「改革と不況のジレンマ」を解く (『週刊東洋経済』2001年11月17日創刊記念号)
――小泉改革は重大な思い違いをしている
改革の狙いは企業の収益力回復だ
― 不良債権の処理を急ぐ必要はない
― 経営改革による企業再生が最優先
― 緊急課題は三〇兆円の外枠で処理
景気後退が一段と深刻になっているにも拘らず、小泉首相に対する支持率が一向に下がらないのは、「改革」に対する国民の期待が極めて大きいからであろう。 しかし、「小泉改革」は、不良債権早期処理と国債発行三〇兆円以下という実現不可能な公約を掲げている。これでは眞の「構造改革」は実現しない。
――改革の「内容」はシステム転換
まず、何故構造改革が必要なのか。
それは八〇年代から始まった「情報化」を技術的基礎として、経済の「グローバル化」と「市場化」が世界的規模で進み、国内でも「少子高齢化」が加速してきたため、従来の日本のシステムはこれに適応できず、機能不全を起こしているからである。
具体的に言えば、長期顧客関係、メインバンク制、終身雇用制などの「閉じられた」経営手法や雇用慣行が、情報化、グローバル化、市場化という「開かれた」経済のトレンドの中で情報処理面の優位性を失い、資源の配分が非効率化し、経済が停滞してしまったのである。
景気対策が地方の雇用維持型の建設土建に偏ったことも、経済の効率悪化と所得再分配の歪みを招いた。
そのうえ、これまで日本経済の高成長を支えてきた高貯蓄率から生まれる豊富な資金が、日本国内の投資に回らなくなり、日本経済の高成長の要因ではなくなった。
何故なら、情報化、グローバル化、市場化の下で、世界規模の投資情報の伝達スピードが早まり、高齢者世帯を中心に一四〇〇兆円にも達した金融資産が高い効率を求めて、グローバルに移動し、投資効率の悪い国内を見放すようになったからである。
そのような貯蓄の海外流出が、国内経済の低成長と経常収支の大幅な黒字を生み出している。
国内の投資効率の悪さは、上述の資源配分の非効率による経済停滞の結果であるが、加えて日本の金融システムの劣化も響いている。
間接金融の場では不良債権を抱えた銀行がリスクをとって貸し出しをする能力を低下させており、直接金融の場では株式投資などの直接金融に不利な税率(利子二〇%、配当三五%、株式譲渡益二六%)が続き、直接金融の発展が制約されている。
従って、構造改革の「内容」は、何よりもこの「閉ざされた」日本型システムを、情報化、グローバル化、市場化に適応できる「開かれた」システムに転換することでなければならない。
具体的には、官が民を指導し、中央が地方を支配する従来の行政システムを規制撤廃と地方分権で壊し、司法・警察・安保・外交等に集中する「小さな効率的な政府」と、グローバル・スタンダードの下で自立した「元気な民間経済と地域社会」を創ることである。
新しいシステムの下では、企業経営は開かれた取引関係の下で収益重視・配当重視に変わり、労働は移動の円滑化と就労形態の多様化が進み、金融は市場化に対応して直接金融の比重が高まることになる
――不良債権処理と財政赤字削減は改革の「結果」であって目的ではない
このようなシステム転換を本質的内容とする構造改革は、何を最終的な「目的」にしているのであろうか。 それは言うまでもなく、情報化、グローバル化、市場化、少子高齢化にもっとも適した効率的な資源配分と公平な所得再分配を実現し、中長期的な日本の経済成長率を高め、豊かで安定した「日本人の暮らし」を実現するためである。
勿論この場合、成長率という数字自体が目標なのではない。暮らしの質を高める公害防除や社会保障などに資源を十分に向けることの出来る潜在的な成長力、つまり経済の力が目標なのである。
小泉首相が「苦痛を恐れず構造改革を実行する」と何回も強調するため、構造改革は不況や成長率の低下を招くという観念が国民の間に深く植え付けられてしまった。
しかし、これは大きな誤解である。
構造改革とは、システム転換によって効率的な資源配分をもたらすような新しい構造に経済を変えることであるから、一方では規制に守られていた非効率な部門が衰退し、他方では規制撤廃で生まれたチャンスを生かす効率的な部門が発展し、経済全体としては効率が高まって成長率は上がるのである。
苦痛とは、改革の過程で発生する衰退部門の側の倒産、閉鎖、失業などであって、経済の全体像は苦痛とは逆に輝かしい再生なのである。
