進の効果も残っている。リスク評価の精緻化が、過剰介入行政を招く危険性もある。新規制の適用に当っては、開示推奨による市場規律の強化に重点を置くべきだ。国内銀行への適用はやめた方がよい。


形骸化が進む自己資本の意味

   現行のBIS規制が公表された八八年当時、日本の大銀行は世界一〇大銀行の上位を軒並み占めていた。バブルの絶頂期にあった日本の銀行は、資産高騰で得た資金と国際金融市場での調達資金を原資として、薄い利鞘で国際金融・資本市場での運用を伸ばしていた。
   脅威を感じた欧米の金融界は、日本の銀行が自己資本が少ないまま、外部資金に依存して貸出を伸ばしていることに目を着け、国際金融市場の安全性維持と称して、貸出などリスク資産の上限を自己資本の一二・五倍(自己資本比率八%)に制限すべきだと言い出した。これが欧米主要国の中央銀行主導で導入された現行のBIS規制である。
   日本の銀行は一斉に反発したが、当時はバブルの絶頂期である。保有株式含み益の四五%が自己資本のティアUに算入出来るという妥協案が出るに至り、受け入れに同意した。しかし日本の大誤算は、その直後にバブルが崩壊したことである。
   銀行保有株式の含み益が消え、また日本でも銀行の株式保有制限の導入が始まると、有価証券含み益の四五%だけでは救いにならない。九〇年には劣後債が、九八年には、土地などの含み益の四五%がティアUに算入出来るようになった。更に九九年三月期からは、税効果会計の導入によって、「繰延べ税金資産」をティアTに含めることが認められた。自己資本が監査法人の判断次第で変わる上、倒産するとこの部分がゼロになって役に立たないことになった。
   そして極め付きは、BIS規制が守れなくなった銀行に公的資本が注入され始めたことである。規制を守らせるために、規制が守れなくなった銀行に公的資本を注入して守れるようにしてやるのだ。これは、規制がないのと同じである。公的資金で銀行経営を助け、金融システムの安全を保っているのであって、BIS規制自体はシステムの安全装置として機能していない。
   これを裏付ける興味深い実証研究がある。安田行宏氏は自己資本比率と銀行リスクの間に正の相関関係があることを見出した。つまり、自己資本比率(とくにティアT)が高い銀行ほど潜在的に倒産する可能性が高い(参考文献[1])。
   確かに、北海道拓殖銀行の自己資本比率は、破綻する半年程前迄は、都市銀行中最高の九・三四%、日本長期信用銀行は破綻する半年前に一〇・三六%、日本債券信用銀行は破綻する三ヶ月前に八・一九%だった。最近の例では、足利銀行の自己資本比率が、監査法人の繰延べ税金資産の否認によって、四・五%からマイナス〇・七%に落ちて倒産した。
   これらの銀行が倒産の危機にひんしている事を早くから示していた指標は、「株価」という一種の「市場規律」であった。

