超金融緩和「出口政策」徹底シミュレーション:日本銀行が直面する4つのケース─持続的成長のためにとるべき政策(『週刊東洋経済』2004年7月24日増大号)


─日本の景気は回復し、日本銀行も長く続けた超金融緩和からの出口を模索し始めている。日銀の名エコノミストでもあった鈴木氏は、どのような「出口政策」を勧めるのか。─

   6月調査の「日銀短観」は、当面の景気回復の持続を裏付けた。「業況判断DI」を尺度に使うと、02年6月から始まった今回の回復の長さは、既に前回(99年3月〜00年12月)の8四半期を超えた。来年6月まで改善傾向が続くと、バブル崩壊後最大の景気となった前々回(94年5月〜97年6月)の13四半期と並ぶ。
   海外では、6月30日に米国の公定歩合とFFレートが、0.25%引上げられた。更に0.25%の引上げが、年末まで少なくとも3回行われ、公定歩合が2%に達する可能性があると指摘する声もある。
   また、中国における基礎資材のボトルネック・インフレと中東の地政学的リスクに伴う原油の供給不安から、国際原料品市況が高騰しており、5月の日本の輸入物価指数は前年比+6.5%も上昇している。
   このような日本経済の回復持続、米国の金利上昇開始、国際原料品市況の高騰に伴う輸入インフレ圧力などから判断すると、今後、日本銀行が現在の「超金融緩和」の修正、いわゆる「出口政策」を迫られる事態、あるいは少なくとも「超金融緩和」を続けてよいかどうかの検討を迫られる事態が十分考えられる。
   私は日本銀行の福井総裁と折に触れて意見を交換しているが、政策委員会議事録、総裁・副総裁・審議委員等の講演や記者会見の内容などから判断しても、日本銀行の内部で、いわば「頭の体操」として、「出口政策」が研究されていると見て間違いはないであろう。
   以下では、日本銀行の「出口政策」の在るべき姿について、ケース・スタディの形で考えてみたい。

【出口も2段階に】
   その前に、確認しておきたい事がある。現在の「超金融緩和」政策は、二段階を経て実施されてきた。第一段階は、99年2月に採用され、00年8月に一時解除されたが、01年3月に再び復活したとされている「ゼロ金利政策」である。
   日本銀行は、第二次大戦後、伝統的に金融政策の「操作目標」をコール・レートにしてきた。「ゼロ金利政策」というのは、この「操作目標」としての無担保コール・レート(オーバーナイト物)を「ゼロ%近辺」に保つ政策のことである。
   「超金融緩和」政策の第二段階は、「量的緩和政策」である。これは、「操作目標」を従来のコール・レートから日本銀行の「当座預金残高」に変え、銀行の所要準備預金残高を上回る過剰準備を、長期国債の買オペなどによって日銀の「当座預金残高」に積む政策である。
   この「量的緩和政策」は、01年3月に導入され、当初1兆円の過剰準備を積み増して、「当座預金残高」5兆円を「操作目標」とした。その後3年以上の間に、「量的緩和政策」は一段と進み、今日では「操作目標」としての「当座預金残高」は30〜35兆円に達している。
   コール市場には恒常的に不活動の過剰資金(アイドル・バランス)が存在するようになったため、無担保コール・レート(オーバーナイト物)は、01年3月の導入時にそれ迄の0.15%程度からゼロ%近辺に低下し、今日に至っている。このため世間では01年3月の政策変更を「ゼロ金利政策の復活」と呼んでいるが、これは正確ではない。「操作目標」である「コール・レート」をゼロ%近辺に保つ政策(ゼロ金利政策)から、「操作目標」である「当座預金残高」を一定額に保つ政策(量的緩和政策)に転換したのである。
   「量的緩和政策」の下では、当然コール・レートはゼロ%近辺に張り付いたままになる。このため、「ゼロ金利政策」と「量的緩和政策」のどこが違うのかと思うかも知れない。
   しかし、両者を区別することは、少なくとも二つの点で重要である。
   第一に、「ゼロ金利政策」は、最短の金利をゼロ%近辺に保つことによって、中・長期の金利水準にも引下げの効果を及ぼす政策である。これに対して「量的緩和政策」は、巨額の「当座預金残高」をCPI(生鮮食品を除く、以下同じ)の前年比が基調的にゼロ%超となる迄置き続けるなどとコミットしているので(「時間軸」政策)、将来の予想金利水準を一層低くし、ターム物の短期金利と中・長期金利に対する引下げの効果が、より大きいと考えられる。
   また銀行システムのポートフォリオに30兆円ものアイドル・バランスを置き、万一の場合も金融不安の連鎖を絶ち切る備えが常に存在するという安心感を与えている。
   もっとも、このようなベース・マネーの大量供給によって銀行の貸出態度が積極化し、マネーサプライの伸び率が高まると考えるのは幻想にすぎない。不良債権の早期処理、自己資本比率の維持、収益性の向上という相互に矛盾する三つの要請を受けている銀行としては、リスクの高い貸出を抑制することによって三つの指標に共通する分母を小さくするのが、最良の策である。ベース・マネーが増えても、与信活動を積極化する筈はない。これは典型的な「流動性のワナ」(ケインズ)である(拙著『日本経済 持続的成長の条件』(東洋経済 04年)参照)。
   「ゼロ金利政策」と「量的緩和政策」を区別する第二の意味は、「超金融緩和」からの「出口政策」を考える際に必要である。「超金融緩和」が二段階を経て進んだように、そこからの出口も二段階を経て進むであろう。始めは「当座預金残高」を圧縮する「量的緩和政策」の修正から始まり、「当座預金残高」が所要準備の約6兆円に近付くにつれて、無担保コール・レート(オーバーナイト物)がゼロ%近辺を離れて上昇し始めるであろう。この段階からが「ゼロ金利政策」の修正である。そして日本銀行の「操作目標」は、再び伝統的なコール・レートに戻る。

