大競争時代の金融債構築 (『週刊東洋経済』 1996年10月26日号)

地球規模の大競争時代を迎え、いま日本の金融システム、あるいは金融・資本市場は根本的な再構築を迫られている。金融のシステム、あるいは市場にとって最も大切な要件である効率性と安全性の二つが危うくなっているからである。このままでは国際的なシステム間競争、市場間競争に決定的に敗退する恐れが強まっている。効率性の競争に敗れつつある兆しは、既に金融・資本市場の空洞化に現れている。安全性の競争に敗れつつある兆しは、預金取り扱い金融機関(以下「預金銀行」と呼ぶ)の不良債権増加や経営破綻、国際的な格付けの低下に現れている。

12この論文では、歴史的な流れを踏まえながら、何故日本で効率性と安全性が危うくなったのか、今後どのような対策を講じていけば、大競争時代を生き抜く日本の金融システムや金融・資本市場の再構築が可能になるのか、考えてみたい。

 「護送船団方式」とその崩壊

12第二次大戦後高度成長期までの日本の金融システムや市場は、よく知られているように、「護送船団方式」の銀行・証券行政によって安全性が保たれ、効率性の追求が指導されてきた。具体的には金利規制と業務分野規制(及び同一分野内での商品設計・開発規制)であり、それを外圧から守るための非国際化の障壁である。銀行と証券の分離、長短金融の分離、信託分離などの分野規制の下で限定的な金融商品が各分野に認可され、それらの金融商品の金利や手数料を、金融機関のスプレッドが保証されるような体系に規制した(例えば「四畳半金利体系」)。その上平均的な金利水準を、人為的に低く規制し、高度成長に必要な投資や輸出を金融面から支援した。
12このように取扱商品が限定され、スプレッドが保証されていたので、預金銀行は余程の放漫経営を行なわない限り利益は保証された。最も遅い船(効率の悪い経営)に船団のスピードを合わせたので、経営は安全で金融システムの安定性は保たれた。それでも経営が悪化するような預金銀行が出た場合は、原因が放漫経営にあったから、大蔵省、日本銀行、関連金融機関などから新しい経営者を入れれば立て直しは出来たし、吸収合併によって旧経営陣を排除すれば問題は解決した。
12このような過保護状態にあったので、この時期の日本の金融機関の効率性が高まったかどうかには疑問がある。しかし少なくとも収益は高度成長を反映した金融の量的拡大によって増加を続けた。また預金金利、金銭・貸付信託予想配当利回り、金融債発行条件など預金銀行の調達金利は厳密に規制されたが、運用側の貸出金利は預金歩留りを高めることによって実効金利を上げることが出来たので、実効利鞘は大きかった。いわば仕入れ値が統制され、売値は自由の業界であった。多少とも他行に比して効率を引き上げた預金銀行には一層の超過利潤が生まれ、目抜き通りの店舗配置、高給支給などの形で「χ非効率」が発生した。
12このような「護送船団方式」の歴史的な存立条件は、周知のように、高度成長の終焉と変動為替相場制への移行によって崩れ始めた。
12高度成長の終焉によって貯蓄・投資の資金循環構造が変わり、企業部門に代わって公共部門と海外部門が主な借り手として登場した。これに伴い、国債の大量発行という「証券化」が始まった。また変動相場制への移行と海外部門の借り手化(経常収支の黒字化)は国際的な資金移動を活発化し、「グローバル化」(金融システムや金融・証券市場の国際的一体化)が進み始めた。
12この「二つのコクサイ化」が、金利規制と非国際化の障壁の存立を不可能にした。大量の国債発行と海外部門の借り手化は、債券市場の金利自由化を促し、競争関係に立つ預金銀行の調達金利(預金金利など)の自由化を不可避にした。段階的な自由化で二十年近くかかったものの、金利規制は完全に撤廃された。株式売買手数料も、超大口から自由化が始まっている。金融非国際化の障壁も、居住者ユーロ円債の還流制限などごく一部を除いて崩れ去った。
12あとに残った「護送船団方式」の残滓が、業務分野規制と分野内の商品設計・開発規制、および過剰介入の銀行・証券行政である。これらの撤廃のスピードが遅いため、大競争時代を迎えた日本の金融システムや市場の効率性と安全性を脅かす桎梏に転嫁したのである。

