ポスト小泉の経済的重荷 (『金融財政』2006.9.14号)
01年4月に小泉政権が発足した直後の日本経済は、惨たんたる有様であった。鉱工業生産は01年4〜11月の8か月間に15.4%急落し、実質GDPは01/U〜Wの3四半期連続のマイナス成長で2.2%低下した。企業倒産は激増し、完全失業率は03年1月に5.5%に達した。株価は03年4月に日経平均で7607円まで落込み、金融恐慌前夜の様相を呈した。03年4月のペイオフ解禁は2年間延期された。
広範な設備投資と民間消費に主導された力強い回復が始まったのは、05/Tからである。この内需主導型成長は、バブル崩壊後に表面化した「三つの過剰」、すなわち設備(不動産を含む)、雇用、債務の過剰が、10年余りに及ぶ企業のビジネスモデル転換の自助努力によって遂に解消したことが、大きな要因となっている。
小泉政権は当初の危機的局面においても、財政拡張政策を用いなかった。政府の一般会計歳出予算は、公共投資削減を中心に5年間減り続け、通計で8.0%減少した。しかし01年度から03年度まで税収が4兆円落込んだので、この3年間に財政赤字は拡大し、国債発行額は28.3兆円(01年度当初予算)から36.4兆円(03年度決算)に拡大した。その後は経済の拡大に伴って自然増収が始まり、06年度当初予算の国債発行は政権発足時の公約通り30兆円に収まったが、5年間の国債増発の累積により、政府債務残高は538兆円(00年度末)から827兆円(05年度末)へ289兆円(54%)も増加した。自ら借金王と自嘲した小渕首相を上回る大記録である。その結果、政府債務残高の対GDP比率は急上昇し、「粗」比率では160%と米国やユーロ地域の2倍に達し、政権発足時に大差なかった「純」比率も、米国やユーロ地域を大きく上回ってしまった。
政府債務残高対GDP比率が上昇して行くと、予算の中の国債費の比重が高まり政策経費を圧迫するので、政府の政策遂行能力が低下する。この比率を下げるプライマリー・バランスの黒字化を目指し、今後5年間で、まず11.4〜14.3兆円の歳出を削減し、次に2〜5兆円の歳入増加を図る中期計画が決った。
しかし、公共事業費、人件費、社会保障費、地方交付税の理念なき一律削減では構造改革にならない。官から民へ、国から地方への機会移転という理念に基づく削減でなければ、経済を供給面から効率化するどころか、むしろ潜在成長率を落として赤字拡大要因になり兼ねない。
市場原理に信を置く政策は、事前的ルールの明確化と事後的看視の強化を伴わなければ、不公平と不安が拡がる。ライブドアと村上ファンドの不正、耐震設計偽装、鉄道や航空機の事故、プール事故、アスベスト汚染、暖房器具や湯沸し期の欠陥など相次ぐ事件は、事後的看視が不十分であったことを示唆している。しかし事後的看視の強化は歳出増加を伴う。これを歳出削減の要請とどう調和させるか。
競争促進はまた、勝ち組と負け組、企業と家計、正社員と非正社員、中央と地方などの格差拡大をもたらしている。これを補うセイフティ・ネットの強化もまた、歳出増加を伴う。
これらの歳出増加は、財政赤字縮小と矛盾するが、それを実施しなければ、市場原理に基づく効率を安心して追及し、持続的成長を維持することが出来なくなる。そうなれば税収が落ちて、財政赤字の縮小も難しくなる。ポスト小泉にはメリハリの効いた歳出内容の転換が求められている。政官業の癒着を政治的基盤とする自民党政権に、それが出来るのであろうか。