景気の自律的な回復はまだ始まっていない(『週刊東洋経済』2004年1月24日号)
─ 04年の日本経済 ─
日本経済は、約3年間、小泉政権の緊縮予算の下にあるにもかかわらず、2002年第2四半期から03年第3四半期まで、6四半期連続してプラス成長を実現した。それをリードしているのは、財政支出ではなく、純輸出と設備投資である(グラフ参照)。
このため待望の「自律的回復」が始まったとして、「日本経済の潮目は変った」「長期停滞がついに終わる」「日本経済復活への序曲だ」などという声が、一部のエコノミストから上がっているようだ。
しかし、本当に潮目は変ったのか。
バブル崩壊後、現在までの10年間ほどの長期停滞の間に、6四半期以上連続してプラス成長を記録した時期が、今回を含めて3回あった。グラフで確認できるように、95/T〜97/T(前々回)、99/W〜01/T(前回)、02/U〜03/V(今回)の3回である。
この三つのプラス成長期における成長率と需要項目の成長寄与率を比較してみると、別表のようになる。
まず定量的に三つの景気回復局面を比較してみると、前回と前々回は年率3%台で成長したのに対して、今回は年率2%台であり、勢いが弱い。年度の平均成長率で見ても、前回の2000年度には3.0%、前々回の1996年度には3.6%と3%台に達しているのに対し、今回は03年度の予測(政府は2.1%)も04年度の予測(同1.8%)も2%前後である。
経済成長の勢いから見るかぎり、今回は前回や前々回よりも勢いが弱く、日本経済の潮目の変化を感じさせるものはない。
財政金融面の下支え
次に成長要因を定性的に比較してみよう。上記の表の実質成長寄与率を見ると、三つの回復局面はかなり際立った違いを示している。
第一に、前回も前々回もプラスであった政府支出の寄与率が、今回は大きなマイナスである。小泉政権の緊縮予算の下で、公共投資を中心に歳出が削減されている中での回復が、今回の特色の一つである。
第二に純輸出の寄与率が、前回と前々回はなきに等しいが、今回は極めて大きい。輸出リード型の回復というのが、もう一つの特色である。
第三に民間投資の寄与率が今回と前回は極めて高いが、今回が最高である。民間投資リード型回復というのが、三つ目の特色である。
第四に民間消費の寄与率が、前々回、前回、今回と期を追って低下しており、民間消費の寄与が極めて小さいのが、四つ目の特色である。
以上の四つの特色が、日本経済の潮目の変化を物語るほどの意味を持っているのかどうか、考えてみよう。
まず第一の政府支出がマイナスの下での回復について。
財政の景気に対するインパクトは、支出の大きさだけで決まるものではない。小泉政権発足時の01年度当初予算は28兆円の公債発行であったが、01年度の補正予算で2兆円、02年度の補正予算で5兆円それぞれ追加されて35兆円となり、さらに03年度当初予算では36兆円強の発行を計上している。04年度当初予算では、37兆円弱の公債発行を予定しているが、これが曲者である。過去に特別会計から繰り入れた分の返済を先に延ばしたり、新たに特別会計や民間金融機関から一時借り入れを行ったりして、4.6兆円の「隠れ借金」を残している。これを加えれば、04年度当初予算の公債発行の実勢は41兆円に達する。
この28兆円から41兆円へ、通計13兆円(46%増)の公債発行増加は、経済停滞に伴う税収の落ち込みを埋めたもので、財政のビルトイン・スタビライザーである。これは大きな景気下支え効果を持つ。その下で02/Uからのプラス成長が始まったのであって、財政の支えのない民需主導の自律的回復というのはやや言い過ぎといえよう。
また、企業の設備投資は、収益回復に伴うキャッシュフローで賄われ、銀行貸し出しは減っているが、だからといって01年3月から始まったゼロ金利政策の影響がなかったと見るのは誤りである。キャッシュフローという自己資金の機会費用は、資金を金融システム内部で運用したときの金利水準であるが、それがいわゆるゼロ金利になった。これによって、民間投資の金融機会費用が著しく低下したことも、民間投資リード型の回復を支えている。
さらに、自己資本比率の低下した銀行(最近ではりそな銀行)への公的資本注入や、破綻した銀行(最近では足利銀行)への公的資金投下も、国民の金融資産(預金)の減少による逆資産効果を防いでいるという意味で、景気下支え効果を持っている。
したがって、財政・金融の両政策と関係なく、民需主導の回復が始まったので、潮目は変わったのだという主張は、事実誤認である。
輸出・投資の牽引力は弱い
次に、純輸出の寄与率が高いという今回景気回復の特色はどうか。
潮目が変わったと見る人は、今回の輸出伸長が、デジタル家電や乗用車の電子部品・デバイスを中心とする日本のIT産業復活と、中国など東アジア経済の再発展による鉄鋼、化学、非鉄など素材産業の立ち直りであることを強調する。確かにこの二つの動きが、今回の日本の輸出増加の背景にあることは間違いない。