【4つのケースとは】
   以上の知識を前提として、「出口政策」のケース・スタディに入ろう。
   今後、日本銀行が「出口政策」を迫られる事態、あるいは少なくともその検討を迫られる事態は、大きく分けて次の4つのケースではないかと考えられる。
   [ケースT]6月調査の「日銀短観」によると、全規模全産業の売上高計画は、前年度実績の+0.7%から、本年度計画の+1.4%になり、2倍に加速する。この計数が示唆するような景気回復が本年度中に続き、03年度の3.2%成長に続き、04年度も3%台の実質成長率となる場合をケースTとしよう。
   日本の潜在成長率については諸説あるが、ジョルゲンソン・元橋の共同研究の中間値をとって2.4%とみると、2年連続の3%台成長に伴い、GDPベースの需給ギャップは2〜3%縮小する。需給ギャップが1%縮小するとCPIの下落率は0.4%縮小するという日本銀行の研究資料を使うと、インフレ率は現在のマイナス0.3%程度のデフレから、本年度末にはプラス0.1〜0.3%程度に上昇してくる可能性がある。そして明年度も需給ギャップが縮むような2.4%以上の成長率が続くと、CPIのインフレ率は基調的にゼロ%超となろう。これに伴い名目成長率も3%台となり、長期市場金利は少なくとも3%台まで上昇して来ると考えられる。
   [ケースU]本年下期以降、米国の長期金利が5〜6%に上昇するにつれて、日本の長期市場金利も国際的金利裁定を通じて上昇し、本年下期から明年にかけて3%に近付く場合をケースUとしよう。長期金利の上昇に伴うデフレ効果や株価の軟調、米国の成長減速に伴う対米輸出の鈍化などから、04年度後半には日本の成長も潜在成長率、又はそれ以下に減速し、明年になってもCPIのインフレ率は継続的に前年比プラスとはならず、デフレ脱却がはっきりしないケースと考えよう。
   [ケースV]原燃料の輸入価格が上昇を続け、コスト・プッシュによってCPIのインフレ率がプラスに転じ、長期金利も3%に向かって上昇してくる場合を、ケースVとしよう。
   コスト・プッシュと長期金利上昇は企業収益を圧迫するので、ケースUと同様に、成長は来年に向かって減速するであろう。
   [ケースW]ケースTの場合ほどは成長率が高まらず、需給ギャップの縮小は小さく、CPIのインフレ率もゼロ%前後でデフレ脱却ははっきりしないが、地価や株価などの資産価格が上昇し始める場合をケースWとしよう。
   これは1980年代後半と似たケースである。あの時は、物価は極めて安定していたが、金融超緩和の下で資産価格の暴騰という形でバブルが発生した。
   現在も、技術革新やグローバル市場における低賃金労働力の存在などによって、完成品の価格は上昇しにくい構造を持っている。反面、、一等地の不動産価格は既に底を打ち、不動産投資ファンドが盛んだ。
   以上のケースT〜Wは、必ずしも独立して現れる訳ではない。実際にはTとVが重なってインフレ率が大きく上昇したり、UとWが重なってデフレ下の金利上昇が強まる場合もありうることである。