ここに小泉改革の第一の思い違いがある。
それでは、小泉改革の中で重要な改革の「内容」、あるいは時として「目的」の様に位置付けられている「不良債権の処理」と「財政赤字の削減」は、正しくはどのような位置付けになるのであろうか。
「不良債権の処理」と「財赤字の削減」は構造改革の内容ではなく、ましてや目的などではない。
この二つは、システム転換(改革の「内容」)によって中長期的な経済成長率を高めること(改革の「目的」)に成功した時、「結果」として実現することである。(表1参照)
それにも拘らず、不良債権の処理と財政赤字の削減を、構造改革の「目的」そのものだと勘違いしているところに、小泉改革の第二の、そして致命的な思い違いがある。
致命的ということは、小泉改革の挫折を招く恐れがあると言う意味である。
この点を分かりやすく述べよう。
構造改革は前述の通り、衰退部門と発展部門を生むが、衰退部門から吐き出された失業者、土地・建物などの経営資源は、直ちに発展部門に吸収されるわけではない。
失業者が発展部門に再就職するための技能(パソコン操作、介護手法など)を持っていないとか、土地・建物が発展部門に適さないなど、経営資源のミスマッチが起こる。
その結果失業者が増えるなど経営資源の遊休化がおきる。
これは経済効率の低下であり、成長率の低下や不況を生む。
しかし資源の遊休化は「一時的」であり、職業訓練や土地・建物の値下りなどにより、やがては資源が発展部門に吸収され、ミスマッチは解消する。
その時、資源は効率の高い発展部門にシフトしているから、経済全体として資源配分は効率化し、「中長期的」な経済成長率は高まっていく。
このように、小泉首相の言う「改革に伴なう苦痛」というのは、本来「一時的」なものであり、「中長期的」には改革は「苦痛」どころか「歓び」の筈である。
――不良債権と財政赤字も一時的苦痛で増える
問題は、経営資源が遊休化し、成長率の低下や不況が発生したときの「苦痛」は、失業増加や倒産等にとどまらないことである。
成長率の低下や不況が起これば、企業経営が困難になるから「新たな不良債権」が発生する。
同じ理由で法人税や所得税の税収が落ちるから、「新たな財政赤字」が発生する。
つまり、「不良債権」も「財政赤字」も、構造改革を実行すれば、失業者同様、一時的に増えるのである。
しかし中長期的には、構造改革の「結果」、経済効率は高まるので、「不良債権」も「財政赤字」も、失業者同様に減る。 それは経済の回復で自然に減るだけではない。不良債権処理の努力や行政改革による歳出削減の努力などが、中長期的な成長率の高まりの中で、実を結ぶのである。
八〇年代の行政改革や規制緩和の努力が、九〇年代の経済回復を待って始めて財政赤字縮小という形で実を結んだ米国が、将にそうであった。
構造改革の「結果」、一時的には増え、中長期的には減る「不良債権」と「財政赤字」を、構造改革の「内容」や「目的」と勘違いし、いま直ちに減らそうとしているのが「小泉改革」の姿である。
その結果、何が起きるであろうか。
遅かれ早かれ、二つを直ちに減らすことは実現不可能と分かって来るであろう。
本年度のマイナス成長の下で、大量の不良債権が新たに発生し(要注意貸出の不良債権化など)、二〜三年で処理するという公約は実現不可能になる。
仮に「不良債権の早期処理」と言う公約を何が何でも実現しようとするならば、整理回収機構が銀行の不良債権を時価でどんどん買い上げ、その結果減ってしまった自己資本を補うため公的資本を銀行に大量に注入しなければならない。
しかし二つとも公的資金の投入である以上、新しい財政赤字の拡大要因である。
従って、この場合は、国債発行三〇兆円以下という公約が守れなくなる。
国債発行三〇兆円以下という公約が守れなくなる理由は、これだけではない。
本年度のマイナス成長の下で、税収は大きく落ち込むから、本年度と来年度の国債発行三〇兆円以下という公約を守ろうとすると、歳出削減は一段と厳しくなり、デフレ予算が一層のデフレを呼ぶような惨状を呈し、デフレ・スパイラルでますます税収は落ち、財政赤字は拡大するであろう。
このように、「不良債権を二〜三年で処理」「国債発行は三〇兆円以下」と言う小泉改革の公約は、本来構造改革の中長期的な「結果」であるべきものを、短期的な「目的」に掲げているので、二つは両立せず、実行不可能である。