金融の空洞化と国際化の後退

12まず効率性の危機を示す金融の空洞化と国際化の後退をみよう。
12日本の「証券化」と「グローバル化」は、七〇年代に始まった世界的なメガトレンドの一環である。米国内の金融取引と証券取引が利子平衡税を免れるためにロンドン市場のドル建て取引に逃げ出し、ユーロ債市場が急速に発達し始めたのは六〇年代である。米国当局は国内市場の空洞化に気付き、七四年に利子平衡税を廃止してドル建て取引を呼び戻し、更に中央・地方の証券取引所店頭取引網(NASDAQなど)、私設取引システム(PTS)などの発達を促した。
12米国の攻勢で国際化の後退に危機感を抱いた英国側では、八六年に「ビック・バン」を実施し、大規模なコンピュータ化を伴うSEAQの発展を促し、機関投資家の大口取引を容易にし、各種証券のデリバティブを含む多様な取引に便宜を供与した。これに刺激され、パリやフランクフルトなど欧州大陸でも、取引をロンドンに奪われないための金融改革に取り組んだ。
12このようにして始まった地球規模のシステム間競争、市場間競争を貫くメガトレンドは、既に述べたことから分かるように、金融の「証券化」「機関化」「コンピュータ化」「グローバル化」である。大量の国債発行に加え、CD、CP、抵当証券などかつての預金や貸出が「証券」の形を取って流通する。それに向かって、預金、年金、保険、投資信託などに流入した個人貯蓄が、「機関」投資家の大量取引の形をとって向かってくる。それらをペーパーで処理せず、エレクトロニックな信号で処理する「コンピュータ」の発達は、先物、オプション、スワップなどのデリバティブを容易にする。これらすべての取引が、「グローバ
ル」に一体化する。
12この怒濤のようなメガトレンドを背景に展開される国際的なシステム間競争、市場間競争の中にあって、一人日本のみ、「護送船団方式」の業務分野規制や商品設計・開発規制を残していた。それどころか、逆に規制を強化して自ら市場の空洞化を促すような愚を犯した。
12その典型は、九〇年八月の株価指数先物取引の規制強化である。先物取引の拡大が現物相場の下落を招いているという間違った認識、「先物悪玉論」が台頭し、証拠金率や委託手数料が引き上げられた。その結果、日本株の先物取引はシンガポールのSIMEXに逃げだし、九四年第一四半期にはSIMEXの売買高の方が大阪証券取引所より大きくなった。
12さすがに九四年には証拠金率が引き下げられ、ベアリング・ブラザースの経営破綻に伴うSIMEX側の売買報告義務の強化という敵失もあって、シンガポールの取引は現在大証取引の八割程度になった。しかし委託手数料は引き上げれたままであり、取引所税(往復で〇・〇〇二%)も残っている。日経二二五のスプレッド取引も行えない。これらのコスト高要因や不便さのため、空洞化はまだ続いている。
12八四年に居住者のユーロ円債発行が認められた後の日本の社債市場空洞化もひどかった。八九年と九〇年には、国内一般事業債の発行はゼロとなり、全額ユーロ市場で発行された。九一年の海外発行比率は、普通社債全体で六二・八%、CBやWBを含めた社債全体では六八・三%にも達した。
 さすがに日本側でも対策が打たれ、本年の一〜六月平均では、前述の海外発行比率が六・九%と一七・二%へ低下した。九一〜九二年の受託手数料、引受手数料などの引き下げ、起債の自由化、本年一月からの適格基準と財務制限条項の撤廃などによって、国内起債の高コストと不便さがかなり修正されたからである。
12しかし、ユーロ市場と国内市場の格差がこれで完全になくなったわけではない。
九八年四月を目途に完全撤廃される予定の居住者ユーロ円債の還流制限九〇日が消えた時、国内社債市場がユーロ円債市場と互角に戦うためには、後述のような一層の規制廃止が必要であろう。
12このことは、既に還流制限が完全に撤廃されている非居住者のユーロ円債市場において、国内市場の円建て外債(サムライ債)起債の五倍以上(九四、九五年実績)の起債が行なわれていることによっても、裏付けられている。しかもユーロ円債市場では、AAA格の優良発行体の起債が多いのに対し、円建て外債市場では、相対的に格付けの低い発行体の起債が多い。
12このような円建て外債市場の空洞化(正確には国際化の後退)とジャンク債市場化は、発行手数料などのコストが高い上、発行条件に信用格差が十分に反映されていないためである。また商品設計が規制され、ゼロ・クーポン債、変動利付債、ステップ・アップ債など多様な債券発行が出来ないことも響いている。