【「出口政策」のパターンは】



   さて、以上の4つのケースに対する日本銀行の適切な対応は、どう在るべきかを考えてみよう。
   [ケースT]この場合は、「量的緩和政策」の下で「当座預金残高」を徐々に圧縮し、最後に「ゼロ金利政策」を放棄して、コール・レートの高目誘導を始めるべきである。
   その際市場が過度に反応して長期金利が早くから上り過ぎると、投資の機会費用上昇、国債の評価損拡大、株価下落などで、折角の持続的成長にブレーキがかかる。反対に修正が遅れてしまうと、インフレ率が過度に高まり、先へ行って強い引締めが必要になり、これも持続的成長を壊してしまう。
   そこで出てくる議論が、「インフレ目標値」である。日本銀行が予め目標とするインフレ率を示しておけば、市場が過大、あるいは過小に反応することはない、という考え方だ。
   これは、「一定のプラスのインフレ率」を金融超緩和からの「出口」の「十分条件」とする考え方だ。しかし、後に述べるように、ケースVやケースWの時に、「出口」が早過ぎたり遅すぎたりするリスクを伴う。
   従って、目標値という形ではなく、日本銀行が予想しているインフレ率の推移を市場に知らせ、「量的緩和政策」の修正テンポや最終的な「ゼロ金利政策」解除の時期などの「時間軸」を、市場が予想しやすくすることが大切だ。それが過度の長期金利変動を抑える工夫になる。
   [ケースU]海外金利高の影響で日本の長期金利が上昇してきた時には、どう対応すべきであろうか。
   デフレを脱却していない時に、外生的要因で長期金利が上昇し、成長に悪影響を与えるのは防がなければならない。しかし、「量的緩和政策」を更に進めてみても、短期金利はもうゼロ以下には下らないので、長期金利抑制の効果はほとんどない。
   大切なことは、長期金利の上昇が日本銀行の「量的緩和政策」の「出口」の始まりではなく、もっぱら海外要因によるものだという日本銀行の認識を、明確に市場に伝えることである。その事を態度で示すために、長期金利引下げの効果は一時的なものに過ぎないとしても、長期国債の買オペ額を増やすのも、一つの方法かも知れない。しかし長期的な効果のない政策であるから、あまり大量に実施しない方がよい。
   この場合、一つのリスクがある。それは米国金利上昇の下で日本の金利を低水準に据置くと、金利差の拡大で円安が進み、輸入インフレと輸出増加に伴う成長加速でケースTに近付くかも知れない。その時は、遅滞なく「量的緩和」の修正に入るべきである。
   [ケースV]コスト・インフレの場合は、CPIのインフレ率がプラスになるので、「インフレ目標値」を掲げていると、当然「量的緩和政策」の「出口」と市場は判断し、長期市場金利は上昇に転じる。
   この金利上昇は、ただでさえコスト・プッシュで収益を圧迫されている企業にとって、二重の収益圧迫要因となる。これは明らかに持続的成長の妨げとなる早過ぎる「出口」だ。
   ただし、輸入インフレは便乗値上げで国内インフレに転化することがあるので、これに備え、量的緩和をやや縮小する程度の配慮は要る。
   「インフレ目標値」を「出口」の「十分条件」として掲げていると困ったことになるのがこのケースだ。
   03年10月に、日本銀行は「量的緩和政策」から転換する条件として、@CPIの前年比が、単月ではなく基調的にゼロ%超となること、ACPIの前年比が先行き再びマイナスにならないと政策委員の多くが見通していること、という二つの条件と並べて、三つ目にB経済物価情勢の総合判断を加えた。これは@とAが「十分条件」ではないという意味で適切である。
   [ケースW]CPIのインフレ率がマイナスをはっきり脱していないのに、上地や株式などの資産価格がどんどん上昇し始めた時には、日本銀行はどうすべきであろうか。
   資産インフレは、資産の賃貸料(例えば家賃、地代)などを通じて財・サービスのインフレに転化すると理論的には考えられるが、1980年代後半の経験によれば、そのタイム・ラグは意外と長いものである。87〜89年の資産バブル発生時には、CPIの前年比は+0.5%であった。バブルが崩壊する89〜91年頃になって、ようやくCPIのインフレ率に波及し、前年比は+2.6〜3.0%に上昇した。
   現在はあの当時よりも物価の安定基調が構造的に強い。CPIのインフレ率がプラスにならない限り、超緩和を続けるという態度をとると、バブルの発生と崩壊で持続的成長が壊れるリスクがある。
   つまり、「インフレ目標値」を「出口」の「十分条件」ではなく「必要条件」としていても、「出口」が遅れるというリスクがある。
   この場合は、たとえデフレの脱却がはっきりしていなくても、日本銀行は「量的緩和政策」を解消する勇気を持たなければならない。その意味で、前述の三つの条件のうちのBこそが「十分条件」なのである。

