日本銀行総裁人事の迷走 (『金融財政』2008.3.13号)

   3月19日に任期切れを迎える日本銀行正副総裁人事が迷走し、3月7日に至ってようやく政府は人事案を国会に提示した。日本銀行総裁人事は、本来経済問題である。その国会承認が、このように遅れているのは、この問題が少なくとも二つの点で政治的ジレンマに巻き込まれているからである。
   第一は、政府・自民党と野党、とくに民主党との間のイニシアチブ争いである。
   政府が提案した案を野党が承認すれば、日本銀行総裁人事は政府・自民党のイニシアチブで決められたこととなり、野党は参議院で多数を握っているにも拘らず、受身で承認したことになる。そこで民主党は、内内で政府に複数案の提示を求めたようであるが、そうなると、複数案の中から野党のイニシアチブで選んだことになり、政府・自民党の面子が潰れる。
   この面子争いのジレンマを解決するには、事前に政府・自民党と民主党が裏で話し合いをして選ぶしかないが、これでは「密室の協議」となり、「大連立」のにおいもすることから、民主党は乗るわけにはいかない。
   第二は、民主党内の迷いである。民主党には二つの思いがある。
   一つは、こういう大切な経済問題については、杓子定規の対応をせず、天下国家の立場から柔軟に対処し、政府・与党案を呑んで「政権担当能力」をアピールしたいという思いである。
   もう一つは、民主党の本来の主張の筋を通し、参議院で多数を与えてくれた支持者に応えたいという思いである。5年前に反対した武藤副総裁に対する評価が、その後5年間に変わった理由はあるのか。超低金利政策を続けて企業と家計の格差を拡大し、国民生活の向上を妨げていることについてどう考えるのか。国民生活重視の政治方針と矛盾しないのか。
   民主党内にこの二つの思いがあるので、政府・自民党は民主党の真意が読めない。
   以上の二つの政治的ジレンマが、本来経済問題である筈の日銀正副総裁人事案の国会提示を、政治的に遅らせ、そこへ予算案強行採決による国会空転が生じて更に遅れたのである。
   日銀総裁の適格条件については、かつて故吉野俊彦博士(元日銀理事)がその著書の中で、七つの条件を挙げたことがある。私も『日本の金融政策』(岩波新書)の中で、この七つに加え、「物価安定最優先が国民生活向上の基礎であり、インフレは常に金融政策の責任であることを、豊かな知識と経験に裏づけられた信念として持っている人」「清廉潔白の人」という二つの条件を挙げた。
   この九つの適格条件を100%備えている人はなかなか居ないが、私の加えた二つの条件は絶対に備えていなければならない。あとは、副総裁以下の日銀の事務方と、政策委員会を活性化させる器量があれば、欠けたところは補われ、あるいは育てられるであろう。
   私が仕えた二人の名総裁、森永総裁と前川総裁は、部下の話の腰を折ることは決してなく、自分が知っている事でも最後まで聞いてくれた。だから十分な情報と知識が総裁に集まった。その上で決断すると、自ら総理に会って利上げの承認を取り付けてきた。今は新日銀法で金融政策の独立性が保証されているので、総裁が総理と密室で話し合う必要はないが、聞き上手、決断力、説得力は総裁の必須条件と言えよう。
   総裁の適格性を備えた人材は複数居る。この原稿が読者の目に触れる13日には、正副総裁人事の承認手続きが進んでいることを祈りたい。