郵政民営化論の「バカの壁」(『VOICE』2004年6月号)

─「何でも民営化すれば良くなる」は思考停止の典型だ─

   昨年は「バカの壁」という言葉が流行語の一つとなった。養老孟司著『バカの壁』(新潮新著、二〇〇三年)を読んでみると、「それ以上の理解を諦める、あるいは聞く耳を持たない、という形で思考を停止し、己の周囲に作っている壁」が「バカの壁」だそうである。
   そう言われてみると、現代日本の経済政策の中にも、大切な分野で思考停止が行なわれ、「バカの壁」が築かれて、それ以上政策が発展しない例がいくつもある。それが小泉改革を有名無実にし、日本経済の停滞を長引かせている。
   以下、重要な分野についていくつかの例を挙げてみよう。政治家や官僚が思考停止の呪文から覚め、「バカの壁」を壊し、聞く耳を持って政策を前進させることを期待したいからである。

【金融庁に銀行経営が分かるか】
   日本の金融行政は、米国から迫られている「不良債権の早期処理」と、BIS規制である「自己資本比率規制」を最優先にするという所で思考が停止し、いっさい聞く耳を持たずにこの二つに邁進している。そして自己資本比率が低下した銀行には公的資本を注入し、「経営改善計画」と稱する「効率性指標」の目標化を義務付けている。
   しかし、「不良債権比率」と「自己資本比率」と「効率性指標」の三つについて数量目標を強制すれば、どのような理屈で日本の銀行システムが蘇り、日本経済が復活するのであろうか。そこをきちんと考えたことがあるのか。米国の要請やBIS規制は正しいと頭から信じ込んで思考停止し、「バカの壁」を作ってそれ以上考えないでいるのではないか。
   この三つの数量目標は本来相互に矛盾する。不良債権処理を急げば、資本金を崩すから自己資本比率が下がる。有税の償却や積立てを行うので、効率性指標も下がる。そこで自己資本比率と効率性指標の低下を最小限に抑えようとすれば、二つの指標の分母である貸出総額を圧縮するほかはない。その結果「貸し渋り」や「貸しはがし」が起きて景気に悪影響が及ぶ。これでどうして銀行システムが蘇り、日本経済が復活するのか。結果は逆ではないか。
   本来矛盾する三つの経営指標について、行政が数量目標を強制するのは民間市場経済への「過剰介入」である。矛盾する三つの指標についてはいろいろな組合せがあり、そのどれが適切かということは行政が判断する問題ではないし、そもそも判断する能力もない筈だ。
   この組合せは、経営者がクビを賭けて選択し、顧客や株式市場の投資家など広い意味の「マーケット」に判定してもらうことである。行政が行うのは、三つの指標に偽りがないかどうかを検査して公表し、透明性を高めるところ迄だ。その結果、マーケットの判定で退場を余儀なくされる銀行については、預金者を保護し、金融システムの安定性を維持することに努めるのが行政の仕事である。
   「バカの壁」を壊し、このような市場型の金融行政に転換するならば、銀行経営者の自律性が高まり、銀行の差別化が進み、リスクを取って融資する銀行が現れ、日本経済の復活につながることになろう。
   竹中大臣と金融庁の官僚は、介入型行政から市場型行政への転換を口で言うだけではなく、この分野で「バカの壁」を壊し、実行して欲しいものだ。

