橋本政権の5つの改革は失敗する (『東洋経済新報社 論争』 1997年3月号)

東洋経済「論争3月号」橋本政権の5つの改革は失敗する
1996年11月に発足した第二次橋本政権は、「五つの改革」を基本政策として揚げた。経済、財政、金融、行政、社会保障の五つの構造改革がそれである(内容不明の教育改革は除外)。明治維新、あるいは第二次大戦後に匹敵する歴史的転換局面にある今日の日本にとって、構造改革が必要なことは言うまでもない。しかし、橋本政権はこの「五つの改革」に失敗すると思う。その理由は、少なくとも二つある。第一は構造改革を遂行するために必要なマクロ経済的枠組みを欠いていることである。第二は全体を統一する政策理念がなく、「五つの改革がバラバラで相互に足を引っ張り合っていることである。

以下では、改革が失敗するであろうこの二つの理由を述べ、本年上期中にも挫折の危機を迎える可能性が高いことを指摘する。その上で、日本国民が不幸な結末を回避し、改革を成功させるためには、どのような経済運営の戦略と戦術がありうるかを論じてみたい。

マクロ経済の支え欠く改革は失敗する

歴史的転換を遂げるような構造改革は、必ず痛みを伴う。新しい発展の機会が生まれる反面で、存立基盤を失う部門が必ず出てくるからである。例えば、規制緩和はニュービジネス・フロンティアを拡大するが、反面、規制に守られていた部門は衰退する。大店法の規制緩和によって、消費者は品揃えが豊富で格安な商品を大型店で選択できる一方、小型専門店が並ぶ伝統的商店街は、そのままでは寂れる。また金融ビッグバンに伴う各種手数料の自由化と金融商品開発の自由化は、顧客にとっては便利このうえないが、銀行、証券、保険などの優勝劣敗を強め、その数を減らすだろう。
さらに、過剰な行政介入の廃止と地方分権の推進は、民間市場経済を活性化し、中央・地方を通じる公共部門の無駄を排除する上で欠かせないが、それに伴って中央省庁の役人を減らさなければならない。
このように、構造改革はかならず苦痛を伴い、景気の足を引っ張る。中長期的にみれば、経済のサプライサイドを改善し、効率を高めて成長率を引き上げるが、短期的な効果には光と影の両面がある。しかも影の部分から吐き出された生産要素(労働力、資本、土地)が光の部分に吸収されるには時間がかかる。構造的ミスマッチがあれば、最終的にも吸収されない。そこには摩擦的失業や構造的失業が発生し、設備や土地の遊休化という無駄も起こる。これが、景気を悪化させる。構造改革の成功には、痛みを吸収するマクロ経済の発展が欠かせない。構造改革が景気を悪化させる最も分かりやすい例は、財政赤字の削減であろう。赤字は財政支出削減か増税によらない限り減らない。しかしこの二つの短兵急に実施すれば景気は悪化し、かえって赤字が増えるかもしれない。それを回避して財政構造改革を実現しようとするならば、財政支出の内容を民間支出誘発型にシフトさせ、また税制を労働意欲や投資意欲を高める形に改革して、中長期的に経済のサプライサイドを改善し、民間支出主導型で成長率を高め、税収を増やし、、財政赤字が減るように仕向ける以外にはない。しかし、この効果が出るまでには時間がかかる。その間は、マクロ経済の失速を需要面から防ぐ何らかの手立てが必要なのである。97年度政府予算案は、財政構造改革元年と称しているが、中長期的に日本経済のサプライサイドを改善しようという狙いは全く見られない。支出の内容は、整備新幹線の新規着工に象徴されるように、新たな構造赤字を生むような無駄の多い旧来型の構成で、民間支出誘発型へのシフトはない。歳入の側では、法人課税の改正を先送りし、個人に対しては消費税、所得税、社会保障負担で九兆円の負担増を強いている。そこには勤労意欲や投資意欲を高める税制改正などは一かけらもない。これでは、負担増加と支出抑制の短期的デフレ効果のみで、中長期的なサプライサイドの構造改革は全く進まない。
以上のように、橋本政権の「五つの改革」は、その痛みを吸収するためのマクロ経済の枠組みを欠き、「改革で景気が良くなる」というありえない幻想の上に成り立っている。その誤りは、後に詳しく述べるように、早くも97年度上期の景気失速と、それを予想して起きる金融面などの構造危機によって、遠からず明らかとなろう。