しかし今回、純輸出の寄与率が高いのは、輸出の伸びが高いからというよりも、輸入の伸びが低いからである。前回と今回について、純輸出が大きく拡大した7四半期の輸出と輸入の伸びを比較してみると、前回(99/U〜00/W)は輸出が18.8%、輸入が17.9%、今回(02/T〜03/V)は輸出が23.5%、輸入が10.7%である。
確かに今回は輸出の伸びが前回より高いが、それ以上に今回の輸入の伸びが前回よりも低いことが目立つ。その原因を財別に調べてみると、今回は輸入の25%を占める素原料が減少しているのである。これは今回の鉱工業生産の水準が、回復したとはいえ昨年8月頃までは前回や前々回のピークよりも1割ほど低い水準で推移していたからだ。
この素原料の輸入は、今回も生産の回復が進むにつれ、やがて反転して増え始めるであろう。また今回の純輸出の増加が円高圧力を生み出せば、グローバルに展開する日本の企業は海外生産の比率を上げ、この面からも純輸出は減り始める。
この点でリスクがあるのは、04年の米国経済である。現在の可処分所得の増加のうち、給与の増加による分はわずかに25%で、あとの38%は減税効果、26%は失業手当など社会保障給付である。減税効果のなくなる今年下期以降、個人消費はどうなるのか。もし経済成長が減速すると、03/VにGDPの5.7%に達する貿易赤字が財政赤字と並ぶ双子の赤字として膨張するリスクもあり、ドル暴落の危険性がないとはいえない。
したがって、日本のIT産業復活と中国を中心とする東アジア経済再発展は事実であるとしても、それによっていつまでも純輸出リード型の回復が続き、日本経済が長期停滞を脱すると見るのは無理があろう。やはり純輸出の増加が刺激となって、設備投資や個人消費という国内民間需要の自律的回復が始まらないかぎり、日本経済の潮目は変わらない。
そこで今度は民間投資の成長寄与率が高い(78%)という三つ目の特色を考えてみよう。民間投資の寄与率は、前回も比較的高かった(67%)。そこで民間投資の中心である設備投資について、今回と前回を比較してみると、別表の通りである。
設備投資回復のスピードは、前回は年率9.2%、今回は同6.2%と今回のほうが遅い。当然経済成長率に対する寄与度も、前回は1.4%、今回は1.0%である。今回、回復に対する民間投資の寄与「率」が78%と高く出たのは、年率成長率が、今回は2%台と前回の3%台よりも低いからである。
したがって、03/Vまでのスピードに関するかぎり、今回の設備投資が前回よりも強力に回復をリードするので、日本経済の潮目が変わるという主張には根拠がない。
しかし03/Vはまだ回復の途中であるから、04年に設備投資の伸びが加速するとすれば、話は変わってくるかもしれない。
設備投資の増加が本年も続くであろうという予測については、まず異論はないところであろう。ストック調整のメドとして、設備投資の対GDP比率を実質ベースで見ると、現在は16.6%である。前回のピーク(2000/W)の17.6%から判断して、しばらくは設備投資が成長率を上回って成長をリードしても、設備ストックの過剰で設備投資が反転下落するおそれはない。
しかし、潮目は変わったと主張する人は、そのような循環論を越えて、論理を展開するのではないか。たとえばIT産業復活に伴う新製品供給のための新規投資、中国を中心とする東アジアの拡大と一体化した鉄鋼や化学など素材産業の更新投資などが、本年以降も伸び続けて日本経済の潮目を変える、という主張だ。
確かに昨年12月調査の「日銀短観」を見ると、鉄鋼、化学、非鉄、セメントの素材業種と、一般機械、電気機械、精密機械、自動車のIT関連加工業種の03年度設備投資計画の伸び率(%)は2ケタである。
しかしこれらの輸出関連製造業のウェイトは、日本経済の中で決して高くはない。製造業全体でもGDP全体の4分の1であり、そのまた半分である。問題は、残りの9割弱を占める国内の消費関連製造業や流通、建設、不動産などの非製造業である。この分野の過剰人員、過剰設備、過剰債務の整理は、不良債権処理と表裏の関係にあるが、いまはその最中で、地銀以下が悪戦苦闘中だ。
この分野の企業収益力が高まり、設備投資が自律的に起きてこないかぎり、潮目が変わるような民間投資主導の成長は始まらない。
雇用者所得が減り続ける
これは、国内個人消費の自律的な回復がデフレを止めるのはいつか、という問題とも深くかかわる。現状では、需要低迷で販売価格が持続的に下落するので、高価な新鋭機械への更新投資は採算上危険が高すぎるという業界がこの分野には多い。
そこで今回の回復の四つ目の特色、すなわち前回(25%)や前々回(52%)に比べて民間消費の寄与率が極めて低い点(16%)について考えてみよう。それがデフレの一因であり、また回復のスピードが遅い一つの理由だからである。
GDP統計の雇用者報酬の伸び率を、今回、前回、前々回について比較すると、別表のとおりである。
今回の回復局面だけは、名目でも実質でも、雇用者報酬が減少している。これは、この時期の日本の企業が、本格的な人件費総額の抑制に取り組んだからだ。割高な40、50歳代の男子常用雇用の早期退職を進め、事業拡大は社会保障負担の少ない割安なパートの採用と、時間外労働で賄った。