【インフレ率を「参照値」に】
   以上、考えられる4つのケースについて、「出口」論を考えた。
   一つの結論は、「インフレ目標値」を掲げることは、「出口」の「十分条件」としては勿論のこと、「必要条件」としても、不適切なケースが存在することだ。ケースTとUの時はよいが、ケースVでは「出口」が早過ぎ、ケースWでは「出口」が遅過ぎるリスクがある。
   しかし、インフレ率を無視してよい訳ではない。ケースTとケースUでは、日本銀行がCPIのインフレ率を大切な「参照値」にしているという認識が、過度の長期金利変動と、その経済に対する撹乱的影響を防ぐ上で十分に役に立つ。
   最近日本銀行の総裁や副総裁の一人が、将来は、日本銀行が望ましいと考えているインフレ率を政策運営の「参照値」として公表することも考えられると発言しているが、私はサポートしたいと思う。
   4つのケースに対して日本銀行が以上のような政策態度をとった時、国民、産業界、財務省はどのように感じるであろうか。
   [ケースT]このケースは景気回復とそれに伴う物価上昇に見合った金利上昇であるから、各界の不満は比較的少ないであろう。経済界と財務省は金利負担の増加を嫌がるであろうが、経済界には収益の回復があり、財務省には自然増収があるので、強い反発はないであろう。
   [ケースU]「量的緩和政策」が続き、金利は低めに抑えられているので、経済界と財務省にあまり不満はないであろう。しかし、消費者であり預金者である国民から見ると、物価上昇下で金利が据置かれることに当然不満が高まろう。
   [ケースV]経済界と財務省は米国につられて金利が上昇することに不満はあろうが、日本銀行はそれを抑えようとしているのであるから、日本銀行に向かって強い不満は来ないであろう。預金者には、いつまでも金利が低く抑えられることに不満があるかも知れない。
   [ケースW]国民はこの利上げを支持するであろうが、金利負担が増える経済界と財務省には不満があるかも知れない。このケースが、日本銀行にとって一番難しい。
   以上のように、日本銀行の政策態度が各界から喜ばれるケースは意外と少なく、ケースTしかない。これが中央銀行の宿命である。最終的には日本経済の持続的成長に資するので、各界から評価されると確信し、説明責任を十分果たしながら、勇気を持って実行するほかはない。