日本経済の現状と展望
―中国の訪日研修団への講話(要旨)―
(H20.12.16)

【高度成長、ポスト高度成長、失われた10年、緩やかな回復】
 日本経済は、55〜73年の18年間に年率10%の高度成長を遂げ、先進国の仲間入りを果たしたが、71年のニクソン・ショックに伴う対米円相場の16.88%切り上げ、73年秋の第一次石油ショック、74年初の変動為替相場制移行を契機に、成長率は90年代の初頭まで平均5%前後に減速した。それでもこの成長率は、先進国の中では最も高かった。
 90年代初の地価と株価のバブル崩壊に伴い、企業は設備・雇用・債務の三つの過剰を抱えて、投資と雇用の拡大意欲を失い、銀行は企業に対する多額の不良債権を抱えて信用拡張能力が低下したため、01年までの10年間余りは、成長率は1%程度に低下した(「失われた10年」)。
 しかし、企業の三つの過剰の解消と銀行の不良債権処理が進み、02年度から07年度までの6年間は、平均2%の持続的成長を達成したが、この成長パターンは、第1図に見るように著しく輸出に偏っていた。



【輸出に偏った02〜07年度の回復】
 この6年間に、日本の実質輸出は70%以上伸びたが(図1)、これは国外、国内両面の要因によるものである。国外では世界経済が中国など新興国の台頭と米欧先進国の持続的成長によって、拡大を続けた。
 国内では、財政緊縮と金融緩和のポリシー・ミックスにより、円安が進んで国際的な価格競争力が高まり、同時に内需停滞による輸出圧力が生じた。
 まず財政緊縮を見ると、図2に示したように、この6年間に名目GDPベースの公共投資額は11.0兆円(−34.2%)削減された。また国民負担(所得税・住民税・社会保障負担など)は8.3兆円増えた。
 これによって国債発行額が、ピークの04年度から07年度までに、10兆円しぼり込まれた。



【財政緊縮と超低金利のポリシー・ミックス】
 このような財政緊縮は、公共投資のほか、図1に見るように、家計消費と住宅投資を抑制し、国内需要を沈滞させたが、それによる景気失速を防ぐため、図3に示したように、日本銀行はゼロ金利政策や量的緩和政策などの超低金利・超金融緩和の政策を進めた。この政策は、設備投資を6年間で20%ほど増やす上で効果はあったが(図1)、貯蓄超過部門の家計にとっては不利に働き、6年間に家計消費は+8%しか増えず、住宅投資は−15%の減少となった(図1)。



【円キャリ取引に促された円安の行き過ぎ】
 このような財政緊縮と超金融緩和のポリシー・ミックスは、日本円の為替相場を著しく円安にし、輸出の伸張をもたらした。
 図4の実質実行為替レートに示したように、円相場はプラザ合意が結ばれた85年から95年までの10年間に実に84%の円高となったが、日本経済が1%成長に落ち込んだ90年代後半以降07年の中頃までは逆に大幅な円安傾向を辿り、プラザ合意直前の水準まで下がってしまった。
 とくに00年から07年までの6年間の下げは急で、−38.4%に達するが、その主因が、この間の日本の超低金利政策である。
 内外の金融機関は、安い円を調達し、その円を売って外貨を買い、高い金利の外貨資産に投資する円キャリ取引を活発に行った。その資金の流れが、円安を加速したのである。



【住宅価格の持続的上昇に支えられた米国経済の長期繁栄】
 このような日本からの資金流出のかなりの部分は、経常収支が赤字で国内に貯蓄が不足している米国において、住宅購入や家計消費をファイナンスする銀行貸出の原資となった。
 図5の住宅価格指数に明らかなように、米国の住宅価格は01年から06年のピークまでに2.26倍になった。更に94年から見ると、2.99倍である。
 この住宅価格の大幅上昇は、銀行の活発な住宅ローンに支えられた住宅購入の増加によってもたらされたが、その資金の一部は日本の低金利政策によって供給されていたのである。
 米国民は、住宅ローンで購入した住宅価格が上昇すると、上昇分を担保に入れて更に借り入れを増やして消費に使ったり、住宅を売却してローンを返済した上、更に大型の住宅ローンで大型の住宅を購入したりした。こうしたメカニズムで住宅投資と家計消費が持続的に拡大し、米国経済の長期繁栄を支えてきた。


【住宅バブルの破裂と世界同時株安】
 しかし、このような2倍、3倍に達する住宅価格の上昇は、市場の均衡価格(住宅から得られる将来の便益の割引現在価値)を上回るバブルの発生である。バブルはいずれ破裂する運命にある。
 06年中頃から住宅価格は下がり始めた。バブル崩壊の始まりである。そうなると、住宅ローンの担保価値が下がり、回収が危なくなるから、住宅ローンの証券化商品も値下がりを始める。
 とくに、住宅価格の値上がりを当て込んで返済能力のない低所得層に貸していたサブプライム・ローンの証券化商品は、急激に値下がりし、これを購入していた世界中の金融機関の資産減価が起こった。
 図6に示したように、世界の株価は07年7月頃から金融株を先頭に一斉に値下がりを始めた。とくに、08年10月に、米国第4位の証券会社であるリーマン・ブラザーズが救済されずに倒産すると、金融システム不安が更に広がり、株価は暴落した(図6)。