早晩公約不履行となり、小泉改革を挫折させる。
小泉首相が本当に改革を成功させたいのであれば、不良債権処理と財政赤字削減を「短期」ではなく、「中長期」の目標(本当は「結果」)に切り替えるべきである。
公約の転換は次のようにやればよい。まず来年度「国債発行三〇兆円以下」という公約は、歳出の無駄を排除し、歳出構成を構造改革促進型の効率の良い形に変える為に、一応そのままにしておく。
財務省の試算では、放っておくと三三兆円を超えると称する来年度の国債発行を、五兆円の在来型歳出の削減と二兆円の改革推進型歳出の増加、差引き三兆円の歳出減で三〇兆円に収めるという方針は、形の上で堅持する。
その上で、当初の予想をはるかに上回る経済の悪化で発生する税収不足は、ビルト・イン・スタビライザー効果を維持するために許容すると宣言する。
つまり、税収落ち込みに伴なう財政赤字拡大は、「改革の痛み」の一部として許容し、三〇兆円の外枠で国債発行を行って埋めるのである。
これは、政治的には公約違反といって批判されるであろうが、もともと実現不可能な公約を掲げたのであるから致し方ない。
――不良債権早期処理の強行は銀行国営化への道
ここで不良債権の早期処理という公約をどうするかという政策判断に迫られることになる。
本当に二〜三年で処理したいのであれば、それに必要な資金も三〇兆円の外枠として国債発行で調達する以外に道はないであろう。
その場合は、整理回収機構が数十兆円の不良債権を銀行から買い上げることになる。
簿価で買うと言えば銀行は喜んで売り、自己資本の毀損もない。
しかし、これでは国民の税金で銀行を救済することになるから不公平である。
そこで、収益還元法で時価を算出して買い上げることになりそうであるが、収益見通しが難しいから売手の銀行と買手の整理回収機構の意見がなかなか合わないであろう。
その上、簿価と時価の差額だけ自己資本が毀損するから、公的資本の注入が必要になってくる。
現在でも、税効果分と過去の公的資本注入分を差引くと、一〇%程の自己資本比率が四%すれすれまで下がる銀行が少なくない。
従って、不良債権を大量に時価で売却すれば、必ず公的資本の注入が必要になる。
公的資本の第二次注入となれば、これは銀行の国営化であり、現在の経営者は責任をとって辞めなければならない。
経営者は当然それは嫌なので、不良債権の大量売却そのものを渋るであろう。
それでも国家の政策として不良債権早期処理を実現するのだとすれば、これは不良債権の強制買い上げと公的資本の強制注入という事になる。
市場経済の自己責任原則を無視し、社会主義統制経済のような強制措置を私企業である銀行に対して発動してよいのか。
「小泉改革は郵貯を民営化し、銀行を国営化した」という漫画のような話になってしまう。しかし、この道を真剣に模索している人が自民党や民主党の一部に居る。
――景気回復を阻害しているのは悪化した企業財務
そのうようにしてまで不良債権の早期処理にこだわる理由が本当にあるのか。 私はないと思う。
既に述べたように、不良債権の処理は構造改革の結果として実現することであって、目的ではないからである。
そもそも不良債権を処理しない限り、いくら財政と金融で景気を刺激しても、日本経済は立直らないという説は本当に正しいのか。
確かに九〇年代に入って、九回の財政刺激(総合経済対策)を行い、その事業規模は累計で一二九兆円に達している。
しかし九五年〜九六年の回復も九九年〜00年の回復も二年間しか続かなかった。
企業収益の回復が設備投資の回復と雇用・賃金を通じる個人消費の回復を招き、それがまた企業収益を更に回復させるという民間市場経済の自律的好循環にうまく連がらなかったからである。
勿論、好循環が始動するまで財政刺激を続ければよかったのだという議論は成り立つ。
しかし現実は財政赤字の拡大が心配になって、回復の三年目には緊縮財政に転じている。
九七年度の橋本超緊縮予算(国民負担増九兆円、公共投資削減四兆円)と00年秋の森緊縮補正予算(前年補正比五兆円減)がそれである。
その結果景気後退を招き、国債発行は減るどころか、九六年の二一・七兆円から九九年の三七・五兆円まで増え、現在も三〇兆円前後である。
それでは、企業収益の回復が二年間も続いたのに、三年目も財政刺激、あるいは少なくとも中立財政が必要だったのは何故であろうか。