このため、常用雇用(事業規模5人以上、全産業)は、03年10月まで、2年11ヶ月連続して前年水準を下回り、減り続けている。しかしパート比率(全産業)は2000年度の20.45%から03年10月には22.66%に高まった。この過程で完全失業率は5%台に乗り、有効求人倍率は0.6倍前後で推移したが、パートの有効求人倍率だけは、03年10月には1.58倍の求人超過となっている。
企業がリストラによって損益分岐点操業度を下げ、成長率が低くても高い収益率を上げるようになったという今回の特色は、実はプラス、マイナスの両面を持っている。民間投資リード型の回復にとってはプラスであるが、それが雇用者報酬を減らし、民間消費の自律的回復につながらないという点ではマイナスである。高失業率とデフレが続く中での緩やかなプラス成長という今回の特色は、そこから生まれている。
日本経済の長期停滞が終わると主張する人は、遠からず企業のリストラが終わり、失業率の低下と共に雇用と賃金が回復して、個人消費の自律的回復が始まり、内需関連産業を含む全面的な投資リード型成長が始まると見ているのであろう。
しかし、この見方は楽観的にすぎる。最新の「日銀短観」(03年12月調査)を見ても、大企業の雇用人員判断DIの「過剰」超幅は、製造業で18%ポイント、非製造業で13%ポイントに達している。雇用者数も、03年9月末現在で前年比1.4%減っている。
仕組みを変える改革を
今回の回復は、これまでと同様に程度の差はあれ財政・金融政策に支えられている。それでもスピードは前回や前々回よりも遅いのだ。民間投資の牽引力は前回よりも弱い。純輸出の拡大にはこの先限界が見えている。企業の立ち直りが雇用者報酬、ひいては個人消費の回復につながる因果の鎖は、切れたままである。高失業率とデフレの進行という重荷を背負った回復はまだ続くのだ。
IT産業復活や中国を中心とする東アジアの再興という好条件はあるが、それで日本経済が長期停滞を脱するためには、それらが国内需要(投資と消費)の自律的拡大に点火しなければ不可能である。しかし今の段階でそう見るのは早計であろう。内需関連企業のバランスシート調整やリストラが完了し地方経済が立ち直るのは、まだ先である。それとの関係で不良債権の処理が終わり、地銀以下を含む日本の銀行システム全体が健全化するまでにも時間がかかる。
企業の調整を促進し、国内需要の自律的回復をスタートさせるためにいま大切な政策は、仕組みを変え、経済構造を変えることである。@官主導から民自律に仕組みを変えて、投資機会と雇用機会を増やすための規制撤廃、A中央支配から地方主権に仕組みを変えて、地域の効率的な公共サービスと投資を増やす地方分権、B勤務形態の多様化と労働のモビリティ向上、少子高齢化などに対応できる社会保障制度、とくに年金制度の改革、などである。
@では、発展分野の教育、医療、福祉、職業紹介、農業の参入規制撤廃が大切であるが、これらを含む総合規制改革会議の「一二の重点検討事項」は、各省庁の抵抗で立往生したままだ。竹中平蔵大臣は「規制改革が遅れているのは、民間が族議員を動かして抵抗するからだ」(03年12月21日NHK日曜討論)と無責任な発言をしたが、政官業癒着の壁で規制改革が出来ないのであれば、初めから「改革」を口にする資格はない。
Aの地方分権では、中央省庁の計画に合致した場合にのみ、地方自治体のプロジェクトに補助金を出すという現在の仕組みを変えないで、20兆円の補助金のうちのわずか1兆円を「三位一体」で地方に回すなどと言う現状では、話にならない。
Bについても、減少する就業年齢層から保険料を取り、増加する高齢者に給付する賦課方式の社会「保険」という厚生年金の仕組みを変えないで、ただ保険料は年収の18.35%以下、給付は現役世代所得の50%以上と決めても、何の改革にもならない。誰も信用しない。基礎年金の国庫負担を3分の1から2分の1へ上げることについても、誰がどんな形で負担するかはうやむやだ。典型的な先送りで誰もが不安なままだ。
基礎年金の財源は目的税化した消費税を充て、スウェーデン方式を参考に年金制度を再構築すべきである。
しかし現実には、このあいまいな年金制度改革論議と税制改革論議が一緒になって、04年度は1.2兆円程度の家計負担増加となる。それが、ただでさえ減少している雇用者報酬に重くのしかかるのだ。これまでのところ消費者は、貯蓄率を下げて何とか消費水準を維持しているが、年金の将来が不安では、貯蓄率の引き下げにも限度があろう。
このような現状では、民間消費の停滞とデフレは続き、国内向け産業を含む全面的な設備投資の開花は04年もおぼつかない。インフレ目標を決めれば人々のインフレ期待が生まれ、デフレが解消するというリフレ論者の議論も空想的である。やはり前述の@〜Bを着実に実施しないかぎり、国内民間需要リード型の自律的成長が始まるのは難しい。
日本経済はまだ「夜明け前」だ。