【米欧の金融危機と景気後退の悪循環】
 こうして世界は同時不況に陥ったが、この不況のメカニズムは、米欧の先進国と日本とは異なる。
 米欧の先進国では、程度の差はあれ住宅価格にバブルが発生していた。またサブプライム・ローンをはじめとする住宅ローンの証券化商品やフューチャー、オプション、スワップなどの金融工学を駆使した派生商品(デリバティブス)を、金融機関は沢山保有している。
 このため、バブルの崩壊に伴う住宅価格の下落が、一方で住宅投資と家計消費の減少を招いて景気後退を引き起こし、他方で住宅ローン証券化商品や派生商品の値下がりで金融危機を引き起こした。この景気後退は金融機関の不良債権を増やして金融危機を増幅する。また金融危機に伴う信用収縮は、景気後退を加速する。
こ うして景気後退と金融危機は相互に増幅し合って進み、それが更に住宅価格の下落を拍車する。この悪循環をフローチャートで示したのが図7である。

【日本の景気後退は輸出に偏り過ぎた成長の咎め】
 これに対して日本では、住宅価格のバブルは発生していなかったし、日本の金融機関は欧米の証券化商品や派生商品にあまり投資していなかった。日本は80年代後半の地価と株価のバブル発生とその崩壊で、90年代から21世紀初めまで、「失われた10年」と呼ばれる程の厳しい経験をしたので、バブルの発生や金融商品に対する警戒心が強かったからである。
 しかし、日本も世界同時不況に巻き込まれた。主な理由は二つある。
 第一に、02〜07年度の持続的成長は図1でみたように極端に輸出に偏っており、国内需要は停滞していたため、世界同時不況で輸出が減少すると、景気を支える柱が無くなった。
 第二に、日本には住宅バブルは存在せず、また金融機関は金融商品の値下がりによる痛手を米欧の金融機関ほどは受けていないにも拘らず、日本の株価は米欧並みに暴落し、その逆資産効果が景気を冷え込ませている。
 グローバルに活動する投資銀行、ファンドなどは、各国の株式に投資しているので、米欧の株価が下がればその損失と流動性不足を穴埋めするため、日本や新興国の株式の利喰い売りをするので、世界同時株安となることは避け難い。とくに日本の場合は、上述の第一の理由で景気後退と企業業績の悪化が見込まれるので、これも株価の下落要因となっている。

【米欧先進国は来年もマイナス成長の可能性、回復は早くても来年下期以降】
 米欧の景気は、住宅価格が上昇に転じない限り悪循環が止まらないので、それまでは後退が続くであろう。図5の住宅価格指数の先物価格を見ると、人々は住宅価格が下げ止まって上昇に転じるのは2年後の10年末と見ているようだ。
 しかし、オバマ政権の下で、今後更に大規模な金融支援策、景気対策、利下げが実施されると、明年下期には住宅価格が下げ止まり、景気後退が底を打つこともあり得ないことではない。
 しかしその場合でも、企業財務の立て直しや金融機関の不良債権処理には数年を要するので、来年の米欧先進国はマイナス成長となり、2年後の10年にプラス成長に転じたとしても、当分の間低成長となろう。

【日本には不況の悪循環は内在していない】
 その場合、日本はどうなるであろうか。
 日本経済は、本年4〜6月期(年率−3.7%成長)、7〜9月期(同−1.8%成長)と2四半期連続でマイナス成長となり、02年度からの景気上昇は07年度で終わった。本年10〜12月期は、世界同時不況で輸出が更に減少し、また先行き見通しの悪化で設備投資が減少を続けると見られるので、3四半期目のマイナス成長となる蓋然性が高い。
 その後も、09年上期中は08年度の企業業績の悪化が次々と発表されて株価は頭重い展開となり、景況感も米欧の景気後退が続くので暗いままとなり、景気の停滞局面は続く可能性が高い。
 しかし、09年下期以降を展望すると、日本経済には米欧経済には無い有利な条件がある。
 日本には、住宅バブルの破裂、金融危機の発生、景気後退という悪循環は存在しない。もっぱら、世界同時不況に伴う輸出減少が原因である。その輸出については、次のような変化が予想される。

【日本経済が独自に立ち直る条件はある】
 10月の日本の輸出は、北米、西欧向けが前年比−10%以上の落ち込みとなったが、中国向けは横這い、ASEAN、中近東、中南米、ロシア向けは増えている。輸出相手国の現地過剰在庫の調整が半年以内に終われば、輸出の減少は止まってくるであろう。
 他方、10月の輸入は増えているが、日本のマイナス成長の影響で早晩減少に転じるであろう。そうなれば、現在成長の足を引っ張っている「純輸出」(輸出マイナス輸入)は、成長に対して少なくとも中立的となり、場合によっては若干のプラス寄与となる。
 次に国内では、原油、穀物など国際商品市況の下落と円高で輸入物価が下がり、消費者物価の前年比上昇率が、急速に縮んでくるので、実質ベースの家計所得・家計消費の伸びが高まってくる。また輸入物価の低下は、輸入品を原材料として使う広範な内需向け企業の収益好転要因となる。


【家計と内需向け企業に対する支援策が大切】
 一方にこのような日本経済独自の立ち直り要因があり、他方に米欧経済の悪化が輸出を通じて日本経済に響いて来る下押し要因があり、両者の網引きで今後の日本経済の推移が決まるであろう。
 当面、来年1〜3月期までは下押し要因の方が強いと見られるが、その後次第に立ち直り要因の方が強くなって来るであろう。
 これを確実にするためには、立ち直りをリードする家計と内需向け企業(多くは非製造業中小企業)を支援する政策が必要である。
 米欧経済は、景気が立ち直った後も、企業と金融機関の不良債権処理に長い期間を要すると思われる。日本経済にはそれがない。景気が立ち直れば、日本の企業は直ちに活気を取り戻し、世界経済の再発展に新興国と協力して貢献することになると期待される。