大戦略を忘れている小泉改革 (『先見経済』5月第1・2週合併号−清話会講演要旨 H14.5.14)

――旧来のシステムを変えずして構造改革はあり得ない

これまでの日本の仕組み=システムは、
 @官主導、
 A中央による地方支配、
 B閉ざされた仲良しクラブ
を特色としていた。このシステムは一九七〇年代後半以降、機能不全に陥り、「失われた一〇年」の制度的原因となった。構造改革の本質とは、「官主導から民間自立へ」「中央支配から地方分権へ」「開かれたグローバルクラブ」への転換にある。しかし、自民党一党支配から生まれた政官業癒着の利益誘導構造が続く限り、自民党総裁の小泉首相は構造改革の本質に迫れない。

―― 小泉改革と景気後退


小泉政権が発足してちょうど一年。その間、景気は一貫して悪化している。鉱工業生産は本年一―三月には下げ止まりそうだが、それも在庫調整が進んできたことなどが原因であり、そこから上がっていく回復の芽はみられない。設備投資も個人消費も弱いままだ。
 経済成長率も昨年の四|六月期、七|九月期、一〇|一二月期と3四半期連続でマイナスである。昨年も歴年はマイナス成長、本年もおそらくマイナス成長だろう。二年連続のマイナス成長は戦後の日本経済で一度も経験したことがない。
 株価も一時は日経平均で一万円を切るような低水準にまで落ち込んだ。
 これについて小泉政権自身は二つの言い訳を用意している。
 一つは、「昨年は長い間、繁栄を続けてきた米国経済が景気後退に入った。特に世界的な不況でITデバイス、電子部品関係の供給過剰が起きたため在庫調整や設備調整が起きている。これで日本の輸出もマイナスになった。だから景気後退になったのであって、小泉政権としてはまだ改革は実行してない。だからこの景気後退はわれわれのせいじゃない」というものだ。
 もう一つは、「改革というのはそもそも痛みを伴うものなのだから、最初は景気後退になってもしようがない」という言い訳である。
 私は二つの言い訳とも通らないと思う。確かに昨年の米国の景気後退に伴う日本の輸出の減少は、3四半期連続のマイナス成長、二年連続のマイナス成長の一つの原因ではあるが、それだけではない。まだ小泉改革は実行に移していないのだから、いまの景気後退には責任はないとはいわせない。
 市場経済においては政策が発表されれば、その政策を先取りして、経済の先行きを予想して企業家は投資計画を立てる。特に株式市場の投資家は半年ぐらい先を読んで動いている。あれだけ小泉改革の中身が伝えられているにもかかわらず、株価が下がり、景気後退が続くというのは、景気は回復しないと市場が考えている証拠だと思うのである。
 もう一つ、改革には痛みが伴うというが、小泉改革はいったい何をしようとしているのか。
 私自身は、九〇年代の初めごろから構造改革という言葉を拙著の中で書き、一〇年以上一貫して構造改革を主張している。小沢党首も例の「日本改造計画」の中で構造改革をいっている。いわば私どものほうが構造改革の元祖だが、にわかに構造改革を言い出した小泉さんの政策の中身を拝見すると、私にいわせれば、これは構造改革ではないといわざるを得ない。


