「県」を廃止せよ (『金融財政』2005.5.24号)
明治維新の廃藩置県以来、日本の地方自治体の制度は、「国─県─市町村」という三段階システムである。近頃は、国と県の間に更に州を置けという「道州制」の議論もある。
治安、交通など県では狭すぎる広域行政のニーズがあることは確かである。しかし「国─州─県─市町村」という四段階システムにすれば、地域住民の声が届かない非効率な行政となり、財政的にも無駄が多くなるのではないか。首長と議員の数が増えるだけでもぞっとする。
広域行政のニーズがあることは確かであるが、他方には地域密着型行政のニーズもある。話を広げれば、グローバリズムとリージョナリズムの二つの背反する流れが存在するのが二十一世紀である。民主主義の下で、この二つの流れを調和させる原理は何であろうか。
一つ参考になるのは、EUの憲法案である。通貨や市場の統合という点では、国の主権は国より上のEUに移すグローバリズムが貫かれているが、生活密着型の決定権限は逆に下の市町村など地域共同体の方に下っている。
最近、鳩山由紀夫衆議院議員(元民主党代表)の『新憲法試案』という本を読んでみたが、非常に興味深いことが書かれている。グローバル化とローカル化を調和させる原理は、「補完性の原理」だと言うのである。これはもともとカトリックの原理で、「問題はより身近なところで解決されなくてはならない」という考え方だ。EUを生み出したマーストリヒト条約が、この「補完性の原理」を掲げている。
個人や家庭で出来ることはそのレベルでやる。出来ないことは「ご近所の底力」やNPOでやる。それでも出来ない事を「基礎自治体」が引受ける。「基礎自治体」としては人口二〇〜三〇万人の「市」が望ましいと言う。かつて新進党は、人口三〇〜四〇万人の市を基礎自治体とし、三二〇〇程ある市町村を三〇〇〜四〇〇の市に再編することを提案した。鳩山議員の考え方は、これに近い。
新進党は、権限を出来るだけ市に移し、事実上「国─市」という二段階システムを基本にすべきだと考えていた。鳩山議員は「県」を廃止し、基礎自治体である「市」が出来ない広域行政だけを、「市」の共同体としての「圏」(衆院比例ブロックが目途)に委ねるべきだとしている。そして、広域自治体としての「圏」に出来ない事、例えば外交、防衛、マクロ経済政策などを限定的に「国」の権限とする。
以上が「補完性の原理」に基づく鳩山議員の「国─圏─市」の三段階システムである。国民が直接投票で選ぶ首長や議員は国と市だけであり、圏は市の共同体であるから、本質的には「国─市」の二段階システムである。この案は、地域密着型の民主主義的ニーズと国民の生命・財産・利便性を護る広域的ニーズを調和させるシステムの提案として、極めて興味深い。
同時にもう一つ、大切な視点がある。それは、行政改革による財政支出の削減である。県の廃止や市町村合併で首長、議員、自治体の庁舎の数が激減する。スリムな二段階システムと、権限の基礎自治体への大幅移譲で、行政の無駄が省かれる。
このような大胆な行政改革によって財政支出を思い切って削減しないまま、増税と社会保険料引上げによって財政再建を図ろうとしているのが、今の自民党政権と財務官僚である。これでは、大きいままの公的部門と国民負担の増加で経済が活性化せず、結局財政再建も進まないのではないか。