追悼、M・フリードマン教授 (『金融財政』2006.12.25号)
ミルトン・フリードマン教授が、先月94歳で亡くなった。日本の各紙はフリードマン教授の業績を一斉に大きく取り上げた。かつてマスコミは、フリードマン教授を古くさい通貨数量説を唱える異端の学者としてしか扱っていなかったことを考えると、今昔の感がある。
戦後の日本では、米国でケインズ派経済学を学んで帰国した少壯の学者が、学界やマスコミをリードしていた。60年代前半(昭和30年代後半)から消費者物価が年率4〜5%で上がり始めた時、彼等はこれを賃金コスト・プッシュ・インフレだとした。ケインズ派経済学では、成長率を高めれば、失業率が低下して賃金上昇率、ひいては物価上昇率が高まると考えており、経済成長率を高め、反面でインフレ率を低く保つことは出来ないと考えていたからだ。
その頃、日本ではまだ異端の扱いを受けていたフリードマン教授がやって来た。私は江口英一さんと一緒にホテルの一室に彼を訪ねた。彼は成長率が高いからインフレ率も高いという考え方を否定した。その上で半対数グラフに日本を始め各国のマネーサプライ残高と消費者物価の推移を描いたグラフを示し、一定の時差(マネーサプライが先行)を伴って両者が同じ循環変動を描いていることを指摘した。マネーサプライ変動が原因で、物価変動が起こっていると言うのである。
私達は日本銀行に戻り、二つの変動率の時差相関係数を計測したところ、約六ヶ月の時差で高い相関関係があることが分った。これを踏まえて執筆したのが、「通貨と物価の関係について」(日本銀行『調査月報』63年10月号)であり、私の処女出版となった『日本の通貨と物価』(東洋経済新報社、64年)である。私達の物価論は、日銀派、あるいはディマンド・プル派として、コスト・プッシュ派と対峙することになった。
この数年後、68年の「金融政策の役割」の中で、彼は成長率とインフレ率が同時に高まるのは、人々の予想インフレ率が現実のインフレ率の上昇に追い付かない間の一時的な現象に過ぎず、両者が一致すればインフレ率が高いままで成長率が下がり(スタグフレーション)、果てはデフレに陥ることを、理論的に示した(自然失業率仮説)。長期的には成長率とインフレ率は無関係であり、成長率は規制撤廃など供給側の構造改革で高まり、インフレ率はマネーサプライの適正供給で低位に安定するとした。この業績が76年のノーベル賞受賞を決定的にした。
現実の先進国経済も、成長率とインフレ率の高い60年代からスタグフレーションの70年代に入る。そして80年代に、レーガンとサッチャーが、規制撤廃、小さな政府路線で、米英両国経済を供給サイドから建て直すのである。
フリードマン教授を異端視していた日本では、この動きに20年間遅れ、今ようやく規制撤廃と小さな政府路線が正しい方向となった。
もっとも、日本銀行はフリードマン教授を、ケインズ派の巨匠トービン教授と並んで、82〜86年に金融研究所の顧問に迎え、日本政府は任期の終わった86年に勲一等瑞宝章を贈った。
私は彼のサンフランシスコのフラットやシーランチの別荘で何回もローザ夫人を交えて話をしたことがあるが、彼の次の質問に答えられなかったのが今でも心残りだ。「日本銀行は何故マネーサプライ重視政策を放棄したのか。その結果がバブルの発生と崩壊であり、金融システム不安ではないか。」89年以降の日本の金融政策をフリードマン教授は支持しなくなった。