円高対策とデフレ対策の違い (『金融財政ビジネス』2010.11.1号)

 円高対策とデフレ対策が議論されている。しかし、同じ「対策」という言葉が使われていても、「対策」の意味は違う。
 円高対策は、円高を止めて、円安に戻す対策ではない。円高に如何に順応するか、という対策である。為替管理を撤廃し、自由な変動為替相場制をとっている以上、グローバルにつながった世界の為替市場の需給で決まる円相場の水準を、日本の市場介入という小さな売買で動かすことは、一時的には出来ても、長期的には不可能である。
 これに対してデフレ対策は、デフレに順応するのではなく、デフレを止めて、0〜2%のインフレ率に戻す対策である。デフレは基本的には日本経済の需給で決まるからだ。
 この違いを理解せずに議論すると、話は間違った方向へ進む。日本経済の将来は円高を直さなくても大丈夫だが、デフレを直さないと悲観的になるというのが正しい判断だ。
 1ドル=80円に接近している現在の円相場は、実質実効為替レートでみると、90年以降20年間の平均をまだ僅かに下回る円安水準である。不動産バブルとユーロ高バブルの崩壊に伴うバランス・シート調整に悩む米欧経済と、調整の終わっている日本経済とのファンダメンタルズの違いを反映した水準であり、今後の日本の成長に致命的な制約を加える恐れはない。
 04〜07年の円安は「円安バブル」であり、現在の水準こそが正常である。現在は、円高(実は円安バブルの崩壊)を活用して、海外の資源や優良企業を買収し、グローバルな経営戦略を展開する好機である。これに伴い、製造業を中心に企業の海外シフトが起きるのは、自然の成り行きである。
 これは日本国内の雇用機会喪失を招くので、それを埋める新しい産業を、戦略的に発展させなければならない。これが新成長戦略産業である。 情報通信、電力、新エネルギー、環境、IT、バイオ、医療、介護、教育、育児などの分野だ。政府は、これら新成長戦略産業の発展支援に力を注いでおり、日本銀行も「成長基盤強化を支援するための資金供給」によって、民間金融機関のこれら産業に対する融資を低利でリファイナンスしている。
 他方、デフレの基本的原因がマクロ需給ギャップの拡大であり、財政・金融政策などマクロ経済政策に関係していることは明らかだ。しかし、その量的関係は先行きの成長率やインフレ率の予想に左右されるので、予見し難い面がある。
 消費者物価インフレ率と実質GDP需給ギャップは一定のラグを伴って同調的に変動し、相関関係を示しているが、同じ需給ギャップの下で、2000年代のインフレ率の方が90年代のインフレ率よりも低い。
 このようなインフレ率の構造的下方シフト(デフレ化)は、一つは規制緩和・グローバル化に伴う内外価格差の縮小によるものであろう。もう一つは、一定のマクロ需給ギャップに対応した賃金上昇率が、下方シフトしたことである。
 賃金上昇率の構造的下方シフトに伴うインフレ率の構造的下方シフト(デフレ化)に大きく絡んでいる要因としては、日本の企業の予想成長率と予想インフレ率の下方シフトがある。予想成長率が下方シフトしたために、以前と同じ需給ギャップの下でも、以前ほどには投資と雇用を積極化しない。また予想インフレ率が下方シフトしたことも加わって、以前ほどには賃上げを容認しない。
 従って、デフレ克服策の成否は、単に需給ギャップを縮めるだけではなく、成長戦略産業を中心に企業の予想成長率を引き上げ、投資・雇用・賃上げマインドを積極化させることが必要である。デフレ解消の成否は、政府・日銀の現在の成長戦略でそれができるかどうかに懸っている。