相互連関を欠く改革は失敗する

「五つの改革」が失敗するもう一つの理由は、五つがバラバラで相互に矛盾し、互いに補強し合うのではなく、足を引っ張り合っているからである。これは全体を一つの構想としてまとめ、推進する政策理念が橋本政権になく、ただ縦割り行政に依存して企画されているためである。
いくつかの分かりやすい例を挙げてみよう。
まず行政改革の本来の目的は、「効率的で小さい政府」を実現し、財政支出を縮小し、財政構造改革にも寄与することにある。行政と財政の構造改革はこのように表裏の関係にある。したがって行政改革がまず手を着けなければならないことは、過剰介入の業者行政の組織を廃止し、人員と経費を削減することでなければならない。また補助金を廃止し、権限を地方に移譲し、中央・地方を通じる官官接待、交通通信、書類作成などの膨大な無駄を排除し、財政支出を削減することである。
しかし橋本政権が行政改革と称してやっていることは、中央省庁再編の数合わせを今後一年かけて議論することであり、また大蔵省を分割して焼け太りの金融検査監督庁を新設することである。そこには、財政支出削減に寄与する行政改革という意識は全く見当たらない。それどころか、やけぶとりや省庁再編が新たな経費を生み出す危険さえある。
金融ビッグバンと行政改革の間にも、連動関係が見られない。金融改革は、不透明な密室の行政指導をしてきた監督部門を廃止し、企画・立案部門が事前に透明なルールを作成し、検査部門がルール違反を事後的にチェックする体制に移行することである。ルールに違反しない限り、金融機関は自由に商品を開発し、業務分野を拡大できる。それによって日本の金融・資本市場の空洞化を防ぐのである。
しかし、橋本政権は金融の検査、監督、企画・立案の三部門をどこで切り離すかという議論に終始し、金融改革の中身の議論に一歩も踏み込んでいない。改革を考えれば、監督部門は廃止してよいのである。そうなれば、ルールの企画・立案と検査が残り、この二つは表裏の関係にある。企画・立案が大蔵省に残るいまの与党案では、金融行政が財政政策の支配下から独立できない。税収確保が優先し、有価証券取引税の廃止による金融空洞化の防止や償却促進・赤字決算による不良債権の早期処理が企画できない。与党案には、金融ビッグバンを進めるための行政改革という視点がまったく欠落している。
あるのは組織分割と、結果的な焼け太りだけである。
社会保障改革と財政改革の間にも、政策思想の統一がない。21世紀の高齢化社会を展望し、直間比率の是正を進めようというのが財政側の考え方である。それならば、なぜ介護の費用を消費税で賄わず、介護保険料という一種の直接税で賄おうとするのか。税よりも保険料という言葉のほうが国民の抵抗が少ないからか。そうだとすれば、基本方針に反するごまかしにすぎない。
そもそも経済構造改革の根本思想は、民間市場経済を活性化し、政府を効率的で小さくすることであろう。そのための規制緩和であり、行政改革、財政改革、金融改革である。そうならば、社会保障改革はもっと民間活用型でなければならない。要介護の認定は地方自治体が行うとしても、介護サービスの提供主体NPO(非営利公益法人)を含めてもっと民間を活用し、バウチャー制度によって選択の幅を広げ、競争を促進すべきである。新進党が今国会に提出しているNPOに対する民間の寄付金を課税所得から控除するならば、もっと民間の寄付金が増え、介護サービスは充実しよう。

