物価上昇と金利政策 (『金融財政』2008.7.7号)

  五月の全国消費者物価は、総合で前年比+1.3%、除く生鮮食品で+1.5%の上昇となった。食料品(除酒類)とエネルギーを除けば、前年比−0.1%であるが、食料品もエネルギーも国民生活の必需品であり、これを除いては国民の厚生を測る尺度にはなり得ない。
  そもそも特定の価格を除いたコア指数を見るのは、短期的には総合指数よりも偶然変動が小さく、総合指数のトレンドを見る上で、総合指数自身よりも優れているからだ。日本の消費者物価指数の場合、「除く生鮮食品」がそれに当たるが、「除く食料品(除酒類)・エネルギー」は統計的にその特性を持っていない。
  その上、企業部門の投入・産出価格の動向から見て、食料品、エネルギー以外の価格も時間の問題で上昇してくるであろう。
  企業部門の総産出価格は総需要デフレーターで測れるが、これは05年度から三年続けて上昇している。しかし中身を見ると、投資デフレーターと輸出デフレーターは05年度から上がっているが、消費デフレーターは昨年まで下がっていた。他方、総投入デフレーターは賃金と輸入デフレーターの加重平均であるが、これは総産出デフレーター程は上昇していない。輸入デフレーターは食料品・資源・エネルギー価格を中心に大幅に上っているが、高い比重を占める賃金が上がっていないからである。このような投入・産出価格の関係から、企業部門は昨年まで大幅な増益を続けて来た(詳しくは拙著『円と日本経済の実力』岩波ブックレット参照)。
  政府の目は総需要デフレーターの中で唯一下落している消費デフレーター(消費者物価)と、総需要デフレーターから輸入デフレーターを差し引いたGDPデフレーターの下落に釘付けとなり、見当外れのデフレ懸念を表明し続けてきた。しかし、食料品・資源・エネルギー価格を中心とする輸入デフレーター上昇の影響は、投資デフレーターと輸出デフレーターにとどまらず、遂に消費デフレーターにも波及してきた。これが今年に入ってからの消費者物価上昇の正体である。10年物国債の市場利回りが上昇してきたことから見て、予想物価上昇率は高まっており、これが多くの企業の価格設定に響いて販売価格の引き上げは更に広がってこよう。
  食料・資源・エネルギー価格上昇に伴うインフレ・リスクの高まりに対応して、EUは小刻みの利上げを再開し、米国は利下げを打ち止めにした。中国などアジア諸国も、引き締め気味の金融政策に転じている。
  これらの先進国では、インフレ率が許容範囲の上限を超えているが、米国を除くと、政策誘導目標の短期名目金利はインフレ率を上回る水準に保たれ、実質金利はプラスである。ところが日本では消費者物価上昇率がまだ「物価安定の理解」(日本銀行)とされる0〜2%の範囲内にあるものの、政策誘導金利の0.5%を上回り、短期の実質金利がかなりマイナスになっている。このため、昨年の夏から始まった円安バブルの崩壊過程が止まり、このところ円は再び主要通貨に対して弱くなっている。
  輸入物価上昇というサプライ・ショックでインフレと景気後退のリスクが同時に高まった時は、インフレ対策を景気対策に優先させた方が早くスタグフレーションから脱出出来る、というのが一九八〇年代に先進国が得た教訓である。今後の物価上昇率を予測し、マイナス金利が続く期間を考え、効率と公正に対するマイナス金利の中期的な弊害を分析することが、いま日本銀行に求められている。