経済回復と格差拡大 (『金融財政』2006.10.19号)

 小泉政権下の日本経済は、当初の一〜二年、金融恐慌前夜を思わせるような惨憺たる有様であった。しかし、振り返って五年五か月を通計してみると、実質GDP、鉱工業生産、失業率などの「量的指標」は拡大ないし改善し、コア消費物価、賃金、雇用者報酬などの「価格指標」は低下していることが分る。これをデフレと捉えるのが一般的であるが、そこにはもっと深い意味があると思う。それは、新古典派的調整の典型的な姿が現れているという事だ。
   よく知られているように、価格・賃金の下方硬直性を前提としたケインズ派の不均衝モデルでは、財政刺激や輸出伸長などの外生的な需要ショックを与えない限り、量的拡大を通じた均衝回復は実現しない。これに対して、価格・賃金の伸縮性を前提とした新古典派の均衝モデルでは、経済が何らかのショックで均衝から縮小方向に外れた場合、需要ショックを与えなくても、価格・賃金の下落によって市場経済は自律的に拡大し、均衝を回復する。
   小泉政権は、若干の減税政策と、財政赤字の拡大に伴う国債発行の増加というビルトイン・スタビライザーを効かせたが、積極的な財政支出拡張政策は採らなかった。政府の一般会計歳出予算は、公共投資削減を中心に五年間減り続けた。外生的な需要ショックは、もっぱら他力本願の輸出増加頼みであった。
   それにも拘らず経済が量的拡大を遂げたのは、需給バランスが悪化する中で、企業が生き残りをかけた市場競争を通じて、価格・賃金を低下させたからである。賃金の低下は企業収益の回復を援け、価格の低下は売上げ伸長を援けた。これは、典型的な新古典派モデルの均衝回復過程であった。
   私は日本銀行のエコノミストであった頃、マネーサプライ重視政策を主張し、裁量的財政政策にあまり賛成しなかった。その理論的根拠は、日本経済がケインズ・モデルよりも新古典派モデルに近いと信じていたからだ。日本の賃金は、不況時にはボーナス削減によって伸縮的に下落し、つれて物価も下落する。従って、マネーサプライの増加率を安定させていれば、物価変動による攪乱はなく、経済は自律的な均衝回復力を発揮して持続的成長につながると考えた。裁量的な財政拡張政策や緊縮政策は、かえって経済を攪乱しかねないと考えたのである。
   いまその頃を想い出しながら、日本経済が新古典派モデルに近いという判断は、現在でも大切だと考えている。
   しかし、忘れてならない事は、新古典派モデルは「市場の失敗」を伴うという事だ。それが格差の拡大と経済事件に現れている。
   賃金の下落は、賃金の低い非正規雇用の増加や年功賃金の頭打ちによっても起っている。大企業の収益率はバブル期を超えたが、雇用者報酬は五年の間に減少した。市場競争を通じた自律的回復は、勝ち組と負け組をはっきりさせた。
   競争ルールの順守を看視するシステムが強化されないままに競争促進政策を採った為に、資本市場の不正、輸送事故、欠陥商品、耐震偽装マンションなどの経済事件が増えている。
   新古典派モデルに近い日本経済で、規制緩和や歳出削減を進め、民間市場経済の効率向上に根差す持続的成長を図るのは良い事である。しかし、それには格差拡大に対処するセイフティネットの強化やルール違反を防ぐ事後的看視の強化を伴わなければならない。そうでなければ、いくら競争を促進して効率を高めても、国民は幸せにならない。