――見当違いの小泉改革

いったい、小泉さんは、小泉構造改革で何を目的として、どういう内容の改革をしようとしているのか。
 まず目的は何か。小泉さんが最初にいったのは財政赤字の削減である。その手段は三〇兆円の国債発行のキャップをかける、次に不良債権を処理する、不良債権をどんどん買い上げる、三つめは特殊法人の整理である。
 体制内でやれる範囲の行政改革と財政赤字削減が小泉さんのいわゆる構造改革の中身である。
 しかし、私の考えではそんなものは構造改革ではない。構造改革とは、日本の仕組み、システムそのものを改革することによって、日本経済の効率を高め、活性化して、潜在的な成長率を上げ、長期的な成長率を高めていくことによって国民の暮らしをよくしていくことだ。
 その結果として経済が活気づき、税収も増え、財政赤字も減っていく。経済がよくなれば不良債権の処理もやりやすくなる。いまみたいにいくら不良債権を償却しても、それ以上の額の不良債権が新たに発生するような状態では不良債権の処理は進まない。
 経済の仕組み、日本のシステムを転換することによって日本を再活性化させるなら、不良債権の処理も財政赤字の削減も進む。これが私が一〇年来主張してきた構造改革の中身である。
 残念ながら小泉さんには、歴史的な視野に立った大きな改革の戦略がみえない。みえないどころか、この国をどういう方向にもっていくかを積極的には発言しない。中曾根さんが一〇年前にやった行財政改革と同じようなチマチマしたことをいっている。これで日本経済がよくなるはずがない。 旧来の日本型システム
 私は日本の仕組みを変えるのが構造改革だと述べた。もう少し具体的に述べよう。日本の仕組み、日本のシステムの特色は何か。私流に整理すれば三つある。
 一つは、官僚が民間を指導する「官主導」。民間の経済活動にはさまざまな官の介入がある。何をやるにしても、監督官庁はどこだとかいって、官庁の監督しない民間の経済行動はない。
 二つめは、「中央の地方に対する支配」。地方自治体は中央官庁へ自分のプロジェクトを見せて、中央官庁の五カ年計画に合っていると判定してもらえばそこで補助金を半分もらって事業をやる。国道であれば、どこにバス停をつくるかさえ中央にお伺いを立てなければできないというぐらいの中央集権である。
 三つ目は、「閉ざされた仲良しクラブ」。系列の範囲内で取引をし、メインバンクと取引をする。系列やメインバンクシステムは、同時に株の持ち合いをすることによって仲良しクラブをしっかりと守っている。
 この官主導、中央支配、閉ざされた仲良しクラブを青山学院大学の野口悠紀雄教授は戦争遂行の一九四〇年体制だと呼んだ。「追いつき型システム」という呼び方もある。これは先進国に途上国が追いついていくには最も適したシステムである。官が先進国の制度、技術等を勉強してきて民に教える。中央がそれを地方に教える。そして閉ざされた仲良しクラブで系列の中で新製品を一生懸命、開発する。
 このシステムは高度成長時に実にうまく機能した。だからこそ平均一〇%の成長を一八年間続け、世界史上唯一の欧米諸国以外の国として先進国の仲間入りをした。
 しかし、これがうまくいかなくなって機能不全に陥った。それがはっきりと出たのが九〇年代の「失われた一〇年間」であり、現在の二年連続マイナス成長という状況である。
 その兆しを私はもっと前からつかんでいた。七〇年代の後半から、このシステムは歴史の流れの中で不向きになってきたと思われる。国内の条件の変化とか海外のメガトレンドに新しいものが出てきたからだ。


――目標とすべきシステム


 国内の条件はどこが変化したか。いうまでもなくキャッチアップが終わり、先進国化した。すごいスピードで先進国に追いついたはいいけれども、同時にすごいスピードで少子・高齢化が始まった。先進国化、少子・高齢化という新しい条件が国内に出てきたわけである。
 官が民を指導するといっても、キャッチアップするときは民よりも官は欧米の先進国のことをよく勉強してくるから、ある意味では民を指導する種本があった。ところが先進国になれば、もう欧米の技術や制度を真似するのではなく、日本独自に創造力を発揮して新しい技術、新しい制度を考えていかなければいけない。
  また少子・高齢化がすごい勢いで進むときに、どうやってこの社会保障制度を壊れないようにするかは、他の先進国を見ても日本のようなスピードで少子・高齢化が進んでいる国はないから、これもお手本がない。
  官はお手本を失ったのだ。お手本を失えば、官・中央の役人は民間を指導したり、地方を支配したりする能力がなくなってくる。
  だから、箸の上げ下ろしまで官が民に口を出すのはやめて、最低限必要なルールを守れば民間はのびのびと事業をやれる、創意工夫の精神を発揮できる、そして他の先進国と競争して技術を開発するという新しい制度つくらなければいけなかった。
  しかし、そういう発想がないままに、八〇年代、九〇年代ときた。次々と政策の失敗を繰り返して、とうとう「失われた一〇年」といわれる停滞を招いた。先進国の中で一番高い成長率を誇っていた日本が一番低い成長率になって一〇年以上という体たらくになったわけである。
  もう一つ、海外のメガトレンドとはIT革命、情報革命である。情報伝達のコストがインターネットを通じて飛躍的に下がり、スピードが飛躍的に高まる。そういう情報化の時代に入ったことによって、経済はいわゆる市場化が世界中に広がってくる。相対取引ではなくて、市場で不特定多数と取引をしたほうが効率がいいという経済が広がってきた。それが全部世界の市場を丸飲みにしてくるからグローバル化が進んできた。つまり情報化、市場化、グローバル化というのが世界のメガトレンドとして出てきた。
  実は、そのときに米国ではレーガン革命、英国ではサッチャー革命により、情報化、市場化、グローバル化に適した思い切った構造改革をやっていた。そのころ日本は、「日本的な経営システム、経営モデルが世界で最高だ、だから俺たちは黒字がこんなに大きいんだ」などといっていばっていた。
  しかし、九〇年代に入って、敵が改革を終えて立ち上がってきたときにそうではないということがはっきりした。情報化の時代では、一番優れた情報を企業が安く早く手に入れようと思ったら仲良しクラブではダメに決まっている。インターネットでグローバルに世界から情報を入れてこないといけない。市場の中で不特定多数ではあるが、一番優れた連中と取引をしなければ競争に負けてしまう。
  そういう状況に変わってきたにもかかわらず、日本のビジネスモデルが一番いいなどとぬかして、閉ざされた仲良しクラブ、系列取引、メインバンク取引、間接金融、株の持ち合いという効率の悪い日本のビジネスモデルに固執していた。だから遅れをとってしまった。
  逆にいえば、いまいった三つの日本のシステムの特色||官主導、中央支配、閉ざされた仲良しクラブから、規制撤廃で民自立、地方分権、そしてもう少し開かれたグローバルクラブというビジネスモデルに変えていくことこそが、私がいいつづけている構造改革の中身である。
  しかし、少なくとも小泉政権にはそういう戦略に基づいて、どう日本を改革していくのかという発想がない。


