企業重視か家計重視か (『金融財政ビジネス』2009.8.10号)

  衆議院が解散され、8月30日の投票日まで長丁場の選挙戦が始まったが、始めに自民党と民主党の党首がとった行動には、興味深い違いがあった。麻生総裁は、景気対策で恩恵を受ける業界の団体巡りを3日間続けて行った。いわゆる組織票固めである。これに対して鳩山代表は、全国遊説の街頭演説をスタートさせた。こちらは無党派層狙いである。
  この戦術の違いは、二つの党の戦略の違いを反映しているように見える。自民党は伝統的に「企業にとって良い事は家計にとって良い事だ」という論理を疑わず、今回も堂々と業界団体巡りから始めた。しかし民主党は、02〜07年の戦後最長景気の経験から、この論理に疑いを持っているようだ。「国民の生活が第一」というスローガンが、それを物語っている。単純化して言えば、自民党の戦略は企業重視、民主党のそれは家計重視である。
  戦後復興期と高度成長期には、人為的低金利政策で輸出と設備投資を優遇し、企業活動を活発化させることによって、都市下層と農村の潜在的失業が吸収され、都市・農村間、大企業・中小企業間の賃金(所得)の二重構造が解消した。国民の生活水準は飛躍的に上昇したのである。自民党の企業重視の経済政策は、結果的に家計を潤し、半世紀にわたって万年与党を続けることが出来た。
  唯一の例外は、高度成長の後半から起こった公害問題である。企業活動による環境破壊が、国民生活を脅かした。このような「市場の失敗」は、明らかに企業と家計の利害対立を生み出したが、消費者運動や政府の対応によって企業の環境破壊はかなり抑えられるようになり、基本的には企業活動の発展が国民生活を向上させるのだという認識は崩れなかった。
  これは、イエやムラという日本の伝統的な共同体意識とも関係あるように思われる。終身雇用制の下で従業員を家族のように扱い、人材育成も企業内で行う企業はイエであった。その企業が、業界団体を中心に業界というムラを形成し、結束を図った。このムラとしての業界を監督官庁が指導し、その上に自民党の組織票が乗っかった。
  しかし経済のグローバル化とIT化が進むにつれて、ムラとしての国内業界にとらわれず、世界市場で活躍する企業が増えてきた。技能を持った個人は、イエとしての企業の終身雇用にとらわれず、企業間を移動するようになった。企業団体の組織票としての力は落ちてきた。
  それが決定的になったのが、02〜07年の戦後最長景気における企業と家計の格差拡大である。企業の売上高経常利益率(日銀短観)は、04〜07年度の4年間、バブル期のピークである89年度の水準を上回り続けたが、雇用者報酬(GDP統計)は、景気上昇の最終年である07年になっても、96〜01年の水準に戻らなかった。企業にとって良いことが、家計にとって良いこととはならなかった。「国民の生活が第一」「政治とは生活だ」という民主党のスローガンが意味を持ち、07年の参議院選挙で大勝した。
  企業と家計の格差が何故生じたのか、自民党は気付いていないように見える。これは、小泉政権以降の「財政緊縮・超低金利」というポリシー・ミックスによるものである。「財政緊縮→国民負担増加・地方財政疲弊→内需停滞・輸出圧力」と「超低金利→円安→輸出伸長・内需停滞」という二つの経路から企業と家計の格差が拡大したのだ。年金・医療・介護・子育て・教育などの面で直接家計を支援し、内需を拡大する「財政中立・正常金利」のポリシー・ミックスがいま求められている(詳しくは拙著『日本の経済針路―新政権は何をなすべきか』岩波書店、参照)。自民党は最後までこれに気付かないのであろうか。