【道路公団は民営化より解散を】
   次に、小泉首相は、「道路公団と郵政三事業の「民営化」はよいことだ。歴代首相も野党でさえも言い出せなかった「民営化」を自分は実行するのだ」と主張するところで思考停止し、これらの「民営化」が本当に日本経済を復活させる構造改革になるのかどうかを考えもしないし、説明もしない。これは小泉首相が築いた「バカの壁」ではないだろうか。
   市場メカニズムにまかせた方がよい事業を政府が行っている場合は、「民営化」した方がよいに決っている。鉄道事業、通信事業、タバコ製造業は、市場メカニズムに従って民間で行うことが出来るのに、国鉄、電々、専売の三公社が官業として行っていた。だから中曽根首相が行ったこの三公社の民営化は正しい政策なのである。民営化後の三公社は、同じ事業を行なう内外の民間会社と市場メカニズムに従って競争し、経営効率も改善している。
   道路公団と郵政三事業はどうであろうか。
   郵政三事業のうち郵便貯金と簡易保険は、明らかに市場メカニズムに従って民間で行われている銀行業や保険業と競合し、「官業の民業圧迫」の典型である。この二事業の民営化が望ましいことは、疑問の余地がない。私はこの二事業を縮小し、最終的には民間に売却すべきだと思う。しかし、高速道路建設と郵便事業は違う。
   高速道路を含む道路は「公共財」であるというのは、経済学の常識である。「公共財」とは、市場メカニズムにまかせておくと、最適配分が行なわれない財のことである。道路の場合、その建設を民間市場経済の自由競争にまかせておくと、道路事業の最適規模が極めて大きい(限界収益が逓減せず逓増する)ので、先発会社が競走上有利な立場にたって後発会社を市場から締め出し、独占が成立する。その結果、道路の建設が不足したり、独占利潤をあげるための高い通行料金を設定したりする。
   従って道路建設は、高速道路の建設を含め、政府・自治体が行うべきことである。道路公団の経営が乱脈で借金が増え続けているのは、政府の道路公団監督が悪いからである。民営化しても競争相手が居ないから改善されない。対策は道路公団を解散し、政府が別の形で高速道路の建設を管理することである。道路公団の民営化は対策にならない。
   しかし政府は、始めから「民営化」ありきで、「道路関係四公団民営化推進委員会」を作り、民営化をどのように進めるかの議論に終始している。これは民営化という「バカの壁」を前提にした対策だ。
   そうではなくて、まず「バカの壁」を取り払い、高速道路建設はどのように進めるのが一番よいかを議論すべきなのである。道路関係予算九兆円のうちの二兆円を使えば、既存の高速道路の管理や道路公団の債務返済は出来る筈である。道路公団の「民営化」よりもよい案が、いろいろ出てくる筈だ。

【郵便配達はナショナルミニマム】
   同じような「バカの壁」は、郵便事業「民営化」についても言える。採算を度外視して全国一律同一料金で郵便を配達することは、民間市場経済では出来ない。しかし、日本の国土のどこに住んでいてもこのサービス(全国一律同一料金による配達)を受けることが出来る状態を、日本の国家がナショナル・ミニマムとして保障することは、「公共財」としてこのサービスを国が提供していることにほかならない。
   またこのサービスを実現するために、山間僻地まで張り巡らさせている郵便局のネットワークも、貴重な社会的共通資本(公共財の一種)である。この貴重な社会資本を使って提供している公共サービスが、全国一律同一料金の郵便事業である。
   それなのに、「民営化はよいこと」という所で思考停止し、この公共サービスまで民営化しようという発想は、将に「バカの壁」である。
   民間市場経済でも採算の合う特定地域の郵便事業に民間会社を参入させることは、一種の規制緩和として考えられる。しかしこの場合は、採算に合わない山間僻地を同一料金で対象にすることは出来ないので、都市間など便利な所に事業は限られるであろう。そうなると、コストの安い地域だけに民間会社が参入し、コストの高い地域は国の郵便事業に残される。このため国の郵便事業コストは上昇し、料金引上げか税金による赤字補填に追い込まれる。
   政府は、参入する民間会社にも全国一律同一料金や一定のポスト・ネットワークを強制しているので、参入に熱心であった「ヤマト運輸」を含め、今のところどの会社も参入しようとしない。採算に合わないからだ。その結果政府は、事実上独占の壁を築いている。これは規制緩和という改革の方向とは正反対だ。この状態で、この独占的郵政公社を「民営化」してみたところで、何になるのか。巨大な民間独占企業を作るだけだ。市場メカニズムに沿った経済の効率化などは、一つも進まないであろう。
   民間会社の自由な参入を認め、競争を通じて郵便事業のコスト低下を促進する一方、公共サービスである山間僻地への同一料金による郵便配達は、ナショナル・ミニマム維持のコストとして、税金を投入してでも維持すべきであろう。

