経常収支悪化の含意 (『金融財政ビジネス』2012.3.1号)
昨年8月22日の本欄において、貿易収支の赤字転落とそれが続いた場合の意味を考えてみたが、結局赤字は続き、昨年の赤字合計は1兆6089億円となってしまった。年間で貿易収支が赤字に転落したのは、高度成長末期の1968年に黒字に転じて以来、初めてである。
昨年は所得収支が14兆296億円の黒字となり、貿易収支の赤字を帳消ししたため、経常収支は9兆6289億円の黒字となったが、前年の黒字額17兆801億円に比べると、大幅な悪化である。
経常収支の黒字額は、日本国内の貯蓄マイナス投資、すなわち貯蓄超過額に等しく、その累積は対外資産超過額となる。
高度成長の終焉で企業部門の投資超過は大きく縮小し、デフレが始まった一九九八年以降は逆に貯蓄超過に転じた。更に2000年代に入ると、その額は高齢化で貯蓄率が低下し始めた家計部門の貯蓄超過を上回るに至った。家計部門と企業部門の貯蓄超過を吸収するのは、公的部門の投資超過(財政赤字)拡大と海外部門の投資超過(経常収支黒字)持続の役割となった。
2011年の経常収支の黒字額が劇的に縮小したということは、それと表裏の関係で、国内の貯蓄超過額が劇的に縮小したことを意味する。その要因を整理してみよう。
一時的要因は、3月の東日本大震災と11月のタイ大洪水だ。これに伴い日本国内の生産能力は一時的に低下し、輸出の減少と輸入の増加を招いた。これは貿易収支の悪化要因であると同時に、企業収益の減少要因であり、企業部門の貯蓄超過を減らした。また震災対策の補正予算は公的部門の投資超過を拡大した。
循環的要因は、欧州の財政・金融危機、米国経済の失速、新興国の成長鈍化により、世界経済の成長率が低下し、同時に円高が進行したため、日本の輸出が停滞し、企業収益=貯蓄超過が減少したことだ。
構造的要因は、原子力から火力へのシフトに伴い、電力の供給不足とコストの上昇が企業収益、ひいては企業部門の貯蓄超過を減らしたことだ。また火力へのシフトに伴って増加したLNGや石油の輸入価格上昇は、交易条件を悪化させて日本の所得と貯蓄の減少要因となった。
更に趨勢的要因は、少子高齢化に伴う家計貯蓄率の低下と社会保障費を中心とする財政赤字(公的部門の投資超過)の拡大が、国内の貯蓄超過を減らしていることだ。
以上のうち一時的要因と循環的要因は、どの程度続くかについて議論は分かれるにせよ、早晩解消に向かうと見てよいだろう。構造的要因は、安全停止中の原子力発電所を今後どの程度稼働させるかに懸っているが、政府の姿勢から判断して、方向としては今より和らぐであろう。
従って、長期的に経常収支の黒字が縮小傾向を辿り、遂には赤字に転落し、やがては負債超過国になり、国債の海外保有比率が高まって、国債暴落に怯える日が来るかどうかは、趨勢的要因による面が大きい。
高齢化に伴う貯蓄率の低下を止めるのは難しいが、「社会保障と税の一体改革」が成れば、財政部門の投資超過拡大は抑えられるであろう。
更に、対外直接投資の促進と米国や英国のほぼ半分である対外直接投資の収益率改善によって、所得収支の黒字拡大に努めることも、経常収支の黒字を維持する上で大切である。
最近活発になっている企業投資の海外シフトは、GDP(国内総生産)の増加には寄与しないが、そこからあがる投資収益は、日本経済ひいては国民生活の基盤であるGNI(国民総所得)と国内の貯蓄超過の増加に寄与する。海外投資促進とその収益率向上は、今後の発展戦略の大きな柱である。