時代遅れの行政が生むシステム不安

12以上のように日本の金融システムや市場の効率性が国際比較で相対的に悪いことに加え、バブル崩壊後の経済停滞、不良債権増加に伴う金融システム不安もあって、九〇年代には外資系の銀行や証券会社の日本からの撤退が目立っている。12九一年七月以降の支店閉鎖事例は、銀行が二十二、証券会社が十四に達した。九三年以降、外資系証券会社の東証会員権売却も六件ある。またアジア地域統轄本部を東京においた外資系金融機関十三社のうち、九社が香港へ、二社がシンガポールへ地域統轄本部を移し、九十四年時点で日本に残している例は二社にすぎない(森ビル商事調べ)。
12逆にアジア系の金融機関が新たに支店を開設する例もあるが、全体としてみると、例えばロンドン、ニューヨーク、東京、香港、シンガポールの五為替市場に占める東京のシェアは八九年四月の二一・六%から九五年四月の十五・一%に低下した。
12日本のシステムの安全性について国際的な疑惑を生んだ事件は、いうまでもなく九〇年代の不良債権問題と「銀行不倒神話」の終焉、大和銀行の不正事件隠蔽と米国当局の同行撤退命令、および数々の証券・銀行不祥事である。そして、これらに共通する背景は、既に歴史的存立条件を失っている「護送船団方式」のやり方に、行政も業界もなお頼っていたことであろう。
12「護送船団方式」の惰性で、業務分野と分野内の商品設計・開発は依然として厳しく規制されていたので、銀行も証券会社も、何か革新的なことをしようとすれば、まず行政当局に相談しなければならず、自己責任原則が確立しない。行政の側も、免許を与えた預金銀行や証券会社に問題が起きると、国会で行政責任を追及されるので、革新的なことに対してはどうしても保守的になる。それが規制緩和を遅らせた。
12革新的なことだけではない。不良債権や不正事件のような後ろ向きの処理についても、業界は行政の指示を頼り、行政は前例踏襲型の保守的な対応をとった。しかし時代は移り、前例は参考にならない。そのことが金融システムの安全性を危うくする事態を次から次へと起こしてきたのである。
12金利自由化とバブル崩壊の下では、放漫経営ではなくても、リスク管理に問題のある経営は行き詰まる。住専問題がまさにその典型である。しかし行政は、金利規制時代の惰性で銀行界の早期処理に反対し、問題を先送りして損失を大きくしてしまった。大和銀行事件も、グローバル化した今日の銀行・証券監督に関する認識の欠如が米国当局への報告を遅らせ、問題を大きくした。