このように、橋本政権の「五つの改革」は、従来の縦割り行政に従ったバラバラの改革であり、族議員の壁に仕切られて相互矛盾に満ちている。改革に統一的政策理念がなく、政治的指導力に主導されていないので、必ず官と業に結び付いた族議員の対立に巻き込まれ、立ち往生するであろう。

97年度上期の景気失速が挫折の始まり

橋本政権の「五つの改革」は、五つの改革」は、本年上期に第一の危機を迎えるだろう。その序曲は、既に昨年末からの株価と円相場の下落に表れている。97年度予算の政府案の中に、市場は改革失敗の二つの理由を見てとったのである。この予算が改革にほとんど寄与せず、むしろ97年度上期の景気を失速させて改革を挫折させると予測しているのである。97年度予算案は年度上期の日本経済に対して、少なくとも三つのデフレ効果を持つ。
第一は消費税率引き上げで五兆円、特別所得減税打ち切りで二兆円、健康保険など社会保障負担増加で二兆円、合計九兆円の国民負担増加である。九兆円は国民所得に2%強に当たる。貯蓄を削って消費するとしても、いま2%強しか増えていない実質消費は、1%伸びるのがやっとではないか。第二は公共投資の落ち込みである。既に昨年7〜9月期から減少に転じた公共投資は、97年度上期に向かって下がり続けるだろう。95年度の大型補正予算の執行が96年度にズレ込んだため、96年度補正予算による1.6兆円の公共投資追加を考慮しても投資水準は97年度上期まで下がらざるをえない。第三は消費税引き上げ前の駆け込み需要の反動である。昨年10月、11月の新設住宅着工戸数や乗用車新車登録台数は、バブル末期の90〜91年以来の高水準に達している。本年の1〜3月には、電気製品などの耐久消費財はもちろんのこと、買いだめのきく衣料、洗剤、飲料、タバコなどの非耐久消費財にも駆け込み需要が出るだろう。その反動が4月以降に出て、個人消費は大きく落ち込むに違いない。これは一回限りの需要減少であり、夏以降はある程度回復してくるだろう。しかし、九兆円の負担増加に備えて国民が消費を抑えると、消費態度は構造的に慎重化するかもしれない。そうなった場合のデフレ効果は、消費のウエイトがGDPの六割に達するだけに、極めて大きなものになる。
以上の三つのデフレ効果のうち、最初の二つのフィスカル・ドラッグだけでも、成長率を1.5%引き下げる可能性がある。昨年末に発表の民間調査機関44社の97年度成長率予測の平均は、政府経済見通しの1.9%を下回る1.4%となっているが、さらに下揺れするリスクがある。それにもかかわらず、橋本政権に危機感がないのはなぜであろうか。一つには前述のように、「改革で景気がよくなる」というありえない幻想を抱いているためであろう。もう一つは、低成長の割には需給バランスが回復し、企業収益も増益を続けているという偏った認識である。
確かに設備投資が四年間も急減し、その後も緩やかにしか回復していないので、設備制約から決まる潜在成長率は2%台まで落ち、95〜96年度の2%台成長の下で需給バランスがとれてきた。円高の下で産業空洞化といわれるほど構造変化が起こっているので、競争力を失った設備が遊休化する反面、情報通信事業やそのハード、ソフトの供給者は需給が逼迫しているという事情もある。しかし、2%台という低成長下で需給悪化が止まったとしても、それで日本経済の構造的不均衡が解決できると思ったら大間違いである。そこにも「五つの改革」が失敗する理由である。