BIS規制のネガティブ・インパクト

   このように現行BIS規制は、金融システムの安定装置としては機能しなかったが、日本の金融政策の有効性とマクロ経済に対しては、極めて大きなネガティブ・インパクトを与えた。
   日本銀行は、三〇〜三五兆円の不活動残高(アイドル・バランス)を日銀当座預金に積んで「量的緩和政策」を続けているが、ゼロ金利のこの資金を使って貸出を増やそうとする銀行がない。日本国内の銀行貸出の総残高は、九八年以来今日まで一貫して減少している。これはケインズの言う「流動性のワナ」であり、日本経済の停滞が続く金融面の原因である。
   ケインズは「マネーの供給を増やして金利が低くなると、将来の少しの金利上昇でも確定利付証券のキャピタルロスが大きくなるので、人々は確定利付証券を買わなくなり、マネーを限りなく選好する。このため、いくらマネーの供給を増やしてもマネーのアイドル・バランスが増えるだけで、金利が下がらない状態、すなわち"流動性のワナ"に陥る」と説明した。
   しかし、今日の日本はこれとは違い、銀行は確定利付の国債を大量に購入している。真の原因は、銀行が貸出の「意欲と能力」を喪失していることにある。
   その一因は、長期停滞の下で、銀行の目から見て「期待収益率が高く信用リスク(回収不能発生の可能性)の小さい」貸出機会が少ないからである。
   しかし貸出「意欲と能力」の喪失には、もう一つ重要な理由がある。それは金融行政が、「不良債権早期処理」を強制しながら、同時に「自己資本比率」規制を課し、それが出来ない銀行には公的資本を注入し、経営改善計画に基づく「収益性の回復」を求めていることである。
   金融行政が求める三つの指標の改善、すなわち@「不良債権比率の引下げ」、A「自己資本比率の維持」、B「収益性の回復」は本来矛盾する。不良債権の早期処理は、当期の利益を投入し、更に自己資本を取崩して行なうので、@の改善はAとBを悪化させる。
   また自己資本比率の引上げは信用拡張係数を低下させるので、資本一単位当りの収益を低下させる。つまりAとBも矛盾する。
   この矛盾する@ABを同時に達成する方法は、@ABの比率の共通の分母である貸出残高を減らす「貸し渋り」「貸しはがし」である。もう一つは、BIS規制でリスク・ウェイトがゼロの国債を増やし、リスク・ウェイトが一〇〇%の企業・個人向け貸出を減らすことである。ゼロ金利下では、国債でも十分利鞘をかせげる。

BIS規制の理論的弱点

   いま日本の金融学界では、BISの自己資本比率規制の理論的問題点を指摘する声が高まっている。国際的にも、ノーベル経済学賞受賞者のスティッグリッツ教授が、BISの自己資本比率規制は銀行の安全性を高めることにならないし、過度に銀行の貸出を抑制し、国債保有を増やすと批判している(参考文献[2][3][4][6])。これらの理論的問題点を整理すると、主として次の三点になる。
   T.BIS規制は個々の資産のリスクを査定して合計しているが、個々の資産のリスクの間に逆相関があれば、ポートフォリオ全体のリスクは低くなる。従って、個々の資産リスクの間の分散・共分散行例の正確な情報が無ければポートフォリオ全体のリスク(銀行の経営リスク)は評価出来ないが、そんなことは出来る筈がない。
   U.自己資本比率の最適水準は、個々の銀行の倒産確率や預金保険コストによって異なるが、これらの正確な情報が得られないままに一律の水準で自己資本比率を規制するのは有害。
   V.自己資本比率は、収益性比率や不良債権比率と相互に矛盾するので、三つの指標の最適組合わせを選択するのは銀行経営そのものであり、それを判定するのは市場である。三つのうちの一つである自己資本比率だけを規制するのは経営の自由度を奪い、効率的な銀行経営を阻害する過剰介入行政である。
   いま日本の銀行のポートフォリオでは、貸出が減り、長期国債が増えている。BIS規制の下では、当然そうなる。しかし、今後日本経済が立直って行けば、貸出の期待収益率は上昇し、信用リスクは低下する。反面長期国債は長期金利の上昇につれて評価損が拡大する。評価損の実現を避けるには償還期まで保有せざるを得ないが、その間の収益率は他の資産(例えば新規の貸出や債券投資)に比して低い水準にとどまり、銀行全体の収益性は阻害される。
   つまりBIS規制は、ポートフォリオの高い「リスク」と低い「フランチャイズ価値」(将来利益の割引現在価値)を銀行に強制しているのだ。
   また税金繰延べ分の自己資本を実現するためには、繰延べ期間の黒字を確かり維持しなければならない。銀行は保有する担保不動産、株式、貸出などのうち、有利な価格の資産から売却するので、残りのポートフォリオは劣化し、ポートフォリオ全体のリスクを高めフランチャイズ価値を低める。