――政官業癒着の利益誘導構造


 高度成長まではうまく機能した日本のシステムの中で、政治的にはいわゆる五五年体制で、自民党の万年与党化という状況ができあがり、政権交代がなくなった。その結果、何が起きたか。
  官が民を指導するというところに万年与党の自民党の族議員が癒着してきた。官が民を指導するから民間は何でも官にお伺いを立てなければいけない。たとえば、金融機関で新商品をつくろうと思ったら大蔵省にお伺いを立てなければいけない。大蔵省は何の法律を示すことなく、文書にしない「行政指導」という名で指導していた。
  民間としては奥の手を使う以外にない。それが族議員である。ここに政官業癒着の構造ができる。あらゆる分野でそういうことが起きてしまった。しかも中央の地方支配のところにもそういう族議員が癒着してきた。支援者、あるいは支援者になりそうな業者に仕事を回すという、成功報酬で政治資金をとり、票をとるという政官業癒着の構造。これまた中央の地方支配という日本のシステムに巣くった形の政治構造ができあがってきた。
  その結果、日本経済はどうなったか。二年ほど前に米国のマッキンゼーが出した報告書によると、日本の輸出企業はいまでも米国の生産性を二割上回っている。しかしこれらの企業は、日本全体の就労人口の一割しか雇っていない。残りの九割は輸出に関係ない国内向けの製造業と非製造業、なかんづく流通、建設、不動産の生産性たるや、米国に比べたら六三%ぐらいしかない。これが日本経済の姿である。
  この九割の国内向け製造業あるいは流通、建設、不動産の業種こそが政官業癒着構造なのである。こういう官僚の民間に対する指導、中央の地方支配というところに自民党の族議員が巣くって、その既得権益を守ってやることによって票と資金をとり、既得権益を守ってもらっているから、ここは激しい競争にさらされない。だから生産性の向上は欧米先進国に比べて立ち遅れたまま。これこそがこの一〇年間、日本経済が先進国の中で最低の成長率に喘いでいる原因である。
  不良債権の問題もこれと関係がある。不良債権の処理とは、バブルの時代に本業以外の不動産投機に手を染め、そして政官業癒着の中で今日まで一〇年以上守られてきた主に流通、建設、不動産にいる大企業の処理の話である。それを利益誘導型でそこを守ろうとするから不良債権処理がこれだけ遅れたのである。それを小泉さんはやはりわかっていない。


