日銀の本来の政策目標 (『金融財政ビジネス』2016.11.14日号)
日本銀行法によると、日銀は金融政策の運営にあたって「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもってその理念とする」と書いてある(第2条)。ここで「理念」とは、いつも変わらぬ最終的政策目標と解釈してよいであろう。経済学の言葉に直せば、「持続的成長で完全雇用を維持し、国民の経済的厚生を高める」ことが最終目標であり、「物価の安定」はこの最終目標を達成するための中間目標、いわば手段である。
現在日本経済は「デフレではない」状況(一種の「物価安定」)の下で緩やかに成長している。他方、生産年齢人口の減少と生産性上昇率の鈍化で潜在成長率が著しく低下しているため、低成長下でも需給ギャップは縮小し、失業率は3・0%と完全雇用に近い。これは、ほとんど最終的政策目標の姿である。あとはこの成長と完全雇用を維持し、インフレもデフレも起こさず、国民生活の安定と向上を図るのが、法の定める日銀の使命ではないのか。
このように最終目標を達成しているときに、何故日銀は中間目標にすぎない2%の物価目標の実現に固執し、「安定的に2%を超えるまで」現在の超金融緩和を続けるという「オーバーシュート型コミットメント」をしたのか。そうしなければ再びデフレに逆戻りすると考えているのであれば、需給ギャップの現状から見てあり得ない。
そもそも2%という物価目標は、13年1月の安倍内閣との共同声明において、日銀が呑まされた「政治的数字」である。それ迄日銀は物価安定の目途を、消費者物価で1%程度の上昇率としていた。消費者物価指数の計算は基準時を固定するラスパイレス算式なので、基準時から遠ざかるにつれて、その時点の正しいウェイトを使って算出した指数(パーシエ算式)より高めになる。従って、ラスパイレス算式の物価指数が若干上昇している姿が、真の物価安定ということになるが、消費者物価の場合は、その上振れ幅が年率2%にも達することを、日本について誰がいつ検証したのか。
現実を見ると、55年以降において消費者物価(生鮮食品とエネルギーを除く)の前年比上昇率が「安定的に2%を超えた」のは、企業規模別賃金格差が縮小した高度成長期、初の円切り上げ後の過剰流動性インフレ期、ルーブル合意以降のバブル末期、の3回だけである(詳しくは拙著『試練と挑戦の戦後金融経済史』(岩波書店)参照)。最近の「ESPフォーキャスト」、「日銀短観」でも、予想物価上昇率は、2%超になったことはない。
「リフレ派」は2%のマイルド・インフレにすればより高い成長が実現すると考えているとすれば、これも誤りである。マイルド・インフレの初期には販売価格が先行して上昇するので企業収益は好転するが、原材料や設備の価格と目減りした賃金の上昇が追い付いてくれば企業収益は悪化し、経済はスタグフレーションに陥る。インフレ期には個別価格の上昇が物価上昇の反映か価格体系の変化か区別がつきにくくなるので、資源配分が歪んで経済効率は下がる。やはり物価安定の下でこそ資源配分が効率的になり、成長率も上がるのである。
「リフレ派」は日本経済停滞の原因はデフレにあると考えているようだが、デフレは経済停滞の結果である。経済停滞の原因は、生産年齢人口の減少と生産性向上の鈍化である。金融政策でデフレを克服しても、この二つは直らない。これを直すのは、政府の規制緩和など構造政策の役割である。日銀は2%インフレをオーバーシュートして国民生活を脅かすことなどを考えず、今の「デフレではない」状態の下で、完全雇用の維持と国民生活の安定・向上に全力を挙げるべきではないのか。