自己資本比率規制の撤廃主張を(『RR - Risk&Return Global Investment News 2004年Vol.15』2004年4月19日)


【日本の銀行を狙ったBIS規制】
   そもそも自己資本比率規制は、BIS(国際決済銀行)による一九八八年一二月の「銀行の自己資本比率規制に関するバーゼル合意」(いわゆる「BIS規制」)に基づき、日本の銀行に一九九三年三月から適用されたものだ。国際市場でも活動する銀行は八%以上、国内でのみ活動する銀行は四%以上、の自己資本比率規制が日本の銀行に課せられた。
   BIS規制が決められた一九八八年は、バブルの絶頂期で、日本の銀行が世界一〇大銀行の地位を独占し、国際市場で大活躍をしていた。そのやり方は、市場で大量の外部資金を調達し、薄い利鞘で貸出しに回す形でプレゼンスを高めたのである。このように、市場調達の外部資金に依存して拡大する日本の銀行は、伝統的に自己資本比率が低かった。
   そこを欧米の銀行に狙われた。国際金融市場の安定性を確保するという大義名分の下に、欧米各国が一致して、八%の自己資本比率規制の導入を提案してきた。外部資金に依存した日本の銀行の貸出拡張に制約を課するためで、この自己資本比率規制を満たさない銀行は、国際金融市場での活動を禁止しようというのである。
   日本の銀行にとって不幸であったのは、このBIS規制の適用開始が、バブル崩壊後の一九九三年三月以降となったことだ。ただでさえ低い自己資本比率が、株価(含み益の四五%は自己資本とみなせる)の暴落によって更に低下した。
   その上、業務純益では間に合わない程多額の不良債権処理をするとなると、自己資本を取り崩さざるを得ず、ますます自己資本比率は下がる。大手銀行を残して、ほとんどの銀行は国際金融市場から閉め出された。八%ではなく、四%の自己資本比率規制で済むからだ。それでも足りず、比率の分母を圧縮するための「貸し渋り」「貸しはがし」となった。

【自己資本比率は銀行が決めるもの】
   そもそも自己資本比率は、このように当局によって強制されるべきものであろうか。
   銀行のリスク管理は、経営戦略によってさまざまな形をとる。
   例えば、リスクは高いが高収益の期待出来る投資銀行業務を主とする銀行は、高い自己資本比率を保たないと市場から信用されないかも知れない。逆に、コストのかかる高度なリスク管理体制を持たない銀行は、利鞘は薄いが十分にリスクが分散される安全な貸出を中心に小売銀行業務に徹するかも知れない。この場合は、自己資本比率は低くてもよいと考えるであろう。
   自己資本比率が低ければ、信用拡張係数が高くなるので、薄利多売の経営戦略がとれる。小売銀行型である。反対に自己資本比率が高いと信用拡張係数が低いので、ハイリスク・ハイリターンを狙う卸売銀行型になる。
   このように、自己資本比率というものは銀行の経営戦略と表裏の関係にあり、リスクとリターンの組合わせによって、さまざまの最適水準がある。この複雑な銀行の経営に対して、単一の自己資本比率を行政側が規制として強制するのは無理がある。これは過剰な「介入行政」である。
   銀行のリスクとリターンに関する経営戦略、それに対応したリスク管理体制と自己資本比率、結果として出て来る収益率と不良債権比率、これらは全部銀行が自己責任で選択すべき事である。そして、その適否を判定するのは、行政当局ではなく、市場であり顧客である。それによって株価が動き、顧客の数が決まる。その「結果責任」を経営者がとる。
   行政当局の仕事は、自己資本比率、収益率、不良債権比率に介入するのではなく、監督と検査によって、それらの諸指標に誤りがないかチェックし、その情報公開を促すことである。それ以上の経営介入をしてはならない。判定するのは「市場」であり「顧客」であって、「行政」ではない。
   銀行の破綻も自己責任である。行政の仕事は、その破綻が決済システム全体の不安定化を招かないように十分な流動性を供給することと、一口一千万円以下の預金者を保護するペイオフの実施である。これが「市場型」の金融行政である。
   日本の金融当局は、二〇〇六年三月に導入を予定して、現在進行中のバーゼル合意(BIS規制)見直しの国際論議の中で、一律の自己資本比率規制の撤廃を主張すべきである。「介入型」から「市場型」へ銀行監督の在り方を変えようというのは、世界の潮流であり、その流れに沿って、日本の主張を堂々と打出すべきだ。

【過剰介入の金融行政を改め「市場型」に戻れ】
   以上見てきたように、不良債権比率も自己資本比率も、銀行が自主的に決めるべき大切な経営戦略の一環である。そして最終的には、その結果が収益性指標に現れ、経営者が責任をとる。
   この三つの指標、不良債権比率と自己資本比率と収益性指標(例えばROE〈自己資本収益率〉、ROA〈総資産収益率〉)は、既に詳しく述べたように相互に矛盾する。
   本来矛盾する三つの経営指標について、行政が数値目標を強制するのは民間市場経済への「過剰介入」である。矛盾する三つの指標についてはいろいろな組合せがあり、そのどれが適切かということは行政が判断する問題ではないし、そもそも判断する能力もない筈だ。
   この組合わせは、経営者がクビを賭けて選択し、顧客や株式市場の投資家など広い意味の「マーケット」に判定してもらうことである。行政が行うのは、三つの指標に偽りがないかどうかを検査して公表し、透明性を高めるところ迄だ。その結果、マーケットの判定で退場を余儀なくされる銀行については、預金者を保護し、決済システムの安定性を維持することに努めるのが行政の仕事である。やたらに国民の血税(公的資金)を投入して、銀行経営を救うのは、いいかげんにやめるべきだ。
   このような「市場型」の金融行政に転換するならば、銀行経営者の自律性が高まり、銀行の差別化が進み、リスクを取って融資する銀行が現れ、日本経済の復活につながることになろう。