――民間の支出を刺激せよ


 私自身、一〇年も前から構造改革を唱えていた。それは追いつき型のシステムを変えることである。小沢さんも一〇年ぐらい前に「日本改造計画」を出している。
  それにもかかわらず、構造改革が進まない理由は、自民党の一党支配にある。その自民党の一党支配が、族議員のほうが現職大臣より怖いという現象を生み出した。そして政官業癒着の利益誘導構造という形で巣くって、既得権益を守ることばかり考えて、九割の産業の生産性を欧米の三割以上低い水準へ止めたままだ。これを直すにはどうしたらいいのか。
  私は小泉さんには直せないと思う。なぜなら、小泉さんは自民党の総裁だからだ。自民党政治の本質は政官業癒着の利益誘導である。そこの総裁が政官業癒着の構造を壊すような徹底した規制の撤廃、地方分権をやれるだろうか。自分で自分の基盤を崩すような話で自殺行為である。
  小泉さんは改革だ、仕組みを変える、構造を変えるというが、私からみると、自民党の総裁である限り、本当のところに手をつけられない。だから本当の改革になっていない。あらゆる分野においてそれがいえる。
  まず小泉さんは国債発行に三〇兆円のキャップをかけた。ところが景気がどんどん悪くなり、税収が二兆〜三兆円減った。それでもキャップを外さないというから、歳出も二兆〜三兆円切らなければいけない。その結果、また景気が悪くなり、税収が減る。一方で国債発行の三〇兆円のキャップは守る。だからまた歳出を切る。これは完全な悪循環である。それを称して「改革とは痛みを伴うものだ」とはまことにおかしい話である。
  キャップを設けるなら、歳出の総額にキャップを設けるべきだ。財政赤字は景気の状況によって変わる。こんなところへキャップを設ければ、ひとたび景気後退が始まったとき悪循環に陥り、景気後退をさらに加速するような財政政策になっていく。
  財政赤字を縮めたり、歳出を抑えれば、日本経済全体のマクロ的な貯蓄は一定だから、国が国債発行で吸い上げて歳出に使う額を抑えれば貯蓄は余る。貯蓄が余るということは、需要が足りなくなって供給が余ることである。だから、歳出を抑え、財政赤字を減らすというなら、余った貯蓄で足りなくなった需要を他方で補わなければいけない。
  それは何か。それは官の民間主導を規制撤廃で引っ繰り返して、民間の自立にもっていくことである。財政赤字をカットするなら同時に大変な勢いで規制を撤廃して、ビジネスチャンスをつくらなければいけない。将来の行政改革による歳出削減を財源として、いま減税をして頑張った人が報われるようにしなければいけない。特殊法人などがやっている政府事業を思い切って民間に開放しなければいけない。
  要するに、民間のビジネスチャンスを増やすと同時に、財政赤字を抑えるならいい。これは構造改革だ。しかし、いまのままでは思い切った規制撤廃、思い切った減税をやろうとしてもできない。
  なぜか。税制のところにはまさに自民党の税調の族議員が巣くっているからである。ここがいじれないために、いじりやすい財政赤字削減をやるから景気がどんどん悪くなる。構造改革は仕組みを変えることだから、片方を抑えたら片方を持ち上げなければいけない。しかし、小泉さんは族議員に抵抗されないところばかり手を出している。
  総需要と総供給の関係で考えたら、財政赤字削減、歳出削減を補うだけ民間からその貯蓄をもらったという声が出るようなビジネスチャンスを増やすことを必死になってやらなければいけない。


――望ましい財政改革


 小泉さんがこれからやろうとしている税制改革は完全に財務省ペースに乗せられている。小泉政権の中に財務省主税局と堂々と渡り合うだけの政策マンがいないからだ。
  小泉さんは課税ベースを拡大して税金を広く薄く取るという。所得税、住民税については、扶養控除とか基礎控除といった控除をなくして課税最低限を下げ、広く税金をかけるという。
  法人税にはさまざまな租税特別措置がある。これを整理し課税ベースを拡大する考えだ。
  しかし、そこまでしかやっていない。自由党そして私自身は、課税ベースを拡大すると同時に基本税率を下げなければいけないと主張している。そうしなければ増税だけになり、働く者のやる気が失われる。所得税ならば、人的控除を取り除けば課税最低限は下がる。それで増税にならないようにいまの税率を思い切って下げる。私の主張は五%、一五%、二五%の三段階である。
  課税最低限が下がれば五%の税金を納める人はかなり増え、広く薄くになる。最高税率が二五%になったら、いま五〇%の税金を納めている人たちは大いにやる気を起こす。
  人的控除を除いた場合に、子供扶養の手当は別途出していけばいい。税金のところで調節するいまのシステムは、納税の水準まで所得水準が上がっている人しか恩恵を受けず、本当に所得水準が低くて貧乏人の子だくさんの家庭には恩恵が及ばない。これではダメなのである。税金は納める。しかし、子育て手当、介護手当も出すというように変えていかなければいけない。
  法人税についても、確かに租税特別措置を整理するのはいい。租税特別措置で得をしているところは、生産性の低い九割の業種である。租税特別措置を整理すれば、法人税の基本税率をドンと下げられる。
  税制についても、課税ベースを拡大するのであれば、税率を下げるという形でみんなを刺激しないと、やる気が起きない。それがシステムを変えるということだ。