新BIS規制の問題点

   さて、新BIS規制は、以上の現実的、理論的問題点をどこ迄改善しているのであろうか。
   まず分子の自己資本については、定義に変更はない。銀行経営の安全性の尺度として形骸化した現行規制のままである(参考文献[3][6])。
   分母のリスク資産についても、市場リスクがある筈の国債のリスク・ウェイトがこれ迄通りゼロのままである。従って、過度に国債保有を増やし、貸出の「意欲と能力」を削ぎ、金融政策の有効性を阻害する「流動性のワナ」は続く。
   変更されるのは、第一に貸出の信用リスクがより細分化され、また銀行自身の内部格付手法を取入れるなど精緻化されたこと、第二に、分母にはこれ迄の信用リスク、市場リスクに加え、新たにオペレーショナル・リスク(例えばコンピュータの故障・不正行為などにより損失を蒙るリスク)が加わったことである。
   BIS当局は「自己資本比率の測り方」の改善、「監督当局のリスク検証プロセス」の強化、開示による「市場規律」の強化という三つの柱が相互に補強し合って、金融システムの安全性と健全性に一層寄与するのだと言う。しかし、少なくとも三つの点で大きな疑問が残る。
   第一に、信用リスクの測り方が精緻化され、また新たにオペレーショナル・リスクが加わり、将来はマネイジメント・リスクが加わると言うのに、適正な自己資本比率が八%で変わらないのは、どういう訳か。日本の銀行を牽制するため「始めに八%ありき」で、あとは批判を受けて中身をいじくっているだけではないか(参考文献[5])。
   第二に、信用リスクの精緻化に伴ない、監督当局は銀行自身の内部プロセスを検証するためにより一層対話を増やすと言うが、これは行政の過剰介入助長ではないのか。情報の不完全性、非対稱性を考えれば、当局が一つ一つの貸出の信用リスクを適正に評価できる筈がない(参考文献[4])。
   第三に、個々の資産のリスク評価をいくら精緻化して合計しても、経営リスクの評価は精緻化しない。経営リスクは個々の資産から成るポートフォリオ全体のリスクであり、それは個々の資産リスクの相関・逆相関の関係に依存するからだ。この理論的批判(参考文献[3][4])に新規制は応えていない。
   以上の三つの疑問点から分かるように、新しいBIS規制は、いま日本が直面している問題の解決にはならない。それどころか、銀行泣かせの過剰介入行政を、無益に助長しかねない。
   新BIS規制で唯一評価できるのは、三本の柱の最後「市場規律」の強化である。銀行がどのように自己資本の充実度を計算し、どのような方法で個々の資産リスクと経営全体のリスクを評価し、どのようなリスク管理体制を敷いているかの開示を、当局が推奨することである。ただしBIS規制のように、当局自身がそれを評価したり、ましてや介入して行政指導してはならない。銀行自身がやっている事を、在りのままに市場に開示し、市場の評価、市場の規律に服するべきである。
   日本の監督当局は、新BIS規制の適用を契機として、これ迄の過剰介入行政から新しい市場規律行政に転換すべきである。その上で、形骸化したBIS方式の自己資本比率の計算による根拠のない「四%」規制を国内の地域銀行や信金、信組に強制するのは、いいかげんに止めたらどうか(参考文献[6])。

参考文献
   [1]安田行宏「銀行リスクと自己資本比率の関係」(金融調査研究会『資産デフレと政策対応』〇四年六月)
   [2]清水啓典「銀行の健全性とは何か」(金融学会会長講演、〇四年九月)
   [3]清水啓典「資産デフレへの政策対応」([1]と同じ)
   [4]J.E.スティグリッツ他『新しい金融理論─信用と情報の経済学』(東京大学出版会、〇三年一〇月)
   [5]大塚耕平「新BIS規制が金融界、監督当局に突きつける課題」(『金融財政事情』〇四年八月二日号)
   [6]宮坂恒治「自己資本比率規制を改めよ」(時事通信社『金融財政』〇四年八月一二日号)