マイルドインフレと日本銀行 (『金融財政ビジネス』2022.9.5日号、小見出し加筆)

【日本では2%は物価安定ではなくマイルドインフレ】
 2%という物価安定の目標は、13年1月の安倍政権との共同声明で、欧米が2%を物価安定の目標にしているからというだけで、日本について何の検証もせずに決められた「政治的数字」である。それまで日銀は物価安定の目途を、消費者物価の前年比で1%程度としていた。日本と欧米にはインフレ率の長期趨勢に格差がある。1971年の固定相場制崩壊以来、円が欧米通貨に対して大幅な円高となっているのはその証だ。日本では2%は物価安定ではなく、マイルドインフレである。

【4月以降のマイルドインフレで勤労者と高齢者の実質所得は減少、企業の経常判断は乱れ】
 その日本で、本年4月以降7月まで、消費者物価が前年比2・4〜2・6%上昇し、明らかなマイルドインフレとなった。この結果、勤労者の実質賃金は4月以降毎月前年比0・4〜1・8%減少し、年金生活・金利生活の高齢者の実質所得はインフレ分だけ減価している。企業は国内企業物価が今年に入って毎月前年比9〜10%の上昇となっているため、仕入、販売、投資の際の個別価格の上昇が、インフレの反映か価格体系の変化か判定しにくく、合理的な経営判断が乱されている。

【経済成長に伴う物価上昇ではなく一時的として日銀は動かない】
 しかし日銀は、この物価上昇は@輸入コストプッシュによるもので、日銀が想定する物価上昇(経済成長に伴う賃金、企業収益の増加による物価上昇)とは異なるし、A一時的である、として7月の政策決定会合でも動かない。

【金融政策は単独でインフレを抑えられるが単独では成長力を高められない】
 しかし@原因が何であれ、インフレは国民の生活水準を切り下げ、経済活動を攪乱する。金融政策は単独でもインフレ率を引き下げることができるし、それを実行するのが使命ではないのか。他方経済全体の成長力を高めるため、技術革新による生産性向上を支援し、その部門に資本と労働をシフトさせるのは、拡張的財政政策を中核とする構造政策の役割で、金融政策単独ではできない。金融政策を担う日銀が、成長の姿にこだわってインフレを放置するのはいかがなものか。

【予想物価上昇率の上昇、値上がり品目の拡散、デフレギャップ解消から見て物価上昇は一時的ではない】
 Aインフレが一時的だという判断も疑わしい。仮に輸入コストプッシュは一時的だとしても、それに伴う国内物価上昇が企業や家計の予想物価上昇率を高めれば国産インフレに転化して持続的となることは、石油ショックの時や昨年の米国で経験したことである。「消費動向調査」や「日銀短観」では、家計や企業の予想物価上昇率がかなり高まっている。日銀が消費者物価の基調を判断するために試算している「刈込平均値」、「加重中央値」はいずれも過去最高となり、値上がり品目の拡散を示している。4四半期連続のプラス成長で、22年度中頃にはGDP需給ギャップの供給超過は解消しよう。

【日銀は庶民の実質所得減少に無関心なのか】
 7月の日銀の「展望レポート」では、政策委員の22年度中の消費者物価上昇見通し(中位数)が、2・3%のマイルドインフレ持続に引き上げられた。ただしそれに伴う勤労者と高齢者の実質所得減少には触れていない。無関心だからであろうか。

【マイナス短期金利とゼロ長期金利の中止から政策転換を始めよ】
 日銀はQE(量的緩和)の縮小(テイパリング)を事実上行っているので、これからの政策転換は、マイナス短期金利とゼロ長期金利を、低いプラスの領域に戻すことから始めるのがよい。その際、長期金利の操作目標は、10年物から例えば5年物に短期化し、それより長い金利は市場の自律性に委ねた方がよい。この政策転換のインパクトで、国内の予想物価上昇率の低下と行き過ぎた円安の修正が生じ、国内のインフレ率が下がり始めるだろう。他方この程度の金利上昇で景気後退が起きるほど国内金融が引き締まる心配はない。

【金融市場の正常化、金融システムの安定化】
 コール市場のプラス金利による正常な取引と、「指し値オペ」で失われていた長期市場の自律的な価格発見機能は甦るだろう。金利上昇による債券価格の下落で金融システムに動揺が生じないよう、日銀にはこれまで以上に慎重なモニタリングが求められる。