貿易収支の赤字転落 (『金融財政ビジネス』2011.8.22号)
東日本大震災後、日本の経常収支の黒字額は急速に縮小し、5月の速報値は3910億円(以下、計数は総て季節調整済み)と、震災前1年間の月平均(1兆3952億円)の3割弱となった。これは、貿易・サービス収支が3月以降赤字に転じ、毎月赤字幅を拡大して5月は8075億円(速報値)に達したからである。
この貿易・サービス収支の赤字が定着すると、日本経済の将来にとって大きな問題になる。大震災以前から、経常収支黒字は人口高齢化に伴う貯蓄率低下によって縮小し、いずれは赤字に転じるという予測があった。この予測が正しいとすれば、大震災後の貿易・サービス収支の赤字定着は、経常収支が赤字に転じる時期を早めることになる。
日本の経常収支が赤字に転じると、日本の対外資産超過額が縮小し始めるので、資本市場に大きな衝撃が走るであろう。長期金利に上昇圧力が懸り、とくにGDPの2倍に達する日本政府の債務借換に懸念が生じる。行き着く先は、今のギリシャと同じで、財政の黒字化(貯蓄超過)によって国民生活の水準を切り下げ、民間貯蓄の不足を補い、経常収支の悪化を止めることになる。ギリシャよりましなのは、為替相場調整によっても国民の生活水準を切り下げられることくらいであろう。
このような悪夢が本当に来るかどうかは、実は二つの条件に依存している。第一は、大震災後の貿易・サービス収支の悪化が、一時的ではなく、本当に構造的に定着するのか、第二は、大震災後海外シフトを強めている日本企業の対外投資収益の増加があっても、今後の所得収支の黒字は貿易・サービス収支の赤字を下回るに至るのか。
第一の大震災後の貿易収支悪化の原因をみると、3月と4月は工場の被災とサプライ・チェーン(原料・部品の供給ネットワーク)の寸断で国内生産が落ちたため、輸出が減少し、輸入が増えたためである。これは一時的とみて良い。
問題は回復が始まった5月と6月だ。2か月間に鉱工業生産は10.4%、鉱工業出荷が14.3%増加した。しかしこの出荷の内訳は、国内向けに16.6%も伸びたが、輸出向けには8.5%の伸びにとどまった。しかも国内の復興需要は、国産品の16.6%の伸びでは足りず、鉱工業輸入を四月から大きく増やし、4〜6月の3か月に7.2%も伸ばした。
このことから分かるように、貿易収支の悪化は、国産品の供給が国内の復興需要に優先的に回り、輸出には十分回らず、それでも足りなくて輸入が増えているためである。従って、国産品の供給力が更に高まって復興需要に追い付けば、貿易収支は好転してくるはずだ。通関ベースの貿易収支赤字額は、5月の4500億円がピークで、6月には1911億円に縮んだことが、それを示しているかもしれない。
大切なことは、7月以降の生産能力が復興需要を十分賄った上、輸出の失地回復を実現する程伸びてくるかどうかだ。電力の供給不足が最大の敵であるが、企業努力により、生産が大きく伸びて構造的貿易赤字説を吹き飛ばせるかどうか。
第二の所得収支の黒字については、海外景気の動向にも左右されるが、近年の日本企業の海外シフトが大震災後更に強まっていることから考えても、また海外所得の日本送金が法人税制面で優遇されるようになったことを考えても、トレンドとして拡大傾向を維持していくことは間違いないであろう。
貿易収支の赤字が定着するかどうか、その結果所得収支の黒字を上回る時期が来るかどうかは、もう少し様子を見ないと分からないのではないか。