 規制撤廃は国際標準化の視点で

12では、これからの金融のシステム、市場、行政は、どのように変わって行くのであろう
か。あるいは変えなければならないのであろうか。
12まず効率性と安全性を脅かしている業務分野規制と商品設計・開発規制、および従来の過剰行政介入の全面的な見直しが必要である。その際、二つの視点が重要になる。一つは国際的なシステム間競争、市場間競争に耐えうる規制の国際標準化により、日本の金融衰退を防ぐことである。もう一つは既に「コンピュータ化」という言葉で表現した「金融技術革新」の下では、従来の規制や行政介入が安全性の保証にならないことを認識し、市場規律に頼る新しい安全性の枠組みを作ることである。
12日本の金融衰退を引き起こしている要因は、行政的規制、税制、日本経済の条件の三つに分けられるが、その夫々に対策が要る。
12まず行政的規制の分野では、海外主要市場と同じように取引所集中主義の緩和と株式売買手数料の完全自由化が早晩実施されよう。その際、証券会社の商品設計・開発の自由化を併行して実施しなければならない。店頭エクイティ・デリバティブや個別株オプションの導入、貸株市場の整備・拡大、証券会社によるアセット・マネジメント業務の解禁などを伴って自由化された時、初めて欧米市場に負けない商品設計・開発が可能となり、高付加価値化を伴う日本の証券業務の発展が可能となる。
12株式売買手数料のみならず、先物の委託手数料、外為の仲介手数料などの自由化や引き下げは、商品設計・開発の自由化と組合わさって始めて日本の金融衰退を防ぐ力となるのである。
12その上で行政は、事前に商品設計・開発に介入せず、新商品の開示内容の真偽などの事後的な検査、看視に徹するべきである。
12次に税制については、海外主要市場にはほとんど存在しない有価証券取引税や取引所税の撤廃を実施すべきである。同時に利子、配当、キャピタルゲインで取り扱いの違う所得課税を、二〇%の一律分離課税に統一すべきであろう。そうしなければ商品設計が歪むし、スワップを多用するデリバティブの世界では、利子とキャピタルゲインの区別もつけにくい。納税者番号制度を導入する場合も、総合課税に移行するのではなく、現行の類別所得課税に基づく一律分離課税を堅持すべきである。最適課税理論から考えると、累進構造を持った総合所得課税が最善とは言い難く、むしろ日本に根付いている類別所得課税に合理性がある。
12最後に日本経済固有の条件としては、事務所賃貸料、賃金、通信費の高水準、日本語を使う不便とコスト高が挙げられる。しかし最近の地価下落で事務所賃貸料は香港やシンガポールと同じか低くなった。通信費も、高度情報通信・放送を中心とする規制緩和、技術革新、競争促進、事業の新機軸の中で、安くなって行くに違いない。高賃金は先進国に共通の問題だが、アジア・大洋州を中心に外国の専門家を雇う道がある。日本語だけはどうしようもないが、思い切って英語を商用語として認めることも検討に価しよう。

 技術革新が規制を無意味にする

 12このように国際標準化の視点から規制を撤廃して行った時、システムや市場の安全性が行政の事後的看視だけで維持できるのか、という問題が最後に残る。
しかし逆に言って、現行の業務分野規制と商品設計・開発規制、過剰介入の銀行・証券行政によって、安全性が維持できたのか。むしろ逆に危うくなっているではないか。
 12金融技術革新の行き着く先を考えると、衰退の危機に直面した日本で業務分野規制にこだわるのは、「沈みゆくタイタニック号の甲板でデッキチェアの取り合いをしているようなものである」(岩村充『銀行の経営革新』東洋経済新報社、九五年)。例えば翁邦雄氏が本年五月の金融学会で述べたように、保険とプット・オプションの機能が同じである以上、保険業を他の金融業と区別する業務分野規制は意味がなくなる。またスワップを使えば、持株会社・子会社方式の壁があっても、銀行が株式運用を引き受けた上で債券投資を行ない、社債インデックスと株式インデックスの収益を交換するエクイティ・スワップ契約を証券会社と結べば乗り越えられる。
 12商品設計・開発規制さえ撤廃すれば、独占的支配の弊害が懸念される銀行のユニバーサル・バンキング化を日本で促進する必要もない。
 12金融技術革新と商品設計の自由化はこのように業務分野規制の意味を変えるが、それがシステムや市場の安全性を脅かすからと言って技術革新や商品設計を規制すれば、今度はシステムや市場の効率性が外国に比して低下し、「タイタニック号」(システムや市場)は沈んでしまう。
 これからの銀行・証券行政は、沈みゆく船の上でデッキチェアを配分するような愚を犯してはならない。金融技術革新とそれに基づく商品設計・開発は自由化し、効率性を高めて、日本の金融システムや市場という船が、国際競争に敗れて沈まないようにするのが第一である。
 12システムや市場の安全性維持は、市場規律に頼るべきであろう。銀行や証券会社が資産内容を詳細に公開すれば、市場はその金融機関を信頼し、そうでなければ市場が疑うので、結局詳細に公開できる優良金融機関が生き残り、システムは安定する。その場合行政当局は、情報開示を勧奨するとしても、その内容の詳細を規定すべきではない。行政はあくまでも事後的に開示内容の真偽を検査し、違反を厳しく取り締まればよい。
 12以上に述べた新しい銀行・証券行政と財政政策、とくに税制との間には、明らかに利益相反が存在する。従って財政政策と銀行・証券行政の最適な組み合わせは、官僚組織の内部ではなく、国民に選ばれた国会や内閣が開かれた形で決めるべきである。銀行・証券行政を大蔵省から分離して独立した組織に移す機構改革は、その意味で、日本の金融再構築の必須条件といえよう。