敗れたのは市場原理主義 (『金融財政』2009.3.30号)

  最近、「資本主義は自壊した」とか、「構造改革や市場主義は誤りであった」という人が出てきたが、これはいかがなものか。
  政治家や官僚が考える「計画」よりも、「市場メカニズム」の方が経済の効率を高め、国民生活を向上する上で優れていることは間違いない。冷戦の結果、「計画経済」のソ連が崩壊し、「市場経済」の西側諸国が勝利したことによって、証明されている。従って、経済に対する国家の過剰な介入を廃止する「構造改革」によって、「市場メカニズム」が機能する場を広げることは、正しい政策だ。
  しかし、「市場メカニズム」は万能ではない。経済の教科書に必ず書いてあるように、市場の自由な競争を放任しておけば、必ず「市場の失敗」が起きる。所得分配の不公平(格差の拡大)、景気の変動、失業の発生、独占・寡占の弊害、不公正な取引、環境の破壊、公害の発生などである。従って、「市場の失敗」を出来るだけ小さくするための「公共政策」は、絶対に必要である。
  ブッシュ政権の八年間をリードした政策マン達は、いわゆるネオコンを含め、「市場メカニズム」を過信し、「市場の失敗」を軽視した。「公共政策」の必要性をあまり自覚していなかった。経済競争の勝者が巨万の富を得、一般の人が貧困にとどまる米国の格差拡大を「所得再分配政策」で是正することに興味を示さず、むしろ市場における競争のインセンティブを強めるものとして、黙認した。
  住宅価格の三倍にも達する上昇を、「景気の行き過ぎ」、「資産バブルの発生」として警戒せず、IT革命によって米国経済がニューエコノミーに変身した証拠だとして放置した。グリーンスパン前FRB議長は、「バブルは破裂してみなければバブルかどうか分からない」と述べ、米国の経済学者達も、「金融政策は資産価格に割り当てるべきではなく、バブルが崩壊した後にアグレッシブな金融緩和で対応すればよい」という楽観論であった。
  米国は、日本の「失われた一〇年」の経験を、反面教師として学ばなかったようだ。地価・株価のバブル崩壊後の日本経済の長期停滞は、金融緩和が遅れたからであり、アグレッシブな金融緩和をすればバブル崩壊後の不況は防げるという安易な考え方をしていたようだ。その傲慢さが、「市場の失敗」の一つである景気変動に対する警戒心を薄れさせ、「景気変動平準化政策」の重要性はニューエコノミーに変わった米国にとって過去のものだという驕りを生んだ。この大きな誤りが、世界を巻き込む今日の大不況の原因となった。
  資本市場の「不公正取引」に対する対応も不十分であった。先進国の「プルーデンス政策(信用秩序維持政策)」は、預金銀行の健全性維持(自己資本比率規制)に集中し、レバレッジをきかせた投資銀行のビジネス・モデルには無頓着であった。
  このように、敗れたり自壊したりしたのは、「市場主義」でも「資本主義」でもない。市場に任せておけば、何もしなくても(適切な公共政策を実施しなくても)うまくいくと考えていた一部の「市場原理主義」、竹中流「市場至高主義」が敗れたのだ。IT革命を基盤としたグローバルな市場経済化の流れは続く。大切なことは、「市場の失敗」を十分認識した新しい「公共政策」を打ちたてることである。その分野には、今後地球温暖化対策という極めて重要な課題も含まれてくる。