異次元金融緩和の計量分析 (『金融財政ビジネス』2021.8.26日号、小見出し加筆)

【日銀内部で異次元緩和の効果を日銀の大型マクロ・モデルで計量分析】
日本銀行が本年3月に行った「より効率的で持続的な金融緩和を実施していくための点検」では、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」の総括的検討は一切表面に出てこなかった。このため、根本的検討を期待していた人は、私を含めて大いに失望した。
 しかし、日銀の内部では、調査統計局のエコノミスト達が、数百本の方程式から成る日銀の大型マクロ経済モデルを使って、「量的・質的金融緩和」(以下「異次元緩和」と略す)導入以降の政策効果を推計し、その結果を「ワーキングペーパー(21―J―7)」として日銀のホームページに公表していた。

【実質GDPを0.9〜1.3%、消費者物価前年比を0.6〜0.7%押し上げる効果があった】
 この計量分析によると、13年4〜6月期から20年7〜9月期までの異次元緩和によって、実質GDPの水準を平均+0.9〜1.3%程度、消費者物価(除生鮮食品、エネルギー)の前年比を平均+0.6〜0.7%ポイント程度、それぞれ押し上げる効果があったという。マネタリーベース残高を4.5倍にもする「異次元」の金融緩和の割には、効果が小さいと言えないこともないが、潜在成長率が1%以下に低下した日本経済では、この程度の実質GDP押し上げ効果でも需給ギャップは縮小し、完全雇用が達成された。またこの程度の消費者物価押し上げ効果でも、デフレ(物価の持続的下落)からは脱却できた。この二つは、異次元緩和の成果と言ってよい。

【マネタリーベース残高がまったく出てこないのは何故か】

 しかし、私はこのペーパーを読んで、更にいくつかの感想を抱いた。
 第一に、異次元緩和の「肝」として、就任初期の黒田総裁が強調し、現在まで4.5倍に膨れ上がったマネタリーベース残高が、政策波及経路を含めモデルの中にまったく出てこない。リフレ派の主張通りであれば、マネタリーベース残高はポートフォリオ・リバランス効果で貸出やマネーストックを増やす筈だが、貸出のアベイラビリティーを示す貸出態度判断DIの回帰式は、業況判断DIという需要サイドの変数だけで説明され、供給サイドのマネタリーベース残高が入っていない。恐らくマネタリーベース残高は、貸出やマネーストックの説明変数として、統計的に有意ではないのであろう。有意なのは、日銀の国債保有→長期金利→設備・住宅投資、という政策経路である。マネタリーベース残高の「量」ではなく、「金利」に焦点を合わせた政策運営が望ましいことが示されている。

【円安と株高を金融政策の中間目標にしてはならない】
 第二は、計量モデルの政策効果波及経路の中に、為替相場と株価が存在することだ。確かに二つ共政策で動く金利の影響を受け、円安は企業収益を通じて設備投資に、株高は資産効果やトービンのqを通じて設備投資や個人消費に響く。しかし、為替相場と株価の式の決定計数(R2)はいずれも0.3前後と低く、政策の影響よりも、もっと他の多くの要因で動いていることを示す。
 この計量結果を見て、金融政策が為替相場の円安や株価の上昇を中間目標として運営されるとすれば、問題である。前者は国際的な為替切り下げ競争の元となり、国際ルール違反だ。後者は中立であるべき金融政策が株式上場企業に肩入れし、所得格差を拡大する。一時的にはともかく、長期的には為替相場も株価も市場に委ねるべきであり、金融政策はあまりとらわれてはならない。

【2%の物価目標のオーバーシュートは異次元緩和継続のシグナルと円高防止が目的か】
 第三に、2%の物価目標をオーバーシュートするまで異次元緩和を続けるという政策のコミットメントが、どれだけ期待物価上昇→実質金利低下→投資増加、に効いているのか、計量分析の結果が見たかった。恐らく適合的期待形成の強い日本では、あまり意味のある値は計測されまい。とすれば、この政策の真の狙いは、対外的な異次元緩和継続のシグナルと円高防止であると言うべきであろう。