【民営化すべき分野は他にある】
   以上、道路公団と郵政公社の「民営化」が正しいと頭から思い込むことは、「バカの壁」を築くことであると説明したが、逆に言って、それでは「民営化」は必要ないのだと考えるとすれば、これも一種の思考停止であり、「バカの壁」である。
   どの場合に「民営化」が必要で、どの場合に「民営化」は不適切なのかを考えるのが、「バカの壁」の突破である。
   前述のように、郵貯と簡保は「民営化」すべきであるが、高速道路建設と郵便事業は民営化すべきではない。
   道路公団と郵政公社は目立つ存在なので、小泉首相は「民営化」の対象としてショウ・アップしているのであろうが、もっと地味な分野に「民営化」すべき政府事業は沢山ある。
   ここではいちいち挙げないが、特殊法人、独立行政法人、認可法人の大半は、民間でも出来る事業を政府が奪っている。この分野の「民営化」を着実に実施することは、日本経済全体の効率を上げ、民間市場経済の投資機会と雇用機会を増やして、景気回復にも通じる。
   日本経済の構造改革でいま一番大切なことの一つは、官主導から民自立に経済の仕組みを変えて、低迷している国内需要向け産業の投資機会と雇用機会を増やすことである。これなしには、日本経済が持続的な成長軌道に乗ることは出来ないであろう。
   いま日本経済の回復を引張っている輸出関連製造業には、既に官の過剰介入はなく、世界の企業を相手に自由競争をしている。問題は残りの国内需要向け産業(就業者数全体の九割に達する)に対する規制の撤廃や緩和である。既に論じた「民営化」も「官業の民業圧迫」を無くすのであれば、民自立の投資・雇用機会を増やすので、同じ効果を持つが、ここではもっと広範な官の過剰介入の廃止問題を取り上げたい。

【「構造改革特区」もバカの壁】
   日本では、民間の事業については必ず監督官庁が存在する。そして総ての業界について、監督官庁が「業法」に基づいて規制している。この「業法」を廃止して、市場経済の競争ルール(公正な競争、情報の公開など)一般を定めた「市場法」に置き換え、この市場法に違反しない限り、民間は創意工夫をこらして自由に経済活動が出来るようにするべきだ。これが官主導から民自立への改革を実現する規制改革である。
   小泉内閣は、宮内義彦議長(オリックス会長)の下に「総合規制改革会議」を発足させたが、そこから提案された「一二の重点検討項目」は棚ざらしにされたままで、まったく前進していない。
   小泉政権で進んだのは、こうした全国規模の規制改革ではなく、「構造改革特区」の創設である。これは、個々の地方自治体が規制撤廃を要望したうち、監督官庁が承認したものだけを(全体の一〜二割にすぎない)、要望した自治体に限った規制撤廃するというものだ。
   この「特区」方式は、二重の意味で必要な規制撤廃になっていない。第一に、規制の実施主体である監督官庁の承認を求めるのは、俎の上の鯉に包丁を持たせるような話で、適切な規制撤廃が進む訳がない。第二に、適切な規制撤廃は全国規模で行うべきであって、要望した自治体だけに特定すべきではない。
   何故小泉政権はこんなことをするのか。「特区」というのは、中国が社会主義計画経済の市場経済化を進めるに当たり、特定地域を「特区」として自由化、市場経済化の先頭に立たせ、次第に全国に広げて行った制度である。
   小泉政権は、この「特区」の制度が自由化や規制撤廃の模範だと思っているのではないか。そこで思考を停止し、「特区は改革にとって良い事だ」という「バカの壁」を立てているのではないか。
   発展途上の社会主義計画経済に市場経済を導入する際には、「特区」は一つのやり方として評価できるとしても、先進国である日本の市場経済の規制緩和・撤廃に「特区」を摘要するのが良い筈はない。そこをよく考えないで思考停止しているのは、「バカの壁」だ。
   グローバルな市場経済で自由競争をし、大活躍している一割の輸出産業と、官の規制の強い九割の国内需要向け産業に分かれている先進国日本では、グローバルな自由市場を手本にして、国内の市場法を作るべきだ。そして国内産業の規制撤廃(業法の廃止)を全国規模で実施すべきである。
   その際、俎上に乗っているのは業法に基づいて規制を実施している監督官庁である。この業法を市場法に置き換え、規制撤廃を進めるのは政治の役割である。監督官庁にお伺いを立てているようでは、「バカの壁」は破れない。