構造的諸困難で改革は立ち往生する

設備制約から決まる潜在成長率が2%台まで落ちたとしても、その状態では労働力が余ってしまう。失業率はいま3・4%まで上昇している。日本経済は、高度成長終焉から平成景気まで平均4%成長してきた。90年代に入って若手労働力の伸びが落ち、労働時間短縮が進んでいるが、それでも労働制約から決まる潜在成長率は3%程度というのが大方のエコノミストの推計結果である。
そうだとすれば、92〜94年度はゼロ%台成長、95〜96年度は2%台成長、97年度は再び1%台成長に落ちるとして、6年間の平均成長率は、1・3%であるから、毎年1.7%ずつ需給ギャプが悪化し、累計で10%も悪化することになる。91年度はバブル末期でインフレ・ギャップが2〜3%は残ってと仮定しても、97年度のデフレ・ギャップは7〜8%に達する。日本経済の構造的危機は、ほとんどすべてこの大幅なデフレ・ギャップから起こっている。雇用問題の悪化は言うまでもなくこのギャップの反映である。とくに卒業直後の15〜24歳の失業率が6%台、働く意欲のある55〜64歳の高齢失業率が4%台に達していることは、大きな社会問題である。企業経営の困難も、このデフレ・ギャップの反映である。高水準の企業倒産が続き、株価が低迷しているのは、このギャップの下で企業業績が回復しないからである。
金融機関の不良債権が、いくら償却しても思うように減らないのは、このギャップを反映して顧客企業の業績が悪化し、また地価が下がり続けているからである。昨年後半になって再び地価とゴルフ場会員権が下がり始めたが、これはデフレ・ギャップの拡大を予想した収益還元価格の低下によるものだ。超低金利が続いて金利生活の高齢者が困り、年金基金が破綻の危機にひんしているのもこのデフレ・ギャップによるものだ。ギャップが続くかぎり、景気を一層悪くするような金利引上げは不可能だからである。財政赤字もこのデフレ・ギャップを反映した企業業績と雇用の悪化による面が大きい。
91年度の国税と地方税の合計98兆円に比べて、95年度は11兆円減少しているが、これは業績悪化で法人税や法人住民・事業税が7兆円、雇用悪化と減税で所得税や個人住民・事業税が8兆円、それぞれ落ち込んでいるためである。潜在成長率の3%成長を続けていたならば、四年間にGDPは12%増加し、長期弾性値の1.1が成立して税収は13%、13兆円増えていたはずだ。したがって税収はこの4年間に、13兆円プラス11兆円、合計24兆円(5.5兆円減税を差し引いても18.5兆円)取りはぐれていることになる。これが行政改革による支出削減の先送りと並んで、財政赤字拡大の最大の原因である。
97年度は1%台成長といっても、実際は消費税増税前の駆け込み需要で96年度下期の成長率が高まり、ゲタをはいた結果である。瞬間風速では97年度上期はゼロないしマイナス成長となろう。その時、前述した雇用、企業経営、金融機関、財政などの構造問題が一斉に噴き出してこよう。
一番恐ろしいのは金融危機である。4月以降の景気失速を予想して株価や地価が3月にかけ下がれば、3月決算前の企業と金融機関のバランス・シートが悪化する。同時に公共投資の落ち込みで建設・不動産の中小企業の倒産が増え、下請けに支払保証をしている大手ゼネコンが窮地に陥る。それは当然、株価と地価の下落で弱っている取引銀行を直撃する。そのような金融不安の最中に、どうしてビッグバンや早期是正措置の実施ができるだろうか。ビッグバンも早期是正措置も、金融不安をかき立てるだけであろう。
金融改革も金融行政改革も挫折せざるを得ない。
橋本政権はあわてて97年度補正予算を早々と組み、公共投資を追加して景気のテコ入れを図るのではないか。財政支出構造は不変のまま財政赤字が一層拡大し、構造改革元年に革命が逆戻りすることになろう。
イギリスで86年のビッグバンが成功したのは、それに先立つ79年から、サッチャー首相の下で所得税と法人税の大型減税を実施し、民間市場経済を活性化しておいたからである。アメリカで早期是正措置がうまく機能しているのも、80年代に巨額の不良政権を処理し、それが終わった92年12月から導入したからである。日本のように民間市場経済の活性化や不良債権の処理を中途半端場にしたままで、どうして苦痛を伴う金融構造改革が実施できるだろうか。


