いまは財政拡張政策を (『金融財政ビジネス』2012.9.13号)

 夏休みに読んだ本の中に、2人のノーベル経済学賞受賞者の本があった。ポール・クルーグマンの『さっさと不況を終わらせろ』とジョセフ・E・スティグリッツの『世界の99%を貧困にする経済』だ。2人は、日米欧がゼロ金利になって「流動性の罠」にはまっている時に、雇用や経済成長の促進よりも財政赤字や政府債務の削減を優先課題とする「緊縮論者」(クルーグマンの表現)や「赤字削減至上主義」(スティグリッツの表現)を、最も不適切な政策として厳しく批判している。
 このような風潮が生まれた背景には「ギリシャ化の恐怖」があると2人は指摘し、ユーロ建国債とは異なり、自国通貨建てで発行している日本や米国の国債にデフォルト・リスクはあり得ないと説いている。政府はいざとなれば、自国の中央銀行からいくらでも自国通貨を調達できるからだ。そこに存在するリスクは、デフォルト・リスクではなくて、中央銀行の政府貸出(国債引受け・購入を含む)の行き過ぎが放漫財政を生み、インフレを引き起こすインフレ・リスクである。
 市場はそれが分かっている。格付会社は景気対策や金融危機対策で財政赤字と政府債務が増えたという理由で、02年には日本国債の、11年には米国国債の格付けを引き下げたが、市場の日米国債に対する選好は弱まるどころか逆に強まる傾向にあり、今日に至るまで両国の国債は値上がり(金利は低下)している。
 理論的には、財政赤字や政府債務を縮減すれば、国民が将来の大幅増税などの「不安感」から解放され、「安心感」から支出を拡大するので、その拡張効果の方が、財政赤字削減の縮小効果よりも大きいというドクトリン(非ケインズ効果)があるが、これは各国の経済史の研究で否定されていると2人は指摘している。財政緊縮と経済成長が両立したケースは、常に他の要因で経済が拡大した場合であり、他の要因が無い時に財政緊縮が経済成長を促進したケースは存在しないという。
 経済学説史上は、シュンペーターやハイエクの「清算主義」が緊縮論の先駆で、緊縮政策の下で古い産業、企業は廃れ、新しい技術革新の担い手が発展するという「創造的破壊」の考え方である。J・R・ヒックスの『景気循環論』にあるストック調整原理も、市場経済の自律回復のメカニズムを説いている。
 しかし成熟した日米欧経済で、緊縮政策の下で新しい技術革新分野が自律的に伸びてくるとは思えない。やはり政府の成長戦略に基づく規制緩和、財政支援などが必要であろう。
 ストック調整原理についても、90年代から00年代にかけて、日本の企業は設備、雇用、負債の「三つの過剰」を整理したが、その過程で企業の期待成長率と期待インフレ率が低下して定着し、1%弱の潜在成長率とデフレ(物価水準の持続的低下)が常態化し、ストック調整原理による回復は、力を欠いている。
 現代の日本で財政拡張政策を賄うために財政赤字が拡大し、国債残高が増えても、「流動性の罠」が続いている限り、何も問題は起こらないであろうと、2人のノーベル賞受賞者は教えている。成長率とインフレ率が高まり、それが持続するという「期待」が定着してきた時、はじめて市場の金利は上昇し、ゼロ金利は解消して「流動性の罠」が解ける。
 その時、「財政の基礎的収支」は金利上昇とは無関係なので悪化せず、税収増加ではっきりと改善傾向を示し始めるであろう。この段階で少子高齢化に備えて「基礎的収支」の改善テンポを早めるため、消費税率を段階的に引き上げるのはよいが、「流動性の罠」にはまったいまのデフレ経済に対して、13・5兆円もの消費増税を行うのは自殺行為に等しい。