【地方を蝕む「三位一体」改革】
   規制撤廃と並んで大切な構造改革の手段は、中央支配から地方主権に仕組みを変える地方分権の推進である。この分野にも「バカの壁」が見られる。
   それは、いわゆる「三位一体」改革である。現在、中央政府が地方自治体を支配する有力な仕組みとなっているのは、各省庁が持っている「補助金」の制度である。これは、各省庁が作った計画(中期、長期)に沿ったプロジェクトを持ってきた地方自治体には、所要資金の半分(多少割合が違うケースもある)を補助金として与える制度だ。この補助金総額は、実に二〇兆円に達する。このため地方自治体は、中央官庁の補助金対象計画にはない事業をやりたくても、地方単独事業となって所要資金が全額自己負担となるので、容易に出来ない。逆に、あまり必要のない事業でも、中央官庁の計画にあれば補助金欲しさに実施する。
   地方自治体の自主性を奪うこの補助金の仕組みを廃止することが、地方分権推進の基本でなければならない。
   ところが小泉政権は、補助金、地方交付金、地方税財源の三つを「三位一体」で改革するのが地方分権だと言うところで思考を停止し、「バカの壁」を築いている。このため、壁の前で何が行われたかと言えば、二〇兆円の補助金総額のうち来年度予算で僅かに一兆円を削減することが決った。その分地方交付税と税財源を増やすと言うのであるが、各自治体ごとに補助金削減と見合っていないので、補助金を減らされっぱなしの自治体が出てくる。
   また財務省は、地方自治体の財政再建を進めるチャンスとばかりに、補助金と交付金を減らし、税財源を十分に移譲しないことを考えている。
   要するに、地方自治体の自主性を高めるのが目的であれば、補助金の仕組みを壊して、使途を特定しないカネ(一括補助金でも交付金でも税財源でもよいが)を自治体に渡し、自治体が本当に必要と考えている事業に使わせるべきなのである。
   ところが「三位一体」という言葉だけが踊り、補助金の仕組みはそのままで一兆円の補助金削減だけが実施された。「三位一体」という言葉を使った所で思考を停止して「バカの壁」を築き、何のためにやるのかを考えていないのだ。地方自治体の自主性を高め、中央支配から地方主権へ日本の仕組みを変える構造改革のためだという事を忘れている。そこに財務省もつけ込んで、地方予算を締め上げる余地が生れる。

【社会保障は「税」方式に転換を】
   ほかにも「バカの壁」は沢山あるが、ここでは最後に社会保障制度の「バカの壁」を指摘しよう。
   年金、医療、介護という基礎的な社会保障制度について、政府と厚生官僚は、社会「保険」方式でなければならないという所で思考を停止し、「バカの壁」を立てて「税」方式に耳を貸さない。
   しかし、働く世代から保険金を取り、高齢者に給付する賦課方式の社会「保険」制度は、働く世代が減り、高齢者が増える「少子高齢化」の下では破綻するに決っている。こんな事は子供でも分かることだ。
   基礎年金、高齢者医療、介護の三つについては、国民全員が所得・消費の水準に応じて負担する「税」方式に早く切り替えなくては、給付は下がり、保険料は上がり、保険料の未納が増えて「保険」制度そのものが破綻するのは目に見えているではないか。
   少子高齢化の下でも社会「保険」制度が維持できる社会保障は、働く世代だけが加入する賦課方式の医療保険と報酬比例の積立方式の年金保険だけである。あとの基礎年金、高齢者医療、介護は「税」方式に早くも切り替えなければいけない。高齢者のモラル・ハザードを防ぐためには、ある程度の自己負担と重複診療・重複投薬を防ぐ電子システムが必要である。いずれにせよ、働く世代に保険料という形で負担させるのは止めた方がよい。
   「保険」方式は厚生官僚にとっては長年先輩から受け継いできた伝統であろう。また社会保険庁や自治体保険課の行革にもつながる。しかしだからと言って、「保険」方式でなければだめだという「バカの壁」の前であぐらをかいて居ては、日本の社会保障制度そのものが崩壊してしまう。
   ここは政治が指導性を発揮し、「バカの壁」を壊すべきだ。