改革を成功させる経済戦略と基本戦術

「五つの改革」は、いまの日本にとってすべて必要である。しかしそれを実現するためには、明確な政策理念の下に改革相互の整合性を保ち、構造改革の影を光が吸収できるようなマクロ経済的枠組みを準備しなければならない。そのための経済運営の戦略と戦術がいま求められている。
戦略的に最優先の目標は、政府の役割を外交、治安、福祉などのナショナル・ミニマムに限定し、それ以外の領域は民間市場経済に任せ、自己責任原則に基づく自主的で自由な選択の機会を広げ、民需主導型の自律的成長を実現することである。「五つの改革」も、すべてこの最優先の戦略目標と整合的な形で統一的に企画し、それを構造改革全体の政策理念としなければならない。日本経済が民間支出主導型の自律的な成長軌道に乗れば、97年度に7〜8%に達しそうなデフレ・ギャップは縮小に転じる。資本制約から決まる潜在成長率は設備投資の拡大で次第に高まり、労働制約から決まる3%の潜在成長率に収斂するだろう。したがって21世紀の入口までは、デフレ・ギャップの縮小分も加え、4%程度の成長が可能となろう。その過程で失業率が低下して雇用問題が解決し、企業業績は好転して倒産は減り、地価と株価の収益還元価格は回復し、土地の売買が正常化して不良債権の処理が進み、長期実績金利も4%程度に上昇して超低金利時代は終わる。落ち込んでいた税収も、長期弾性値の1.1が実現する形で正常な水準に戻り、それだけでも財政赤字が10兆円以上縮小しよう。
では、そのような戦略目標を実現するための基本的な戦術は何か。それは言うまでもなく、民間市場経済を活性化する政策と、政府を効率的で小さくする政策である。いずれも新進党が、昨年10月の総選挙の際、「国民との五つの契約」に揚げたことである。第一は18兆円減税である。これは一部の人から選挙目当ての大風呂敷と誤解されたようだが、決してそうではない。既に述べたように、現在の国税と地方税の合計は、経済が潜在成長経路にあれば114兆円に達しているはずなので、18兆円減税もその正常水準で考えれば16%減税である。うち4兆円は法人税の基本税率引き下げ、課税ベース拡大、連結納税制度導入に使う。残りの14兆円は、有価証券取引税の廃止、地価税の凍結、NPO寄付金の所得控除、所得税・住民税の税率簡素化とフラット化を伴う減税に当てられる。レーガンやサッチャーが実施した程度の法人課税と所得課税の引き下げであり、大半は自然増収で戻る。18兆円減税は初年度の成長率を5%台に押し上げるので、自然増収が6兆〜7兆円に達し、初年度の財源は10兆円強で済むだろう。しかし大事なことは、減税の真の狙いがケインズ政策的な需要面にあるのではなく、勤労意欲や新産業の投資意欲を高め、民間市場経済を活性化するサプライサイドにあることだ。
第二は規制緩和によるビジネス機会の拡大、第三は公共料金の引き下げによる生活コストと産業コストの引き下げである。いずれも18兆円減税と並んで、民間市場経済をサプライサイドから活性化するのが狙いである。 次に政府を効率的で小さくする基本政策は、政府の役割をナショナル・ミニマムに絞る行政改革と規制緩和である。規制を撤廃して各省庁にある過剰介入の行政を廃止し、組織と人員と経費を削減する。個別の補助金を廃止して地方に一括交付し、中央省庁の役割を縮小する。その受け皿となる地方自治体は、30万人程度の中堅都市がよい。将来は都道府県制を廃止し、全国が300程度のそうした中堅都市に再編成されることが望ましい。これらの改革の結果として、中央省庁の人員は10年間で4分の3となり、数も10程度になる。県と市町村の二層構造に伴う地方自治体の無駄も省かれる。財政赤字は縮小し、橋本政権の「五つの改革」に優る真の構造改革が実現することになろう。