黒田日銀は旧日本軍か (『金融財政ビジネス』2016.8.18日号)
黒田日銀は、第2次大戦中の旧日本軍のようだという手厳しい批判が、7月5日付朝日新聞「波聞風問」欄に出た。「ベースマネーを2倍投入すれば、物価上昇率は2年間で2%になると言って始めたが、3年たってベースマネーは3倍を超えたが物価上昇率はゼロ%台だ。敗色は濃厚だが、国威発揚(インフレ期待引き上げ)を狙って17年度には2%に達すると、まだ楽観的な見通しを言っている。まるで大本営発表のようだ」と言う。
黒田日銀の政策を、私は近著『試練と挑戦の戦後金融経済史』(岩波書店)の中で理論的、実証的に分析してみた。その上で、「無謀な突進一点張り」と誤解される次の二つの客観的事実を指摘している。
@黒田日銀の量的質的緩和政策とマイナス金利政策は、それ迄の速水、福井、白川各総裁のゼロ金利政策と量的緩和政策に較べて、長短名目金利を一段と下げ、期待インフレ率を押し上げ、長短実質金利をマイナス領域まで大きく引き下げたことは間違いない。ところが、将来の実質成長率の期待値がゼロ%台と著しく低く、内外経済のリスクを反映して分散も大きいので、支出の金利弾力性が低く、総需要が金利低下に大きく反応していないのである。企業収益の回復も、売上数量の増加ではなく交易条件好転という一時的価格要因による面が大きいので、固定費増加を招く設備投資やベアにあまり向かわないのである。
A消費者物価指数は、基準時のウェイトを固定したラスパイレス算式なので指数より次第に高目になる傾向がある。従って指数が若干上昇している姿が真の物価安定である。その上振れ幅は、白川総裁が退任する直前までは1%強とされていたが、13年1月の安倍新内閣と日銀の共同声明で突然2%とされ、黒田日銀は2%のインフレ目標を設定した。しかし2%は、客観的分析を欠いた政治的数字である。過去においてコアコアCPI(生鮮食品とエネルギーを除く全国消費者物価)の上昇率が2%超で続いたのは、インフレ期だけだ。各種のアンケート調査や計測によれば、中長期の予想物価上昇率は1%前後である。2%はマイルド・インフレであり、これを目標とすることに、もともと無理がある。
以上のように、@金利弾力性の低下とA高過ぎるインフレ目標が、黒田日銀の政策を「敗色濃厚下の猪突猛進」のように見せている。しかし実際は、低い金利弾力性の下ではあるが、マイナス領域まで低下した実質金利、とくに貸出金利、社債・CP金利などが設備投資と住宅投資の増加を促している。公共事業の前倒しと秋の大型補正予算、17年4月の消費増税延期によって、2年間成長の足を引っ張っていた財政が16年度から再出動する。他方、潜在成長率は0・5%弱なので、需給ギャップは徐々に引き締まり、人手不足とコアコアCPIの上昇は続くであろう。金融政策本来の最終目標である「物価安定を通じる持続的成長・完全雇用の維持」は実現しているのであり、中間目標に過ぎない2%のインフレ目標は意義を失っているので気にしなくてよい。
黒田日銀と旧日本軍との違いは、最終的には戦争収束(政策転換)の仕方で決まる(詳しくは前述の拙著参照)。マイナス金利の効果は日銀当座預金の「限界部分」から発生しているので、年間80兆円の量的緩和「総額」を絞っても、マイナス金利は維持できる。これによって将来の政策転換時のリスク縮小と国債市場の流動性回復を徐々に進め、他方マイナス金利政策の持続、必要なら深堀によって緩やかな成長と完全雇用を維持すれば、旧日本軍の「無謀な突進一点張り」とは違う着地(戦争収束)が見えてくる。