「円安バブル」の中期的崩壊過程 (『金融財政』2008.4.14号)

   戦後、日本の金融政策は、二度大きな失敗をした。一回目は、一九七一年の円切り上げ後の金融緩和が行き過ぎて、「過剰流動性インフレ」を引き起こし、七三年秋の第一次石油ショックも加わって「狂乱物価」となった時である。二回目は、八七年一〇月の「ブラックマンデー」のあと、八九年五月まで低金利政策を続けたため、地価や株価の「資産バブル」が発生し、その反動で低成長に陥った時である。二回とも、大幅な円高のあと、それ以上の円高を防ごうとしたため、金融緩和の期間が長過ぎ、インフレやバブルが発生した。
   今回は、二〇〇一年三月から〇六年七月まで五年以上にわたってゼロ金利政策・量的緩和政策を続けたが、その過程で二%台成長が定着した〇三年度以降も、三年以上にわたって、ゼロ金利を続け、日銀当座預金残高を三〇〜三五兆円に積み増した。この超金融緩和も長過ぎたのではないか。
   行き過ぎた金融緩和は、一九七二〜七四年に大インフレを引き起こし、八八〜九〇年に資産バブルを発生させたが、今回はインフレも資産バブルも起こっていない。その最大の理由は、経済のグローバル化が進み、内外価格差縮小の圧力が日本の国内物価や地価に加わっているからである。
   その代わり、今回は超低金利の過剰資金が、外貨建の資産に向かって「円安バブル」を発生させた。その結果、外貨高・円安が〇七年中頃までの六年半の間に大きく進み、円の名目実効為替レートは、二四%も円安になった。実に四分の三の水準に値下がりしたのだ。この間、日本の物価は海外よりも落ち着いていたので、実質実効為替レートに至っては、三六%も円安となり、一九八五年のプラザ合意の時よりも下がってしまった。プラザ合意後の円高は、「行ってこい」となった。
   しかし、バブルは必ず何かを切っ掛けに破裂する。今回は、〇七年七月末から表面化した「サブプライム・ローン」問題によって、米国の金利が何回も引き下げられ、インフレ気味のEUの金利引き上げが中止され、内外金利差やその予想が縮小に転じたことを切っ掛けに崩壊した。欧米の金融システムの不安、これに伴う欧米の成長減速見通しや不況の懸念によって、外貨建金融資産投資のリスクが高まっていることも、円キャリ取引の逆転などを通じて「円安バブル」の崩壊を促している。
   現在の円相場は、昨年の七月に比べて、実質実効ベースで一割ほどの円高となっているが、この六年半に三六%も円安になったことを考えると、これで「円安バブル」の崩壊が終わったとは思えない。サブプライム・ローン問題が収まり、日米の成長減速が底を打てば、日本の金利は先行き一〜二年の成長率、物価上昇率の予想に見合った水準に引き上げられ、「円安バブル」は更に崩壊の過程を辿るであろう。
   その過程で「急激な円高」が起きることは、国際取引の採算が攪乱されるので好ましくないが、「中期的な円高傾向」は、日本経済にとって決して悪いことではない。資源エネルギー価格の上昇を水際で小さくする。少ない輸出で高い成長が可能になる交易条件の好転は、日本の潜在成長率を高める。金利正常化と円高を契機に、極端に輸出に偏った成長から、内需と輸出のバランスがとれた成長に転換し、企業と家計の格差を縮小する絶好の機会となる。詳しくは拙著『円と日本経済の実力』〈岩波ブックレット〉を参照されたい。