それは、回復した企業収益が設備投資や雇用・賃金の回復に十分には向かわず、設備の廃棄、不動産の損切り売り、借入れの返済などバブル崩壊で痛んだバランス・シートの改善に向かっていたからである。
財政・金融面からの刺激が持続せず、民間の自律的好循環に点火しない眞の理由は、ここにある。
従って、最優先すべきは不良債権の早期処理ではなく、企業のバランス・シートの再建である。
その事に気付かずに、ただ企業いじめ、銀行いじめの不良債権処理を急ぎ、企業債務の国有化、銀行経営の国営化を急ぐ前記の経済戦略は、まったく的外れの愚策というべきであろう。
――企業経営の構造改革が最優先
バブル期に投資した非効率な設備の廃棄や売却、不必要な土地の損切り売りは九八年以降大きく進んでいる。図1はそれを示したものである。
とくに売却・廃棄額の対残高比率が九八年以降の三年間に大きく上昇し、バランス・シートの改善が加速していることが分かる。
この原資は回復した収益である。
収益はまた借入金の返済にも向かっている。
国内銀行の貸出残高は九六年度から毎年減少を続けているが、とくにその減少テンポは九九年度以降加速している。
不良資産の整理と債務の圧縮によって、法人企業統計ベースで見た企業の総資産利益率や設備ストック利益率(ROA)は、製造業も非製造業も九八年度に底を打ち、回復し始めている。
株主資本利益率(ROE)も、同じ傾向を辿っている(『日銀調査月報』0一年七月号一0九頁参照)。
その結果、図2に示したように、法人企業ベースの純債務対キャッシュフロー比率は、0一年には八0年代後半の好況期の水準にまで下がっている。
バランス・シートの再建に伴なうこのような利益やキャッシュフローの対資産・負債比率の回復は、当然企業に前向きの設備投資を行う意欲と能力を与えることになる。
表2は、日本銀行が公表した設備投資の回帰分析であるが、大企業製造業と中小企業非製造業の双方(GDP中のシェア六五%)において、キャッシュフロー変数は一%水準で有意となっている。
表2でもう一つ面白いことは、大企業製造業の場合、貸出態度変数は一%水準で有意ではないことだ。
このことは、九〇年代における大企業製造業の設備投資回復を阻げていたのは、不良債権を抱えた銀行の貸し渋りではなく、バランスシートの悪化に伴なうキャッシュフロー不足であったことを物語っている。
バブル期の非効率投資とバブルの崩壊で痛んだ日本企業のバランスシートは、九八年頃から着実に回復している。
企業の収益力もそれにつれて少しづつ立直っている。
いま最も大切なことは、このような企業経営の再建を支援し持続させるために、景気を支えることである。
その手段は構造改革の内容である前述のシステム転換を急ぐことだ。
それによって、構造改革の目的である中長期的な成長率の上昇が実現する。
例えば、収益重視・配当重視の経営を市場の面から促し、直接金融の比重を高めるため、配当と株式長期保有を優遇する税制改革を実施することだ。
今国会に政府・与党が提出した証券税制改革には、この視点が完全に欠落している。
配当二重課税を考慮すれば、現行三五%の配当税率は現行二〇%の利子税率よりも低い一〇%程度でよい。
長期間保有した株式の譲渡益課税はゼロで良い。
その上で租税特別措置を整理し、法人税率を引下げるべきだ。
構造改革に必要な労働移動の円滑化には、人材派遣や就労斡旋の完全自由化、ポータブル年金など移動で不利化しない社会保障制度、職業再訓練とリンクした失業保険給付などが急がれる。
就労形態の多様化には、常用とパートタイムの差別や年齢制限の禁止、有期雇用の自由化などの思い切った規制撤廃が必要である。
これも、国会に提出された政府・与党の雇用対策では極めて不十分だ。
その上で所得税減税を実施すべきだ。
――結び
不良債権は、これ迄に全国銀行ベースでみても七0兆円程処理されたが、それでもまだ三三兆円の金融再生法開示債権が残っている。
好況ならば数年で処理できるが、いまの景気後退が続けば、不良債権はもっと増え、泥沼に陥るであろう。
不良債権を国が買上げて銀行を国営化してみても、最終的には銀行収益によって公的資本を返済する以外に決着はつかない。
その銀行収益は、景気が持続的に回復し、企業収益が立直らない限り、増える筈がないのだ。
不良債権処理を急いで景気を台無しにするのではなく、企業経営を再建する構造改革に集中するのが、いま採るべき正しい経済戦略である。