――望ましい医療改革

 小泉さんが患者の自己負担を来年四月から二割を三割に上げるといった。これが小泉さん流にいうと構造改革だという。しかし、自民党の族議員は二割のままにとどめろと大反対。
  医療費の自己負担を二割から三割に上げたら、ちょっと風邪をひいたぐらいでは病院に行かなくなる人が増えるかもしれないし、お医者さんのはしごをする人が減るかもしれない。それでは族議員は困るわけである。厚生族にとっての資金源は、製薬会社と医師会。製薬会社も医師会も自己負担を二割から三割に上げるのは大反対である。薬代とお医者さんの収入が減るからだ。
  小泉さんは医療費負担を二割から三割に上げることが改革だというが、おかしい。社会保障としての医療制度の仕組みを変えないで、仕組みの中で辻褄合わせをしようとするからだ。
  仕組みを変えなかったら、保険料を引き上げるか、給付の水準を下げるか、患者さんから余計にとるか、お医者さんに払う分を下げるか、そして最後に国費といいながら国民負担で税金を入れるか、というこの五つしか方法はない。だから仕組みを変えない改革は構造改革ではない。
  いわば仕組みを変えない中で、この五つが押し合いへし合いやっているのが族議員と小泉さんの喧嘩である。
  私はまず医療費総額のムダを排除することを考えなければいけないと思う。一つは重複診療、重複投薬である。お年寄りは不安だからお医者さんのはしごをする。そのたびに若い人が払い込んだ保険料を使っている。また保険料を使ってお薬をたくさんもらう。まずここをなんとかしなければいけない。
  それにはIT革命を使うのだ。受診票もカルテもリセプト(診療報酬明細書)も全部電子化してカード化し、それを全員が持つ。そうすれば重複診療で行ったお医者さんは前のお医者さんでは何を検査して、その結果がどうなっているか、どんな薬を出したかがわかる。それをやると、ある専門家は二、三割医療費総額が下がるよという。逆にいえば、二、三割が重複診療、重複投薬だというわけである。
  もう一つは、社会保険制度は少子・高齢化が進んでいけば、基礎年金、介護、高齢者医療は成立しなくなる。高齢者医療、介護、基礎年金は日本人にとって高齢になったときの三つのセイフティネットである。これについては保険料で賄うか税金を入れるかしかない。
  私はその場合、消費税を考える。ただ、この消費税は基礎年金、高齢者医療、介護以外には絶対使わないと限定するのだ。消費をするたびにその五%を今日まで日本を支えてくれたお年寄りに感謝の気持ちで出しましょうよという税金にする。名称も、消費税では抵抗があるから、社会保障税としてもいい。
  これには理由がある。日本では一般の人は所得税の納税意識が薄い。一方、消費税は消費するたびに取られるからものすごく抵抗がある。
  しかし私は、消費税ぐらい公平な税金はないと思う。所得税は所得形態によって捕捉率が全然違う。サラリーマンの給料はガラス張りで捕捉されるが、自由業の所得はなかなか捕捉されない。所得税は一見累進構造を持っていて公平なようにみえるが、あれぐらい不公平な税金はない。だから所得税の税率を上げるべきではない。逆に下げたほうがいいと、私は思っている。
  そこへいくと、隠れて所得を得た人も消費段階で捕捉されるから、消費税のほうがよほど公平だ。


――政権交代なくして改革なし


 小泉さんは改革、改革と口ではいっているが、仕組みを変えようという気持ちが全然ない。与えられた仕組みの中で辻褄を合わせているだけである。だから景気が悪くなる。仕組みを変えようと思えば族議員とぶつかるからそこには手をつけず、族議員とぶつからないところだけやる。
  そういう小泉改革では私は残念ながら日本は立ち直らないと思う。欧米より三割以上も生産性の低い九割の部門で政官業癒着の利益誘導、既得権益を温存をしている経済は立ち直らない。思い切ってそこにメスを入れ、本当の仕組みを変える構造改革をしない限り、私は日本は蘇らないと思っている。
  そのためには、自民党の万年与党化を断たなければいけない。自民党の中にも優秀な議員がたくさんいる。しかし、万年与党化ではなく、政権交代する中で官僚はそのときの大臣、そのときの与党の政策を一緒に考えるようになる。
  政権交代を起こさなければ、日本の構造改革というのは絶対できないと思っている。
(講演要旨)